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3月11日
昨年4月に中欧旅行に行ってから、久し振りに海外旅行へ出かけた。今回はヨーロッパの最西端の国ポルトガルを観光してきた。旅行社は昨年と同じ会社で、比較的ゆったりとした日程なのでリタイア組にはうれしい。
我が家を8時30分頃出発。途中旭川で仲間を拾い、一路千歳に向かう。千歳空港のインターはどうもわかりづらい。案の定、間違ってしまったが、ナビの案内で無駄道を通らないで無事駐車場に到着。ここでさらに2組の仲間と合流して、空港ターミナル内の食堂で昼食を摂る。
その後、14:20発のJL562便で成田に向かうが、放送で成田の横風が強く、羽田にダイバートを条件に乗り込む。もし羽田に降りたら、なんのために成田を頼んだのか意味を持たない。羽田〜成田間の移動は旅行用の大きなバックを持っているので心配したが、機は無事成田に到着。後で聞いた話では8便ほどが羽田に降りたそうな。成田も早く横風用の滑走路を運用できるようにして貰いたいものだ。
いつものように成田で前泊する。日程表を見ると千歳からヒースローまでは前回の中欧旅行と全く同じコースである。前泊したホテルも成田空港に一番近い日航ウィンズ成田である。ここから明日、出発する第2ターミナルが目と鼻の先ぐらいの距離に見える。ホテルから直接歩いて行ける感じである。

これだけの飛行機が翌朝見ると全て何処かへ飛んで行ってしまった(成田第2ターミナル)
3月12日
5時過ぎには起床し、外を眺めるが到着機は1機も飛んでこない。そうそう成田は6時過ぎでなければ離発着できなかったことを思い出した。6時少し前から金魚のウンチみたいに列をなして降りてくるのが見える。恐らく銚子沖でホールディングしていたと思われる。
昨年も見たのだが真っ白のA300が降りてきた。昨年は新しい会社へフェリーするため真っ白の塗装だと思ったが、今年も同時刻に降りてきた。どうも定期便らしいが何処の会社なのか不明。余りにもあっさりしすぎである。
目の前に第2ターミナルがあるのに大回りしてバスでターミナルに向かう。ここで思わぬ人に出会った。昨年4月にヨーロッパ旅行をした時の添乗員Tさんと再会する。女性軍は思わず互いに抱き合っていた。彼女はオーストリアに行くとのことであった。

1年ぶりの再会に喜ぶ女性軍と添乗員のTさん ロンドン行JL401便747−400
12:00発ロンドン行JL401便はほぼ定刻にブロックアウトし、横目で北海道を見ながら?(実際は見えません)一路大圏コースたどり、予定より早くヒースロー空港に到着。しかし、タクシーウエイで30分以上待機させられる。401便が入るスポットに777が駐機しており、それを追い出してようやく乗り継ぎのロビーにたどり着いた。

ユーラシア大陸の東端。ここからこの大陸の西端まで飛ぶことになる(左写真)
前席に備え付けのディスプレイに現在の飛行状態のデータを映しています。3チャンネル(中、右写真)
また、この機は現在の真下の様子も見ることができます。何気なくこれを見ていたら、珍しい写真を撮ることができました。我々と同じコースを飛行する747?です。後で調べたら関空から飛び立ったロンドン行きのJL機らしい。こちらの方が少しスピードが早く、画面一杯を5分程で追い抜きました。ヒースローで待機していた時、我々の横のタクシーウエイをすり抜けてスポットへ一足早く入って行ったJL機がありました。もしかして、あの時、追い越したジャンボ機かも知れません。

真下のジャンボ機を追い抜く ヒースローで喫煙室へ駆け込む ポルトガルへ向かうTP5189便
煙が目にしみる。 日本ではお目にかかれないA321
このタイプの座席は革製らしい
ポルトガル国営航空のCAはタクシーウエーを走っている時でも歩き回っているのには驚いた。急ブレーキをかけたら完全に吹っ飛ばされるに違いないのにと、人ごとながら一寸心配。
