自由の国 豪華タイ旅行 

2002年4月2日〜4月8日
|
◆初めての海外旅行
在職時代に、一度は海外へ行ってみたいという気持ちがあったが、なにしろ、いままでは暇と金がなく、指をくわえてお 母ちゃんが友達と一緒に海外旅行へ行くのを横目で見ていた。しかし、ついに退職後2年目に海外旅行が実現すること ができ、タイ旅行に挑戦してみました。今まで最も遠いところを旅行したのは与那国島へ行ったのが最遠でしたが、あの 島ではバイクのレンタルでコケたという、苦い思い出があります。
何はともあれ、海外へ行くためにはパスポートを取得しなければお話にもならないので、3月に上川支庁で旅券の申 請をした。このとき署名について聞かれ、「この字はくせ字なのですが確かに本人の署名ですね」と確認をされたの には参りました。なるほど、下手な字はこのように聞くのかなと納得。3週間後、名寄の市役所でパスポートを受領。結 構な手数料を取られたが、10年用なので、年齢から考えて再申請をする必要はなしと考え、これでよしとした。蛇足です が、最近のお役所というのは腰が低いです。一昔前はふんぞり返っていたのがウソみたいです。
今回の旅行はリタイア組、現職、その他を含めて総勢8名(この人数が後でわかるのだが、あまりいい人数ではない) で参加。2台の自家用車に分乗して一路、千歳へ向かう。千歳では長期間、安くて、空港まで送迎してくれる便利な駐車 場があるのを初めて知った。いつも旭川の無料駐車場しか知らない者にはよい経験であった。
◆千歳から成田へ
千歳のJTB国内線ツアーディスクで往復の航空券を受け取り、昼飯をオアシスでとる。この食堂は本来、従業員用に 設けられたらしい。しかし、一般にも開放されており、セルフサービスですが種類も豊富で安価です。また、いろいろな職 種の従業員を垣間見ることもできるので、(食事の時間ということでホッとしているのか、ダレた姿が面白い)一度お試し あれ。
14:30JL562便で成田に向かう。成田はこれで2回目。最初は成田が開港した間もない頃、千葉の八千代市に行 くため利用しただけであり、その様変わりに結構驚かされた。成田では第2滑走路の運用が間近に迫っていたのであち こちにそのポスターが貼ってあったが、ターミナルから外を見ると民有地が間近に迫り、何時になったら完成するのか、 素人目には永久に完成しないのではないかと思わずにはいられなかった。
成田行きJLの機材はMD11で3発機である。この飛行機もまもなくリタイアする予定機で、乗り物オタクとしては絶好 のチャンスであった。ウイングレットの着いた飛行機はいつ見ても格好がいい。トライスターと並んで3発機の名機である が、経済上、これからの飛行機は2発か4発に統一されるだろうからラストチャンだったかもしれない。
成田では搭乗手続きはなしで(旅行社が全部処理してくれた)、出国審査へ向かう。運転手がいないシャトルで第2ター ミナルへ。しかしこのシャトルの乗り場はわかりにくい。入り口はどこかの部屋に入る感じのドアで、ちょっと見た感じでは シャトルの乗り場とは気がつかない。次回から気をつけなれば思いつつ、搭乗までしばし待つ。
◆成田からバンコクへ
18:30JL707便は定刻より5分ほど早くボーデングブリッジを離れる。30分前にタイ航空のバンコク行きが出発し ているのでそれを追いかける形で飛行することになる。国際線のボーデングは国内線と比較して結構早く(30分前)乗り 込むことを初めて知った。これも海外へ行ったとのない悲しさです。これでチョッと知ったかぶりができる?
