7月〜9月
2002年07月01日


 6月29日から30日にかけて「さよならYSフライトツアー」に参加してきました。国産のYS−11がこれからどんどん退役します。ANKでは手始めに紋別、釧路便が7月1日からDHC−8に機種変更になり新会社が立ち上がります。
 
 それにちなんで上記のツアーが企画され、参加してきました。わざわざ士別から丘珠に行き、紋別までYS−11の往復飛行を楽しんできました。詳細についてはいずれ「雑感」で公開します。




2002年07月10日


 台風6号が本土上陸を狙っています。被害も出ているようで、各交通機関も混乱しているみたいですが、東海から関東にかけてもしかすると上陸するかも?このあと追いかけるように7号が日本に向かっています。コースも似たようなコースを辿っているようです。台湾近海の8号は何日あの辺にいるのか、もう1週間以上うろうろして台湾の人たちのイライラも最高潮でしょう。6号に吸収されると思ったのですが、6号を追いかける形になりそうです。これで日本には三連発で台風が襲うことになりそうです。(5号を入れると四連チャン)

 5号では北海道に寒さを引き込みましたが、6,7号で蹴散らせてもらいたいものですが、どうも今年の太平洋高気圧は弱いらしい。丁度、秋の台風と同じコースを取っているようです。夏台風は迷走して大陸に行くのが多いのですが・・・

 ところで台風には名前が付いているのをご存じですか。一時廃止されていたのですが昨年?から号数と名前が付いています。昔は女性ばかりの名前でしたが、現在は男女の名前をアジア各国の呼び名で設定することになっているようです。さしずめ日本名であればTARO、HANAKOですかね。

 ちなみに6号はCHATAAN、7号はHALONG、8号はNAKRIと呼ばれています。(一体どこの国の名前?門外漢には一寸わかりません)


2002年07月15日


 士別神社のお祭りが14日〜16日まで開催されています。士別に住んで初めて、お祭りの行事をじっくりと見ました。御神輿はトラックに載せてただ走り回ると思いきや、大通りでは御神輿を担いでいるのを見ることができました。隊列も相当長く40番の札をつけたジープを見ましたので相当長かったようです。


 
夜店は年々規模が小さくなっています。今年は50軒くらい?


担ぎ手は皆黙って担いでいて異様な雰囲気。
ソイヤッとかワッショイとかかけ声が欲しい。

  
女性も多数参加していました。担ぎ手は士別でもご多分にもれずいないらしい。
ブラスバンドは自衛隊、中学校2校、士高の参加。
そのほか幼稚園児、稚児さん、つくも太鼓、その他と長さだけでも結構な行列でした。

 前にいた岩内のお祭りと比べると元気なのと派手さはやはり浜の方の勝ち。海辺のお祭りはどこでも派手なようです。奴さんの胴回りにはご祝儀で一杯。神社に帰ろうとしても見物人が「もどれー!もどれー!」のかけ声でなかなか神社にもどれない御神輿を今は懐かしい。


2002年07月15日


 また航空機事故が発生しました。先週末に乗ってきたばかりで驚いています。今度はTu−154とB−757がドイツとスイスの国境ちかくで空中衝突したとのこと。昨年のJL機同士のニアミスが思い出されます。南北行きと東西行きでは高度差があるのに・・・。素人にはわかりません。

 奇しくも衝突防止装置(TCAS)の義務化で、経済的理由からYS−11に搭載できずに次々と退役をする中で、「さよならYS−11ツアー」に参加してきたとたん衝突事故が発生して、これまたビックリ。

 管制ミスかどうかは不明ですが、いっそのことコンピュータに任せたらうまくいくかも?現実的には運転手のいな「ゆりかもめ」とか運転手は乗っているが何もしない「大江戸線」が衝突したとは未だ聞いたことがない。ヒューマンエラーをなくすことはできないのであれば機械に任せるより仕方がないかもしれない。 しかし、機械にコントロールされるのは人間を辞めるに等しいのかもしれません。


2002年07月21日


 市内の高校で実習販売会が19日前夜祭(行灯行列)、20日、21日の両日が実習販売会と予定通り実施されました。次第に間口が減少していく中での実施です。コースも約半分になりました。(今までの雨天コース)

 行灯は1年2クラス、2,3年3クラスの合わせて8基の行灯で寂しいものとなりました。完成年度にはたった6基の行灯しか行進しません。それでも生徒諸君は精一杯頑張っていたようです。売り場も縮小の方向みたいです。
 

