さよならYS−11フライトツアー
 2002年6月29日〜30日
●いきさつ
今回息子からのメールに「お父ちゃん飛行機関係の面白いツアーがあるよ」ということで、さっそく全日空トラベル 北海道(株)へ電話で申込みをする。すでに2週間前ということであまりあてにしていなかったが、まだ定員一杯になって いないらしく、すぐに参加OKの返事をもらう。旅行代金を支払い、その案内状を見たら6番目らしい。これでは定員を確 保できるか怪しいものだと思ったが、後で旅行社に聞いたら尻上がりに申込みが増え、定員をオーバーしたとのことで あった。
◆6月29日丘珠へ向かう
紋別へは上紋峠を越えれば1時間余で着くが、今回はわざわざ丘珠へ行き、YS−11に乗って往復するというお金と 暇がなければ決してこの様な遠回りはしない。これも年金暮らしの特権かもしれません。
士別を7時過ぎ出発。高速道をひたすら走って9時30分には丘珠の出発ロビーに到着する。旅行社のKさんだけ旗を 持ってひっそりと椅子に腰掛けていた。一番乗りらしい。
●丘珠−紋別 ANK139便 待つこと1時間。全員が揃い、会議室で今回のツアーのスタッフが紹介され、その後、予定外ということであったが、ANKの運行管理室に案内される。ここでは機長とディスパッチャーが運行についての最終チェックをする所である。普段は見学が難しいところです。
定刻の11時20分にYS特有のダートエンジン音を響かせながら南側から離陸。さすがジェット機並の上昇とはいかず、ゆっくりと上昇していく。眼下には札幌の街並みが広がり、しばらく石狩川と平行して飛行する。飛行ルートはV8という航空路をたどり、紋別に向かう。このコースは丘珠から紋別までほとんど一直線に引かれており、途中、旭川空港の無線標識(VOR)を通過する。
紋別空港は正式名「オホーツク紋別空港」というらしい。たしか帯広空港も「とかち帯広空港」という具合に、冠を付 けるのが流行らしい。さしずめ丘珠空港は「タマネギ丘珠空港」は如何だろうか?冗談です。そのタマネギ畑も空港の 拡張工事や住宅が建ち始めていて無くなりつつあります。
紋別に近づくと有視界飛行(VFR)?に切り替えたらしく、我々のために大回りして空港に進入する。コムケにあった旧 空港とサロマ湖を見物して無事着陸。2000メートルの半分を使用して直接エプロンへ。
 空港にはすでに北紋バスが待っており、まずは空港を一周して施設を見学。同時に空港事務所の航空管制技術官がバスに乗り込んで施設の説明をする。途中、エプロンの反対側のポイントで折り返し便を撮影。さすがに今回の団体は皆さん、飛行機オタクらしく立派なカメラと望遠レンズを持っている。うらやましい限りです。 空港施設は真新しいが、進入灯などは華奢な感じを受ける。
航空管制技術官の説明 紋別VOR/DME 電波灯台の一種。
北米からの外来機が最初にこのVORを
目指す。このルートは大韓航空機が撃墜
されたコースとほぼ同じです。
昼食はデっかいホッケのひらきを食し、その後、今回のツアーで唯一、飛行機に関係のない流氷科学館とオホーツクタワーを見学する。ここはすでに見学済みであったが、付き合うことにする。このあとホテルに入りスタッフの講演会に臨む。
ホテルに入ってすぐにノートパソコンを広げてメールのチェックをするが、どうも電波が弱くて、ブツブツ切れてしまう。元々弱い出力なのでもう少しアンテナの間隔を狭くしてもらいたいものだ。
「まるとみ」で昼食
●ANKクルーと整備士との講演会
紋別で一番大きな「紋別セントラルホテル」に到着してまもなく講演会が開催された。最初に主任整備士のTさんの整備の貴重な話に耳を傾け、次いでCAのNさんの飛行機大好きの話を聞く。最後に機長のMさんの面白い経験談を時間オーバーで手振り身振りを交えて話をしてくれた。時間が足りなくて「大空はロマン」になかなか持っていけず苦笑していた。
人間がそもそも三次元を移動するようには作られていないはずであるが、大空のあこがれはイカロスの物語からあって、機長が言うように空にはロマンがあることに違いはない。 司会役のANKのTさん
しかし、一度飛び上がれば必ず降りなければならない現実を見ると誰でも気軽に挑戦することは不可能である。元々 人間は二次元の世界にいるわけで、飛ぶためにはそれなりの訓練と慣れが必要なのでしょう。鳥にはバーディゴはあり 得ないが、人間にはこの状態によく陥るらしい。原因は三半規管が二次元用に発達したためかもしれないが、私にはわ かりません。
●夕食会と大抽選会
講演会の終了後、まもなく夕食会になり豪華?な料理に舌鼓を打つ。食事の合間に抽選会が行われ、ピンからキリまで空クジなしの抽選会。
運良くANKのドルフィンが入ったジャンパーを引き当て、ありがたく頂戴する。着用してみると丁度ぴったり。このような手合いは意外と小さくて着られないものが多いが、今回は大きめのが当たった。感謝!