フライト時間は正味6時間余ですが、時差の関係で今日の22:45にバンコクへ到着。5千キロ余をあっという間に行 けるとは地球も狭くなったものだ。昔、船旅は1週間もかかったのに・・・・・(海外へは一度も行ったことがないくせに)
JALということでCAはすべて日本人かと思ったら、日本人をはじめ白人、タイ人、中国人と国際色豊かなクルーでした が、なぜか、帰りの便は全員日本人。機内で入国のカードを書こうと周りをキョロキョロしていたら、白人のCAがそばに 来て「私が書いてあげましょうか」ということで書いてもらいました。やはりモテる男は違うなと思いましたが、向こうは 「このジイさんローマ字も書けなくて困っているから書いてあげよう」と思っていたに違いない。ここで「自分で書くよ」 と言えないシャイな私です。
バンコクに着くまで、いわゆる「夜間飛行」でしたが、どういう訳か国内便より座席のピッチが狭く、大柄な者にはつら い感じがします。機材はB747−300で座席は中央のまた中央。身動き一つできない有様でした。おまけに隣に座っ たビジネスマン風の日本人の挙動が時々おかしくなるので、よほど声をかけようかとも思いましたが止めにしました。乗 る前から酒を飲んでいたらしく、機内でも結構飲んでいたせいかもしれません。時々、身体を硬直させて、口を半開きで 震えるのです。一寸気味が悪い感じでしたが、いろいろな乗客がいるもんです。
バンコクには定刻に到着。降りたとたんムッとする熱気。さすが熱帯の国に来たという実感が沸く。夜中というのにこの 暑さは何だ!。ここで初めて現地ガイドと会うことができた。ここまで添乗員なしでよく来られたものだと感心しつつ、入国 審査の列に混じる。ほとんどは素通りでパスしていたが、隣の列で入国を拒否されているインド系の一人と出くわす。何 か説明しているが、駄目の一点張り、しまいに審査官がブースから出てきて次の人を誘導する始末。そのうち制服姿の 係官が来て別室に案内しようとしたら、ぞろぞろと5,6人が付いて行くのを見てこれまたビックリ。集団で入国拒否されて いたことになる。他人事ながらその後どうなったか心配。
空港からホテルまで、定員10人乗りのミニバン。この車が帰りまでお付き合いすることになろうとは「神のみぞ知る」と いうことになる。バンコクでは客が8人まではこのタイプらしい。2,3人でもこのようなミニバンで余裕の観光しているグル ープもあり、我々のように定員一杯で、おまけにあまり冷房の効かない車ではたまったものではない。なにしろ見学地で は必ずエンジンを止めて冷やし、冷房も最大にするとオーバーヒートするようなポンコツ車であった。それでも無事ホテル に到着。明日からの見学に向けてぐっすりと眠りこけた。
●ホテルについて
 |  |  |  | | ロイヤルメリディアン・バンコク | 同ホテルのロビー | 正面玄関 | ドアボーイと共に |
今回の旅行中、5泊した威風堂々とした五つ星のホテル。37階建で26階に宿泊したが、ここからの眺望が素晴らし く、下界を見ていても飽きない部屋であった。宿泊期間中、国際会議が開催されていたらしく、館内のセキュリティはただ ならい物々しい雰囲気であった。アメリカをはじめ、東南アジアの国旗がずらりと並んでいた。
●ホテルからの眺望
ホテルから見た朝日はとても美しい。太陽は真っ直ぐ昇ります。さすが赤道に近い国という実感があります。このホテ ルは中心街にあるので周りはノッポビルが林立していて、もしかすると、東京より大きいのではないかと思われるほどで した。
しかし、これだけの大都市でありながら夜景はそれほどでもなく、街全体が暗いという印象。何か規制されているのか または省エネが徹底されているのかは不明です。部屋から目を下に転ずるとBTSという高架鉄道を見ることができま す。最近できたらしい。4日目にこの線の端から端まで乗りつぶし、乗り物オタクとしては最高でした。
◆バンコク市内の観光