おまけにパイロットはポルトの空港で暴走していた。タクシーでは加速し、曲がり角で急ブレーキ。そしてまた急加速。まるでオートレースの感じである。クルーはよほど早く帰りたかったかなと思ったりする。この空港は現在建設途中で、完成すれば立派な空港になりそうな感じである。
また、ポルトガルという国は喫煙王国ということが、この空港でわかった。あちこちに灰皿がおいてあり、道路には吸い殻が一杯落ちているのを発見。 この大型バスにたった11人 ラッ キー!。23時頃にはホテルに無事到着。明日からの観光のためにぐっすりと寝る。
3月13日
本日は朝9時からポルト市内観光とポルトから北東へ約60キロに位置するプラガ観光である。我々が宿泊したホテルはノボテル・ガイアというホテルでヨーロッパでは最近多くなってるらしい。三つ星クラスである。
ホテルでの朝食は至って簡素なものでこのようなビジネスホテルの食事はヨーロッパの主流になっているらしい。それでもコーヒーが飲み放題なのは助かる。
今回の旅行団は添乗員も入れて11人という少人数で、おまけに配車されたバスは大型である。このような少人数でも旅行会社はペイするのかなと人ごとながらちょっと心配。9時には早速ポルト市内観光に出発。大寺院・サンフランシスコ教会・エンリケ航海王子像・ワイン工場等を見て回る予定。
昼食はジャガイモをベースにしたスープ「カルド・ヴェルデ」を食し、祈りの街プラガへ向かう。バスに乗って気がついたのだが、郊外の交差点はほとんどがロータリー方式になっている。なるほどこの方式であれば出会い頭の衝突事故が減ると思われる。ただしロータリー部分を設置する分、土地がいくらか必要であるが、土地が余っている北海道ではこの方式を是非取り入れて貰いたいものだ。
当地の高速道網は良く整備されており、縦横に走っている。バスは日本のETCと同じものを乗せており、ゲートはフリーで通過していた。この方式の導入ははヨーロッパではポルトガルがいち早く取り入れたらしい。
夕食は「タコの炊き込みご飯」という代物。ご飯と言うからジャポニカ米を想像したが、やはり出されたのは長い形のパサパサの米であった。欧州ではタコは食べないと聞いていたが、メニューにあるくらいなのだから地方によっては食べる習慣があるらしい。味は今ひとつかな。
3月14日
 本日はポルトから70キロ南下したところにある水の都といわれているアヴェイロへ立ち寄り、さらに60キロ南下して、ポルトガルの文化の中心といえる大学の街コインブラ観光へ向かう。 何しろポルトガルという国は小さく、(日本の1/4)長距離を走ることがないので観光地の移動は楽である。 サッカー場 2泊したノボテルホテルとも今日でお別れ。
アヴェイロで昼食をとり、コインブラへ向かう途中で2004ユーロサッカー大会用の真新しいサッカー場を見ることができた。
コインブラの観光も終わり本日の宿泊地であるブラガンサ・ホテルに入る。このホテルはコインブラ駅のすぐ隣にあり、部屋から駅ホームがよく見え、窓から人の流れを見ていると飽きない。
このホテルは相当古いようでエレベーターはドアを自分で手前に開ける。普通はカゴにもドアがあるのだがこれにはない。従って動いているカゴから直接壁を触ることができる。危険この上もないが、現地の人たちは慣れているのか平然と乗っていた。
アヴェイロへの道路標識

普通と速達?のポスト この国は鉄製の鎧戸が 市内の交通機関はトロリーバス
必ず設置している。 が主力らしい。
3月15日
今日はファティマ、バターリャを経由してナザレへ向かう。最初に向かったのは3人の羊飼いの子供たちが聖母マリアから お告げを聞いたという聖地ファティマである。この奇跡は比較的新しく1917年のことという。すでに2人の子供は早世したが、ルシアだけ現在もコインブラの修道院で健在という。
マリアからのお告げの通りこの牧草地に広大な礼拝所を作り、聖地となったという。現在もたくさんの信者が続々とお参りに来る聖地となっている。