1基だけ陰に隠れていますが、寂しくなりました
順位は24日までのお楽しみです


2002年07月25日


 徒然日記のページを少し変えてみました。このまま続けると長くなりますので、四半期ごとページを新しくするように設定を変えました。

 またまたデジカメを買いました。これで4台目になります。こればかりはビョウキです。CASIO QV4000という代物で、400万画素の中では一番安かった。しかし、このモデルも近々モデルチェンジかな?少しでかいので始終持って歩くというわけにはいかないと思いますが、欲しくなったらカードを持って買いに行く性格はなかなか直らない。カードは恐ろしい!
 このカメラの気に入ったのは400万画素よりも、マニュアルでいろいろと操作できること。簡単にパノラマ写真を繋ぐことができるということ。星空を写すことができること等が気に入り、購入の動機となりました。

 6月30日に「さよならYS11フライトツアー」に参加し、雑感にそのリポートを載せましたが、今月号の「エアワールド」という航空雑誌にもそのリポートが載りました。2ページ分をモノクロですが特集しています。
 私は全員を写したところにいるのですが、あまりにも小さくて本人でなければわかりません。写真を見ると今の若者は背が大きいですね。一段低く写っていました。この雑誌は記念としてすぐにゲット。
 これで自分の顔が写ったのはテレビ(京都で修学旅行の引率でニュース)、新聞(アマチュア無線の衛星通信)、雑誌(今回)と3種類になりました。決して悪いことをして載ったわけではないです。


2002年07月30日


夢について

 60歳を超えてからの夢は一体どのような夢を見るのかというと、そのキャパシティは意外と小さい感じがする。若い時はいろいろと新しい夢を見るが、年をとると再放送が多いことを最近知った。そして正気(目覚めている)のときに突然、若いときの何の変哲もない夢を思い出し、何でこんなくだらない夢が今頃になって記憶から思い出されるのか、一人、苦笑することが最近多くなってきました。この様なことは今まで経験したことがない現象です。

 知能的には普通人間と自覚(見方によっては不足気味?)しているが、年を重ねると全く忘れていた若いときの夢を見るようになる。不思議なものである。脳細胞の記憶領域に無意識に入っていた夢が何十年も経ってから突然出てくるというのは、みんなが経験することなだろうか。おそらくは老化現象の一つかも知れないが、何十年も前の夢をまた見ると、それこそ「何じゃこりゃー」と思うことが屡々。

 この様な経験を経て人間というものは少しずつボケていくのかなと最近思うようになってきた。精神分析医でないのでよくわからないが、夢というのはどうも逆に見ているらしい。たとえば崖から落ちる夢を見たとする。同時に本人はベットから落ちている。ということがままあるが、このときベットから落ちたことが、夢では崖から落ちたのが同時であるとすれば落ちた結果から落ちるまでの経過を一瞬のうちに見たことになる。ベットから落ちなければそのような夢は決して見なかったはずである。(無)意識とは不思議な現象の世界である。

 夢の続きを見たことがありますか。続きを見るためには一度、確実に目を覚まして(夢を見るときの眠りは浅い)、しっかりと夢の内容を思い出すように記憶に定着させると続きを見ることができます。たいていの場合は寝ぼけているのでなかなか目を覚ましてまで夢の続きを見ようとする人はいないのと思いますが、試したい人は是非実験を・・・。私はこの方法で何回か夢の続きを見ることができました。また夢には色があるらしい。これには個人差があるらしく、私の夢はいつもモノクロですが、銃口から出る閃光はいつも赤い色か白い色をしています。これも夢の不思議の一つです。


2002年08月03日


 6月29日から30日日かけて「さよならYSラストフライトツアー」に参加した内容が航空雑誌2誌に掲載されました。7月30日発売の「エアーライン」には表紙にもあるようにYSの特集が組まれていました。
 旅行中に2社の記者が参加していましたので、いつかは掲載されるだろうとは思っていましたが、エアーラインの特集の中で私のことが書いてありました。以下抜粋です。
「微笑ましかったのは紋別の隣町からわざわざ参加されたという元高校教師のBさん。このツアー参加のために朝ご自宅からクルマで丘珠へ、そしてすぐに飛行機で紋別へ。『長い間お世話になったYSにどうしても、ありがとうを言いたかった』と笑顔で語られる。」
 これ私のことです。ちょうど昼食時の自己紹介のときの内容を記事にしたようです。うれしいなー。
 しかし、全員の写真は普段の私から想像もできないくらい小さく写っているのが残念。いつもだったら人を押し分けても前にしゃしゃり出るのに・・・・。