観光第1日目は涅槃寺、暁の寺、王宮、エメラルド寺院を見学。とにかく暑い。後で気温のデータを調べたらバンコ クに滞在している間は連日37度。おまけに湿度も結構高いので体感温度は45度以上あったと思います。旅費が安い わけがこれで判明しました。3,4,5月がタイでは暑期といって、年間で一番暑い季節ということ。この時期を過ぎると雨 期に入るので少しは気温が下がるらしい。しかし、雨よりはまだいいかも・・・・・・
 | 涅槃寺は現在工事中とかで足場を組んでいて見づらかった。この見学の前に私は熱射病になりかかり、この寺院の庭の木陰で横になっていたら、観光客に笑われました。中には指さして笑う白人夫婦までいました。しかし、この寺を見学して納得。お釈迦さんと同じ姿だったのです。 |  | 同じ寺の中で。金箔を貼ってお参りをする風習があるみたいで、話には聞いてはいましたが本物は初めてでした。いずれは剥がして金塊にするのかな?日本でいうところのお賽銭。壁には108つの壺がありこの中にお賽銭を一つ一つ入れていくと煩悩が払われるそうです。 |  | 今回の旅行のご一行様。エメラルド寺院にて 王宮見学の入口に営門(軍隊が守っている)があり、その中にデンと2〜30ミリと思われる重機関銃が備え付けられていたのにはこれまたビックリ。タイでは銃を持った兵隊があちこちにおり、平和ボケしている私にとっては異様な風景でした。 |  | 三島由紀夫のモチーフにもなった「暁の寺」(読んだことはありません)だそうです。この見学は渡し船で対岸に渡っての見学でしたが、このとき、私は木陰(熱射病)で涅槃をきめ込んでいたので内部の見学はできませんでした。この写真は翌日、船から撮ったものです。 | とにかくタイではワット・ワット(ワットとは寺のこと)の連続でしまいには何がなんだかわからなくなりました。丁度、見学 旅行の京都・奈良のお寺巡りと一緒です。
●バンコク市内の交通事情
今日も例のオンボロ・バンで市内を回りましたが、バンコクの市内の交通事情はただものではない。スピードは流れに 乗ると80キロ以上、一旦渋滞に巻き込まれると、いつ動くかわからない。おまけにバイクが前を横切ったり、車の間をす り抜けたり、日本では考えられない光景。とにかく右折左折は頭を入れた方が勝ち。ほとんど直進車が止まります。よく これでぶつからないから不思議です。
また、交通標識も極端に少なく、交通信号もほとんどない。「皆さん勝手に走ってください」という感じです。通行は日本 と同じ左側通行ですが、最初、右側通行と勘違いをしました。それは中央分離帯のさらに右側の2車線が左側に使用さ れていて、一番端の1車線のみが反対車線といった道路があちこちにあり、まるで右側を走っているような錯覚に陥りま した。
東京でいう首都高いう道路はあまりなく、現在の高速道路はラッシュになると「動く駐車場」になるとガイドの説明。タイ の自動車は定員というのはあってもなきに等しく、乗ることができれば車種には関係なく押し込んで走ります。たとえば飛 行場からのタクシーだと思われますが、トランクには手荷物が一杯で開けっ放し、客はといえば折り重なって乗っている のを目撃。一体何人乗っていたのか?。その光景を見てみんなで大笑い。また、料金の安いバスは鈴なりで、あれでよく 振り落とされないか心配でした。バスも料金によって冷房なし、前後のドアが開けっ放しのバスから冷房つきの高級バス まで3種類あるという。
その中でも面白かったのは時々、背番号をつけたバイクが走っていました。これは客を後ろに乗せて道路を縦横無尽 に走り回る立派な旅客運送業?。客も一緒にバランスをとらないとコケるという代物だが、制服の女子高校生を横座りで 乗せて走っていた。アブナーイ。しかし料金は一番安く、渋滞の時は一番の乗り物でしょう。
そのほか珍しいものにツクツクという3輪車のタクシーがあり、ものすごい爆音を立てて走り回ります。料金は交渉次第で、あってないようなものらしい。(写真)
●タイ古典舞踊鑑賞