現在の法王もこの地を訪れていて、今も一人生き残っているルシアと会っている写 真があった。最後のお告げは彼女自身が知っているのみでどのような奇跡を行うのか門外漢の自分にとっても興味がある。一説によると法王の暗殺のことをいうらしい。
3人の子供たちの像 次に訪れたのはバターリャである。ここではユネスコ世界遺産であるサンタ・マリア勝利修道院を見学した。ここにはエンリケ航海王子の棺が納められている。
 バスでポルトガル各地を見て気がついたがこの国は荒れ地が多いことに気がついた。山肌は石灰岩が多く、灌木が細々と立っているのみである。(左写真)
帰りのリスボン空港から飛び立った飛行機から見た耕作地も水が不足しているようで散水のために円形の耕作地が目立つ。おまけに井戸水が枯れたのか円形の荒れ地も散見できた。このように土地なので主要産物に葡萄酒があるのかもしれない。
最後に本日の宿泊地であるあるナザレへ向かう。この街は漁業と観光の街で大きく海岸地区と高台地区に分かれている。もちろん道もあるがホテルから見ると両地区を結ぶケーブルカーが運行されているのを見ることができた。

我々が宿泊したホテル 海辺と高台を結ぶケーブルカー オ・シティオから海岸を望む
ホテル前にデンとバスが駐車
今日はここで宿泊。比較的時間に余裕があり、海岸や街を散策することができた。ここナザレではおもしろい民族衣装を見ることができた。ペチコートを何枚も重ねたミニスカート姿である。色もカラフルであるが、連れ合いが亡くなると黒色の衣装に変わるらしい。
3月16日
本日はオビドス、シントラ、ロカ岬の各地を巡り、首都リスボンへ向かう。ホテルはポルトで宿泊したノボテル系のホテルである。
今日、最初に訪れたのはナザレから40q南下したオビドスである。「谷間の真珠」と呼ばれる小村である。この村は城壁に囲まれ代々女王の直轄地として守られてきたという。この村の住宅は住宅の縁に黄色とか青色とかの色を帯状に塗ってある。これでオビドスという名が付いた?。
次に訪れたのはシントラとロカ岬である。シントラはバイロンが「エデンの園」と称えた世界遺産にも登録されている王宮を見学する。この王宮の特徴は遠くからも見える2本の煙突である。はじめは暖房用かなと思ったら、中に入ってみると調理場の煙突であった。一種の換気口の役目をしているらしい。
続いてカモンイスが「ここに地果て、海始まる」と言ったヨーロッパ最西端のロカ岬へ向かう。ここでユーラシア大陸の最西端に来たという証明書をもらうことができた。すでに旅行社が名簿を送ってあったのですぐにもらうとができた。(左写真)
ここまで来るとリスボンは目と鼻の先であるが、ホテルのチェックインには少し時間があるのでカスカイスという港で時間調整をする。この港のヨットハーバーにはリスボン船籍のヨットで一杯である。近くには昔の城塞あり、今も軍が駐留していて兵隊がぞろぞろ歩いていた。 最西端到達証明書
夕方にリスボンのノボテル・ホテルに到着。ポルトで宿泊した同じ系統のホテルとは思えないくらい大きなホテルであった。(右写真)
我々はここで2泊することになる。連泊すると荷物を毎日片づける必要もないので肉体的にも精神的にも楽である。
夕食は海鮮料理のレストランへ案内される。えび、かに、各種の貝など食べ放題である。おまけに果物のおまけまで付いていた。皆さんこのときとばかりとむさぼり食べていた。
 |  |  |  | | さあこれから食べるぞー | 量もさることながら味もグー | 注文すればこの通り | あっという間にペロリ |
3月17日
