趣味のコーナー(2)
アマチュア無線編

OSCAR 6,7号をこのアンテナで衛星を追跡しまし
た。このシステムは方位はもとより仰角も変えることが
できましたが、追跡はチャートを見ながら手動作でし
た。一方、電鍵も叩かなくてはなりませんでしたので手
が何本あっても足りないくらいでした。
シャック全体。雑然としています。性
格がもろにでている感じです。上段
はリグ関係。下段はRTTYやSST
Vの付属品です。すべて自作品で
す。キーボートも作りました。

 大学時代、1960年頃であるが、寮にアマチュア無線のリグを持ち込んで交信をしていた後輩がいた。彼は工業高
校出身で高校時代に免許を取ったらしい。当時のリグはすべて自作で電波監理局の検査を受けて初めて電波を出せる
時代であった。もちろんJA0××/1の二文字コールサインである。彼の楽しそうな交信を見ていて、この世界に興味
を持ったきっかけである。その後、就職してすっかり忘れていたころ、当市のアマチュア無線クラブが養成講座を開催す
るということで受講して電話級を取得。1974年のことであった。当時の試験はすべて記述式で今の試験と比較するとえ
らく難しかったことを記憶している。初交信は21メガSSBで秦野市の局との間で冷や汗を流しながら交信したことを覚
えている。

 その後、電信級、2アマと上級を目指し、最初の頃は夜も寝ないで交信したものだった。一番面白かったのはSSTV
と衛星通信であった。SSTVは10数秒かけて1枚の画像を相手に送るというものであるが、ノイズ混じりの画像が送り
返されてきた時には感激した。また、衛星通信はAMSATの会員となり衛星から送られるテレメトリー(CW)をワシント
ンAMSAT本部に送り続けたものだった。交信範囲はアラスカ、ハワイ、オーストラリアまでカバーしていた。

 交信証は1万枚近く、現在も大事に持っている。局免も流さずに持っている。暇ができればパソコンによるSSTVを再
開したいが、今はパソコンをいじっているのが一番楽しい。
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