昼食にタイ風ドライカレーを食し、夕食はシロム・ビレッジというところでタイ料理の夕食とタイ古典舞踊を鑑賞する。い わゆる観光客相手のディナーショーといったところでしょう。土足厳禁ということで下足番がおり、これでは昔の日本の芝 居小屋と同じです。しかし、テーブルの下は堀こたつのように足を下げられるようになっている。これでなければ正座する 習慣のない欧米の観光客にはたまらないだろう。もちろん私は背もたれがないので正座でしたが・・・・・・
 |  |  |  |  | 舟形をした木琴のような楽 器。それを叩いて演奏する | この踊り子と食事中に写真 を撮り、300バーツ | これでも男。なるほどタイは オカマの国 | 左写真の男性が仮面をか ぶり悪魔に変身 | これも男。どちらかといえば 男の方がきれい? |
観客は日本人が多く。ほとんどがグループ旅行の感じである。なかには女子短大生くらいの一行もあり、卒業旅行と思 われるが、20歳前後で卒業旅行が外国旅行とは世の中も随分と変化したものです。親の顔を見たい?!。
店を出た横のお土産屋で見た帽子が欲しかったと今でも後悔しています。例のベトナムの農民がかぶるようなあの帽 子。高いのでやめましたが、ほかの日本人客が買っていました。交渉しているのを見ていると半値までまけるようでした が、とてもではないが、(内気で内股の)気の弱い私には買えませんでした。
◆バンコクからアユタヤへ
●チャオプラヤー川の風景
今日も朝から暑〜い!最低気温が28度、最高気温が37度。しかし、今回は船旅なのでいくらか涼しいと期待しつつ、 船着き場へ向かう。チャオプラヤー川(旧メナム川)は大きな川で水上交通のメッカである。行き交う船は今まで見たこ ともない数であった。対岸へ向かう船や上り下りの船がゴチャ混ぜになり、道路と同じ様相を呈している。また、この川を 中心に運河が張り巡らされ、東洋のベニスといわれる所以がこれでわかった。
 | そうなると交通整理の船が必要(写真)となる。船の交通整理は水上警察と軍の沿岸警備 隊が当たっているようでミズスマシのように動き回っていた。 船の種類は磯船のような小さいものから大きなハシケまで千差万別であるが、さすが手こぎ という船は見ることはできなかった。小さい船は、動力は中古の自動車のエンジンに直接長 いシャフトをつけ、その先にスクリューを付けたもので、舵取りはエンジンごと引き回すといっ た具合。今まで写真では見たことがあったが、本物を初めて見て、この水上タクシーにぜひと も乗りたかったのだが、みんなに「危ないからよしなさい」と止められた。 |
川の水は非常に汚れてはいるが、緩やかに流れているのでドブ川のように悪臭を放つというところまでは至っていな い。我々の乗ったボートは結構な豪華船でクルーが全員で敬礼をしながら迎えてくれた。アユタヤまで4時間の船旅であ ったが、船中で昼食(バイキング)が出たり、周りの景色を見物したり、退屈せずに過ごすことができた。
●アユタヤで象に乗りました
 | アユタヤでは世界遺産の一つになっているワット・プラ・ラームをはじめ、それこそワットワ ットの遺跡で一杯でした。アユタヤ王朝も18世紀に隣のビルマ(ミャンマー)の侵攻を受け、 身ぐるみ持って行かれてこのような姿になったということです。この遺跡を見ていると何かし ら、もの悲しい気持ちになります。タイでは石が産出されないため建物は焼き煉瓦と木材の 組み合わせで建築されたものが多く、煉瓦もあまり高い熱で焼き固めたものでないため、も ろく感じます。いずれこの遺跡も崩れてしまうかもしれません。
ここでも相当歩くというガイドの説明なので、土産物屋の椅子で休むことにしました。タイへ | 来て一人になったのはこれで2回目。前日の涅槃(熱射病になりかかった)は木陰で涼しいところで、そこはガイドのたまり場であったので安心してしましたが、今回は土産物屋の店先で多少不安。20バーツで水を買って休んでいたら、案の定、矢継ぎ早の「あれを買え、これを買え」をタイ語、英語、日本語でまくし立てられて、えらい目に遭いました。こちらは「ノーサンキュー」の一点張りで頑張る。そこを立ち去れば立って待たなければならないので、みんなが帰るまで、その椅子を死守。ついに向こうもあきらめたのか相手にしなくなった。商売を離れるとタイの人たちは結構、人なつっこい。自分たちが食べているお菓子を食べろといって勧めてくれたり、「日本から来たのか」とか、「足を怪我しているのか」とかいろいろ話しかけてくる。