 TCASの関係で来年度中にはすべての航空会社のYSが退役するのかと思ったら、そうでもないらしい。ANKは5機を順次、Anetに移行してダッシュ8に機種が変わりますが、現在12機を持っているJACはTCADという衝突防止装置を装備して当座をしのぐらしい。従ってYSを最後まで運行するのはJACのみとなりそうです。とにかくこのようなツアーは何回参加しても面白いものです。


2002年08月05日


 昨日千歳航空祭に行ってきました。日本と米国の陸海空軍用機による展示とエアーショーが人気で、毎年10万人を超える観客が集まります。今年はあいにくの悪天候でローパスが2,3回程度で、あとの演技はすべて中止となりました。詳細は「雑感」に掲載しました。

 朝、5時過ぎに自宅を出発して高速道をひた走り、江別西で降り、息子のところへ向かう。料金はハイウェイカードにするか、先日売り出した「超特割スーパー割引5DAYチケット」にするか迷ったが、結局、スーパー割引チケットを買うことにする。
 途中の砂川に寄ったら朝早くてまだ売店が開いていないので、料金所で買うことに決定。しかし、料金所で売っているかどうか不明であったので、すいていそうな江別西で降りたわけです。職員に聞くとやはり「料金所ではなく事務所で買ってください」とのこと。「バックできるの?」と聞いたら「いいよ」というわけで、ゲートからバックで事務所へ。料金所でバックしたのは初めての経験でこれまたビックリ。


 
 事務所で1万円を払い、上記のようなチケットをゲット。これで8/4から5日間乗り放題ということであるが、しかし、このチケットにもいろいろな仕掛けがあり、確実に10500円以上(ハイカ価格)利用するというのが最低条件です。
 利用方法は通行券と一緒に料金所に出すとクーポン券が20枚入っているので一枚ずつ切り取ってもらう。けっして自分で切り取らないように注意することと、ただし、使用期間によっては5日間フルに使用できない期間もあり注意が必要です。その他にコーヒー券をはじめ、いろいろな割引券が入っています。

 8/4はこの券ではじめて千歳ジャンクションを通り、夕張まで行ってきました。この路線は国会で話題になったように、クルマよりもクマが多いということがわかりました。旭川−和寒より交通量が少ない状況です。それでもパトカーが取り締まりをしていたナー。夕張で遅い昼食を取り、ついでに名物の「夕張メロン」を買い家路につきました。
 本日の高速道の料金11900円也。今日一日で元は取りました。


2002年08月15日


 今年もお盆がやって来ました。士別も恒例の花火大会が14日夜、催されましたが昔と比べると少しは派手になったかなという感じです。しかし、田舎の花火らしくド〜ンと一発上がればしばらく間が空くのは例年通り。
 連続して上げれば15分持つかどうか?。それでも悪天候が続いている中、14日だけは久し振りに晴れて気温も上がり、絶好のコンデションで開催できたことは喜ばしい限りです。

  

 士別の花火も音更並みに2万発上がれば見応えがあるのに、と思うが2尺玉だと400m離れないと危険だし、現状のまま1800発で我慢しよう。プログラムに45企業で1回分を打ち上げているのを見ると、不景気風が花火大会まで影響しているようだ。せめて私の追悼花火下の写真のような派手な打ち上げにしてもらいたいものです。




2002年08月18日


 昨夜は14日の花火大会に続いて天塩川祭りの最終日でした。今年で27回目ということでしたが、初めて中央公園まで自転車に乗って見物しに行ってきました。

 
   千人踊りの一コマです。踊りの途中で挨拶が入るのはさずがローカル的です。主催者側では千人に少し
   欠ける参加と説明していましたが、ざっと数えたら500人程度だった。
   さらに参加者よりも見物人が少なかった感じで、この行事がマンネリ化しているかも知れません。それでも
   市長をはじめ市会議員、郵便局、JA、銀行など市内のおもだった企業が参加していました。

 
「よっちゃれ」は小学生から大人まで参加。
札幌の「よさこい」と同じものです。


川船みこしは各企業とも結構、金をかけているみたい。もう少し大きいのかと思いました。
某高校の行灯に少し毛の生えた程度。

 この行事で士別の夏は終わりました。気候的にはすでに7月下旬あたりから秋の空模様でした。士別の夏は今年はなかったように思われます。何しろ30度を超えた日が一度もないですから・・・。農作物の出来が心配です。関東には現在台風13号が近づいています。帰省の交通機関に影響がなければよいのですが。


2002年08月24日


 22日に大雪山系に初雪が降ったようです。今年、最後に降雪があったのは6月24日頃と思います。結局大雪山はたった2ヶ月しか雪が降らなかったことになります。この初雪は1ヶ月も早い初雪だそうで、里に住んでいる我々も、うかうかしていられません。