昼食時はM機長が横に座り、また夕食にはT整備士が横に座り、(感激!)いろいろと現場の話を聞くことができたことは一生の思い出になった。お二人には感謝感激です。
まだまだ聞きたいことが山ほどありましたが、一人で独占しても皆さんに悪いので、この後は部屋に戻り、本日の出来 事をメールに書いて送り、ぐっすり就寝。
◆6月30日丘珠へYS機によるラストフライト
今日は139便の折り返しに乗るため、11時までゆっくりと部屋で過ごす。ちょうどWOWOWで面白い映画をやってい たので瞬く間に11時の集合時間になり、バスで紋別空港に向かう。
なんと言っても本日のハイライトは整備工場の見学である。普段は余程でない限り、見学は無理な場所で、しかもYS を好きなだけ触っていいとのこと。
139便は定刻に紋別に飛来し、空港をパスして一旦海へ出て最終コースに乗り北側から着陸。少し行き足が長くなったためか昨日のように直接エプロンへは回れず滑走路上で回ってエプロンに入った。M機長にランウェイ上のUターンはOKなの?と質問したところ、回ることができればいいらしい。今までは必ずターンパットまで行くのかと思ったが、認識不足であった。
着陸するとラストフライトということで、簡単なセレモニーをエプロン上で行っていた。UHBの取材クルーも同乗してきたらしく、さかんにビデオカメラを回していた。
139便、紋別空港へパス
送迎デッキでお爺ちゃんとお婆ちゃんに連れられて、目のクリッとしたかわいい男の子が飛行機を見物していた。何か と話しかけたら、飛行機の誘導を見て「あれはマーシャラーというんだよ。こっちへ来いというんだよ」得意気にイワ ハッタではないか。これには唖然としました。「年は?」と聞いても正確には答えられない様子。なんと2歳ということで、 末恐ろしい子供ではありました。
座席は11Dをもらい、わが士別が見えることを願ってYSラストフライトに搭乗。RW14からの離陸。左旋回で海に出 て、飛行場をパスすることなく紋別市街上空へ。最後の飛行ということで紋別市に「サヨナラ」の挨拶をするため?大回 りしてエンルートV8に乗る。滝上まで国道に沿って飛行し、岩尾内湖を見ることができたが、残念ながら士別はシーリン グが悪く見ることができなかった。
定刻に丘珠に到着し、念願の格納庫へ案内される。格納庫はANK専用ではなく間借りみたいで、各種の軽飛行機が所狭しと並んでいた。その中にYS−11がすべてのドア、点検孔を開いて我々を待ち受けていた。
ここでは整備の人たちが親切に応対してくれて、とても有り難かった。また、念願のコクピット席に座ることもでき、初めて操縦輪を実際に動かしてみたが、油圧を使用していないため、とても舵が重く感じられた。YSはすべて人力で各舵を動かすとのこと。実際には相当な腕力がないと飛行させることができないかもしれません。
見学の途中に救命具を実際に身に付けて膨らせました。いつも飛行機に乗る度、説明を受けるのですが適当に聞き流していたバチが当たり、身に付けるのに一苦労。ひもを引っ張るとバンという大きな音を立てて膨らみ、思いっきり首を絞められて、これまたビックリ。これもいい経験になりました。ANKさん有り難う。
今回のツアーを通じて感じたことはこの様な企画を立てたANKと戦後初めての国産旅客機の思い入れが一緒になっ た、それは素晴らしい企画であったと確信しています。元来、飛行機は好きな私ですが、とくにYSに対してはそれほど愛 着があったわけでなく、今回のツアーで「YS大好き人間」がこれほど集まり、話ができたことは素晴らしい思い出になる ことでしょう。この様な企画があれば次回も是非参加したいものです。
これでYS−11に搭乗したのは国内航空時代に旭川−羽田間(3時間45分もかかった)往復、海上自衛隊の体験 搭乗、石垣−与那国往復と今回の丘珠−紋別往復の7回搭乗したことになる。
◆2003年8月24日 追補
今年になってANKのYS−11が次々と退役していき、あと数日で道内から消え去る運命にある。残るはJACのYSを
残すのみとなった。
今年の5月からYSの乗降口に「さよならYS−11」というシールを張りつけて飛んでいるが、その本物のシールをダ ートMK機長の紹介で手に入れることができた。
全部で34枚しかないレアものである。自分の部屋に飾って大事にしたいと思う。何十年後には相当な価値が出るよう な予感がする。
 部屋に飾り付けたシール。下の写真は「YS−11さよならツアー」時の写真
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