遺跡を見学した後、いよいよ、象さんの試乗会?。はじめは座席の不安定さで乗るのを断ったのだが、ガイドがチケットを無理矢理渡して「象のように長生きできるから乗れ乗れ」というので妻の象に乗るべく急いで乗り場まで行ったが、時すでに遅く、一人で出発したとのこと。従って、自分一人で乗る羽目になったが、やはり想像したとおり安定が悪く、今にも落ちそうになるが、しばらくするとそれにも慣れ、写真を写す余裕もできた。
試乗会が終わって、100バーツのチップをOさんが象に渡したら、手のひらを返したようにその後のサービスのいいこ とにビックリ。ありとあらゆるいろいろな芸を見せてくれた上、お見送りに鼻を上げて「さよなら」をしてくれた。
●パン・パイン宮殿
 | バン・パイン宮殿はタイ、中国など、各国の素晴らしい建築美が競演する歴代の王たちが 夏を過ごした豪華絢爛な離宮。離宮にはパビリオンと呼ばれる5つの館があります。 ここも王室の建物なので要所に銃を持った衛兵がおります。炎天下の中、汗ひとつかかずに 何時間もよく立っているものです。敷地は相当広く、歩くのが大変。途中で気が付いたのだ が、入口で貸しカートがあること知り、これを借りるべきだった。確か4人乗りで、ゴルフ場で よく見るあの電動カートです。「後悔先に立たず」とはこのことかと思う。
衛兵で思い出したが、タイではいろいろな職種の制服姿を見ることができます。警官から軍 隊まで同じような制服なので見分けが付かない。ガイドの説明によると僧侶になるため2年、 | 兵役に2年と最低4年間は自由には過ごせない時期があるそうです。それを終えてから大学進学するとのこと。現在の日本では想像もできない社会制度です。しかし、現在は昔ほど厳しくはないと説明していた。
アユタヤの帰りは例の豪華バンに乗って、1時間余でバンコクに着く。途中、田園風景が広がるが、ほとんどが稲作 (日本が凶作の時、緊急輸入した、あのタイ米です。タイ米はピラフには最高です)でどこまでも延々と続く。おまけに見 渡す限り平原で山ひとつ見ることができない。山は国境近くまで行かないと見ることができないらしい。オンボロ自動車の くせにスピードだけは速かったなー。夕食はコカ・レストランでタイ風しゃぶしゃぶを食して、本日の日程はこれにて終 了。
◆今日から2日間の自由行動
今日から2日間どこへ行こうかと昨晩、ようやく話し合いをする。普通は旅行前にきっちりと計画を立てるものだが、こ の団体さんは行き当たりばったりの珍道中なのでこれでいいのだ。女性軍はエステとタイ式マッサージと、大まかに計画 を立てているらしい。男性軍は地図を見ながら「どこへ行くべぇーか」。
●国立博物館と中華街
タクシーでチャオプラヤー川近くの国立博物館に向かう。タクシーの運ちゃんは片言の英語ができるらしく、さかんにあ ちこちのHな所に行くことを勧められる。たとえばエステとかマッサージとか、挙げ句の果てオカマバーはどうかとか。日 本人はそんなにH産業に好きな人種なのかなと思う。おまけにどうも遠回りをして距離を稼ごうとしているらしい。同行の Sさんが「真っ直ぐ行け」と英語で言うが、運ちゃんはどこ吹く風という案配。しかし、よく観察すると混み具合とか一方通 行を避けているみたいで、別にメーターを稼ごうということではないらしい。よく考えるとホテルのドア・マンがハイヤー扱 いで交渉をしていたようで、結果的には安い乗り物であった。