 士別は21日に行われた仮装盆踊りが好評だったようで朝刊に写真入りで出ていました。結構、面白そうで見に行けば良かったなと思いました。また昨日から「夢の市」が始まり、今日は農業祭(士別市産業フェアに統合)いうことで街の行事が目白押しです。とにかく、少ない人口を如何に動かすことが街の活性化に結びつくことなのでしょう。

 このような行事も気温が上がらなければなかなか人も集まりません。せめて台風15号が日本海に入って南風を呼び込んでもらいたいものです。


2002年08月25日


 久し振りの好天気。この陽気に誘われて夫婦で「夢の市」「士別市産業フェア」を自転車を漕いで?行ってきました。昨日の日記に農業まつりと書きましたが、いつの間にか士別市産業フェアに変わっていました。内容も農業、建築技能関係、サフォーク関係、福祉関係等の盛りだくさんの出店があり、おまけに消防車のキリン号に乗せてもらえる体験コーナーもありました。乗りたかったけど高所恐怖症の私にはとうてい無理な相談でした。

  
総合体育館ではいつもの「夢の市」、市役所の前庭で「士別市産業フェア」を繰り広げられました。
このコーナーでソファをゲットしました。

  
     士別市産業フェアの会場            牧草をビニールで包む実演を初めて見ました

 
 仮設舞台の看板に面白い表現がありました。「ラブ士別バイ士別」と書いてあります。「愛する士別サヨナラ士別」と解釈できると思いますが・・・・。BUYとBYEは日本語で書けばバイですね。


2002年08月28日


 先日、天塩岳の麓にあるポン天塩ダムへ行ってきました。その途中でかわいいキツネが道路に寝そべっておりました。あまり警戒心もなく車を止めると近寄ってきます。とくに餌をねだる様子もなく、ジッとこちらを見ていました。
 2匹いましたので兄弟かと思われますが、通り過ぎるとまた道路の真ん中でキツネの襟巻き状態になりました。交通量はほとんどないとはいえ、自動車に轢かれないかと心配。

   

  
                アブナイベア              要領のいいアオサギ。ヤマベの養殖池?で


2002年09月04日


 北海道も秋本番といった感じになりました。今年のトウキビは甘くて美味しい。今日は快晴でしたが気温は21度位しか上がらず、日陰にはいると涼しさを越えて寒い位になりました。
 
 8月24日の日記に台風15号が日本海に入れば暑くなるだろうと予想しましたが、予想通り、暑くなりました。しかし、たった一日だけの真夏日でした。紋別ではなんと34度で9月の気温としては新記録らしい。現在16号が沖縄を直撃しているが、大陸の方へ行ってしまいそう。「ひまわり」の写真を見ると16号の後に子供が生まれそうな感じです。沖縄地方はもう雨はたくさんでしょう。現在、さらに東側に17号が西進しています。北海道を直撃したりして・・・・・。
 今年の台風の発生場所は随分と東よりにずれているようで、比島付近の台風の発生はほとんどないという特異現象です。17号も日付変更線の向こう側で発生し、日本に向かっております。

 高速道は一体どうなるのか。和寒−士別間の工事は着々と進んでいるようで、舗装用のプラントもできたようです。この状態で凍結したら、巨大な遺跡が出来上がることになる。鉄道の場合、廃線を訪ねて歩くという観光旅行もあるのでそれにあやかるという手もあるが・・・・。
 これで士別−名寄間の高速道の建設はほぼ絶望になった感じである。高速名寄号はこの方が士別市内を通るのでいいのかも知れない。もし名寄まで高速道が延びると士別のバス停はとんでもないところに移動することになり、客足は遠のくと思われる。しかし、名寄以北の高規格道は美深まで工事中であるので、できればこれにつないで欲しいものだ。いっそのこと、士別−名寄間は高規格に変更すれば国の直轄事業なるので現実味が出てくるかも知れない。


2002年09月08日


 昨日、今日と久し振りによい天気が続いていますが、予報によるとこの天気もまた明日から下り坂らしい。この素晴らしい秋空の中、昨日、久々に美深に行き、孫の運動会を見てきました。
 姉の方は、すでに6月に実施済み。妹の方は幼稚園で初めての運動会であったが、今年から保育園と合同の運動会とのことで姉の時より、園児も見物客も多くなった感じである。

  

 姉の小学校の運動会でその体格差に驚いたが、今回も保育園児と一緒ということで、これまた0歳児から5歳児まで、幼児の成長過程を一堂に見られるというのはこういう機会しかないような気がする。ともあれ、自分の子供の行事にはほとんど行ったことがない親父が、孫となればせっせと通うバカ爺さんでした。

