昭和三十年代の蒸気機関車


士別駅のC55型このころ日甜まで引き込み線がありました。
塩狩峠ではいつも和寒か蘭留に補機がいて後押しをしていました。
それでも降りて押したくなるようなスピードでだったナー。

   
自信はありませんが午後1時過ぎの稚内行きだと思います。
朝、名寄を5時過ぎに出発する普通列車は仁木まで走っていました。
なぜ仁木行きなのかは未だにわかりません。

   
当時は荷物車、郵便車が連結されていました。チッキという輸送方法を知ってますか。

    
貨物列車を引くD51型SL。煙を吐いて勇ましいが沿線住民は洗濯物が汚れて大迷惑。

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