博物館の建物は東博のように一棟に集約されたものではなく、広い敷地にタイ様式の建物がたくさん建っており、その中に展示物が収まっている。建物そのものが展示物といった感じである。入場料は一部工事中の建物があったりしたためか無料。ラッキー!。見事だったのは歴代の王が乗ったという山車?とか船があり、それは豪華できれいなものでした。また、アユタヤの遺跡で首のない像があったが、その首がここにありました。あとで発掘したものらしい。
今日も暑く、暇さえあれば水を買う。公共施設くらいはぜひエアコンを付けてもらいたいものだが、工事中の建物ではそ の設備をしているようだった。我々を待っているタクシーもボンネットを開けてエンジンを冷やしていた。そのほか、博物 館の隣にはタイの民族舞踊を見せる国立の建物があり、これも見たかったが時間が無くてパス。残念至極。
1時間余を博物館見物に費やし、次の目的地である中華街へ向かう。この辺に泥棒市場というのがあるらしいので、 それを見に行くつもりである。待たせてあったタクシーに乗り込み目的地に向かう。途中、中華街の近くに銃砲店があり、 ウィンドウには重火器以外は全てあるという感じでビックリ。拳銃から自動小銃まで売っているとは、日本とは大違い。 どんな連中が買うのだろうか。そういえば実弾の射撃をさせるポスターを見たので、経験のため是非、撃ってみたかった が、時間がなくて中止。こんなところにも計画性の無さがもろに現れてくるようだ。
中華街はご多分にもれず人、人の行列。一区画をブラブラと歩いてみたが、商品は違うが、丁度、秋葉原を歩いてい る感じで、構えも同じような店が多い。しかし、歩くのには難儀した。というのは歩道の敷石がガタガタでおまけに歩道ま で商品を並べているので狭くて人一人がようやく歩ける程度。足の不自由な私にとっては大変な目に遭う、結局、何処が 泥棒市場なのかはわからずじまいだった。
そうこうしているうちに昼食時になり、中華街の一角にあるホテルに入る。ここで中華料理を注文するが値段は全て時価という代物で、一体いくらとられるか、ちょっぴり心配になる。しかし、ここはひとつ太っ腹でということで3品を注文する。美味かったなー。おまけに目の保養(写真参照)もできたし、最高!。
●ヤムタイ見物
ホテルでひと休みをして、夕食をとりに日本食街に出かける。これほど日本人向けの店が並んでいるとは知らなかった。日本語の看板が乱立し、一瞬、ここは日本?という感じである。食事を終えて女性軍とまた離れて(一人女性参加)、ヤムタイを見物するため歩きはじめる。誰だ、歩こうといったのは。3キロ以上は歩いた勘定で、途中2回も休憩をとって、会場へようやく到着。場所は結構、暗くて寂しいところにあり、一人歩きはちょっと危ない感じである。会場近くにはダフ屋が群がり、後楽園のある水道橋駅前を思い出させる風景であった。
結局、会場前にいたダフ屋から入場券を購入する。そうすると写真にあるようなワッペンをくれる。これが入場券で胸に 貼っておくと出入りが自由らしい。
会場ではすでに試合が始まっていて、ものすごい歓声が館内に響き渡っている中、リングサイドに案内される。リング サイドは観光客で一杯。試合中は例のチャルメラみたいな楽器でタイの民族音楽?が演奏されて、観客はすでに興奮状 態。地元の連中は賭けているらしく手振りで胴元に連絡しているみたいだ。
さすがはリングサイド、選手の汗が飛んでくる。この熱気でこちらも次第に興奮してくるが、選手たちの中には家計を助 けるため、この世界に入る者もいると聞く。何か悲壮感が漂う感じがしないでもなかった。最後まで見たかったが、「タク シーが拾えないかも」ということで途中退場し、帰路につく。
●BTS乗り放題
自由行動2日目は最初、映画にもなった「戦場に架ける橋」を見に行こうということで、ホテルのインフォメーションで聞 いたら、すでに列車は7時過ぎに出てしまったらしい。列車の本数が少ないのでこれを逃すと日帰りは不可能ということ であきらめる。それではということでホテルの目の前を走っているBTS(高架鉄道)を乗りつぶしてしまおうという計画を 立てて、即実行。乗り物オタクとしては最高のプレゼントである。