今日は半日の予定でリスボン市内の観光をした後、午後は自由行動という日程である。バスで観光したのはジェロニモス修道院、サン・ロッケ教会、海洋発見記念碑、アルファマ地区、レスタウラドレス広場、ボンバル広場、ロッシオ広場などである。さすが首都だけに街の規模も大きく、人も多い。ここで驚いたのは急に日本人観光客が増えたことである。聞いた話ではスペインから国境を越えてリスボンだけを観光して、スペインへ戻るというコースが多いので一気に日本人が増えて見えるらしい。なるほどリスボンからの帰りの飛行機にはあまり日本人らしき観光客はいなかった。
午後からの自由行動では念願であった乗り物に挑戦する。あらかじめ一日乗車券を買い求めたので、これでリスボン市内の交通機関は乗り放題である。まず乗ったのは狭い路地を走る市電28番線である。しかし、この市電に乗るとスリの集団に囲まれてしまい外の景色を見物する暇もない必死の状態になった。現地のおばあさんが親切に袖を引っ張って気を付けろと目配せしてくれたは有り難かった。スリの連中も途中であきらめて下車して行ったが、肝心の狭い路地を走るところはチラッとしか見ることができなかったのは残念。
市電を降りてから気を取り直して今度はエレベーターを乗りに行く。この施設は展望台になっていて屋上にはカフェになっているらしい。らしいと書いたのは高所恐怖症の私はエレベータを下りたところで足がすくんでしまい動けない状態になったからである。他の連中はさっさとらせん階段を上って街を見物していた。しかし、いつまで経ってもなかなか降りてこない。後で聞いてみるとアイスクリームを食べて悠々と見物していたらしい。こちらはエレベータの横でしゃがんでみんなを待つ始末で、おまけに暑いので帽子を脱いで手に持っていたら次から次へと来る観光客に乞食と間違われ散々な目にあった。
次の乗り物はケーブルカーである。これも市電と同じ構造であるが、急坂用の電車でおしりが持ち上がっているタイプである。後は地下鉄を乗る予定でいたが目的地が見つからなかったので中止して、タクシーでホテルに帰ることにした。また、自由行動の時間まで添乗員のSさんに付き合ってもらい大変お世話になった。彼女に改めて感謝!
夜はオプションの「ファド・ディナーショー」へ出かける。ファドという歌は日本で云う演歌、パリのシャンソンみたいなもので哀愁をおびた歌である。一曲聴いただけでファドファンになった。食事をしながら民族衣装を着た踊りと楽器の演奏が興を添えていた。ファドの歌詞はもちろんポルトガル語なのでよくわからないがガイドの人に聞くと他愛のない歌詞だという。
11時過ぎにはファドの余韻を残し、ホテルへ帰る。明日はいよいよい日本へ向けて帰国である。母ちゃんは荷物の整理に余念がないが、私はさっさとベットに入ってぐーぐーと高いびき。これで今日の日程は終了した。
ファド・ディナーショー
3月18日
今日は来た時と同じの逆コースをとり、帰国の途に着く。14:40発TP5156便でヒースローに向かい、19:00発JL402便で成田行きのB747−400に乗り込んだ。ヒースローでは乗り継ぎの時間がなく一服する暇がなかった。従ってリスボンから成田までの約15時間以上、禁煙状態が続いた。これだけ我慢できれば世界中の飛行機に乗れるという自信がついた。とにかく東回りは時間が経つのが早い。夜になったと思ったらすぐ夜明けがくる。このような時間経過では時差ボケが出てくるのもうなずける。
リスボン空港ターミナル前
3月19日
定刻15:50着より若干遅れて成田に無事到着。夕食を軽くターミナルでとり、18:30発JL565便の千歳行きに乗り継ぎ、いつものアーバンホテルには20時過ぎには到着。遅い夕食と打ち上げをホテルのレストランで行い、ぐっすりと眠りについた。
3月20日
ホテルで朝食を済まし、駐車場から迎えを頼み、一路高速道を走って無事我が家に到着。やれやれという感じであるが、また時間が経つと旅行に行きたいという虫が騒ぎ出す。今回は日本と最初に西洋と付き合ったポルトガルを訪れたということで意義のあった旅行であった。
ーおわりー
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