 | このBTSは最近完成したらしく、まだまだ延長するらしい。経営も国鉄ではなく公社経営と聞 いた。乗客もどちらかといえば裕福層と思えた。(運賃が高い?)なにしろ冷房がきいているの が最高である。いちいち切符を買うのが面倒なので一日乗り放題のカードを買う(写真)。これ で何処まで行っても、途中下車してもOKである。
驚いたことに、この電車の静かなこと。はじめは札幌の地下鉄のようにタイヤかなと思った が、レールを走る電車で、さすがはドイツ製と感心する。走行音、モーター音がほとんど出ない 車両である。おまけに電力は第三軌条から取る方式なのでパンタや架線の引き回しが無く、す っきりとした景観である。 |
系統は2系統あり長い線と短い線が途中駅で交差するようになっている。ちょうど、銀座線と丸ノ内線が交わる赤坂見 附みたいなものである。これを高架で行うだから高速道のジャンクションのように壮観な眺めであった。また沿線の途中 に戦勝碑(ロータリーになっている)があり、ここからの眺めも見事なものであった。
夕食はホテルの地下にある日本食のレストランで食事をする。従業員は全員タイ人でしたが、全員着物を着ていて愛 想がよい。変な調子で「さくらさくら」を歌うので歌詞をローマ字で書いてやり、正調「さくらさくら」を教える。本当にタイの 人たちは人なつっこい連中が多いようだ。しかし、中には悪い奴もいるらしくNHKの海外向けテレビで用心しなさいと伝 えていた。
いよいよ、明日はタイともお別れの日になります。
◆帰国の途へ
バンコクで5日目の朝を迎える。8:40発JL708に乗るため5時に起き、あらかじめ買い込んであった朝食もそこそこにホテルのロビーに集合。親切で人のよいガイド(みんなでスーさんと呼んでいた)とも今日でお別れ。例のバンに乗って空港へ向かう。バンコク国際空港は滑走路が2本あるが1本は軍用で林の向こうに見えた。途中、国鉄としばらく並行して走ったとき夜行の国際列車?がバンコクに向けて走っているのを目撃。例のオリエンタル急行だったかもしれない。時間があれば乗りたかった乗り物である。
この空港は意外と閑散としていて何事にもゆったりと時が流れているような感じである。離発着機も羽田・成田のように 何機も行列することはないらしい。思い出したように離発着していた。今日は昼行きなので、みんなに頼んで窓側に座ら せてもらい沖縄あたりまで外の景色を十分堪能した。
成田には16:35の到着が5分程度遅れて無事着陸。銚子沖まで15分ほど早く到着したのだが、順番待ちなのかホー ルディングに引っかかり、旋回の連続。楽しーい!
入国審査は無事通過。次に税関の前を通過しようとしたら「荷物はそれだけ、観光旅行をしてきたのでしょう」と尋 ねられ、一瞬、別室かなという思いが頭をよぎる。その時はカメラだけしか持っていなかったのだ。「はい、そうです」と返 答したらそのまま通過できホッとした。後ろにお母ちゃんが2人分の荷物を引っ張っていたので夫婦者とわかったらし い。
成田で2時間くらいの待ち合わせの間に軽く夕食を取り、18:30JL565便(機種は最新鋭のB777)で千歳へ向か い20:00頃、千歳に到着。今日は千歳空港内にあるアーバンホテルに宿泊して旅の疲れをとり、翌朝、雪が残る高速 道を我が家へと向かう。昼過ぎ、寒い士別に無事到着した。
初めての海外旅行の挑戦は怪我、病気をすることもなく無事終了したが、これに味を占めて次回は台湾か韓国あたり を観光したいと考えているが、今この旅行記を書いていると再度タイへ行きたいと思うようになっている。暑いが、何かし ら惹かれるものがタイにはあります。
それにしても今回の旅行で、はっきりしたのは足があれほど弱くなっているとは思いもよらなかった。そこで次回の旅行 までに足腰を丈夫にして挑戦すべく、毎日、自転車に乗ることにし、最低20分以上乗ることを決意した。現在も三日坊主 にならずに実行中。たまには10キロ以上走りまくっている今日この頃です。
[おわり]
|