 名寄バイパスの工事も佳境に入ったようで、関係のダンプがひっきりなしに走っていた。あのダンプの台数はJHの工事より多いくらいである。春先はそうでもなかったが雪が降る前に土盛りだけは終わらせたいのだろう。
 しかし、今年?開通する出入り口は一体どこ?。峠の入り口にそれらしき工事現場あるが、ほとんど工事はしていないようだ。道路の方は舗装がすでに終了しているようだが・・・・・


2002年09月11日


 ニューヨーク市の世界貿易センタービルに旅客機が衝突して今日で1年目を迎えたが、あの出来事は昨日のように思い出されます。行方不明者もまだ相当いるらしいが、遺体は粉々になったのか、遺族に戻ることはないのかも知れない。そういえば叔父が沖縄戦で戦死したが、大きな骨箱に沖縄の石が一つ入っていたのを思い出す。

 それにしてもまさかビルが倒壊するとは思いもよらなかったが、元々地震の心配なく頑丈な岩盤の上に立てられているニューヨークの高層ビル群は縦方向には意外と弱かったのでないだろうか。構造上の問題点を指摘する遺族もいるらしい。今日は各社で特別番組が放送されるらしいが、テロがあるらしいというのはすでに政府の中枢部では知っていたらしい。まるで真珠湾攻撃と同じ状況である。日本は危機管理が弱いといいながら、米国も似たり寄ったりという感じは否めないだろう。航路を外れた航空機に対して管制官は何もできなかったのだから・・・

 そしてアフガンの攻撃。これまた民間人を巻き込んだ一方的な攻撃。民間人の犠牲者は女子供も含めてニューヨークの犠牲者を上回る。さらに次の攻撃はイラクに照準を合わせたようだ。宗教戦争はこれからも際限なく拡大する一方である。どこかで止めなければ21世紀は前世紀から引き続いて、戦争の世紀になるかも知れないと思う9月11日であった。 《合掌》


2002年09月17日


 15,16日の両日にかけて航空祭巡りをしてきた。15日は朝4時30分に出発して丘珠空港に向かう。さすがに早朝だけに和寒−旭川間は自分専用の高速道で、すれ違ったのは1台のみであった。札幌で息子と落ち合い、7時半には空港駐車場何とか入れることができた。その後、正門前で8時まで待ったが、今回は息子が大きなパイプ椅子を用意してくれたので楽な思いをした。これと同じ椅子を昨日980円でゲットしました。安い!
 エプロンにはすでに展示機がずらりと並んでいたが、海上保安庁の展示機はサロマ湖の事故のため急遽取りやめになっていた。詳細については雑感に載せる予定なので是非ご覧あれ!

 帰宅してから明日の天気予報を見ると晴れるらしいので紋別に行くことにする。16日は予報通り晴天で、ルンルン気分で紋別空港へ向かう。何とか空港内の臨時の駐車場に入れることができたが、ナナンと!エプロンには入れないというではないか。ラジコン飛行機を飛ばす連中も警察官の前でチェックを受けてエプロンに入るという厳しさである。我々は柵の外から見物するか送迎場で見るより方法がないようだ。これでは動物園の檻の中から眺めようなものである。観客は熊ではないのだ。千歳、丘珠はロープを張ってエプロンに入れたが、ローカル空港ではこれも仕方がないことなのであろう。
 そこで前回、「さよならYS11フライトツアー」で写真を撮った空港の裏側に移動することにした。ここは絶好の撮影場所であるが、難点はラジコン機を見るには少し遠すぎたが、目的は15日にみたアクロバット飛行であるのでここに腰を据えることにした。お母ちゃんと二人で焼きそばを食べながら見物したが、丘珠のような派手な飛行は見せなかったようだ。残念!

 午後は雄武の「日の出岬温泉」へ向かう。途中、沙留に立ち寄る。ここは50年前には名寄線(現在は廃線)を利用して、何回か海水浴にきた場所であり、懐かしさのあまり港へ向かう。港は整備され、また漁船の手入れの良さには驚かされる。錆びた船は一隻もなくそのほとんどがホタテ漁の漁船で、かごを釣り下げるクレーンが装備されている。岸壁には小屋が建てられその中で多数の人たちがホタテの稚貝の入れ換え作業をしていた。かごの中に入れた稚貝を一冬掛けて大きくするようで、その「かご」を日の出岬沖に設置しているのを見ることができた。街並みもホタテ御殿が建ち並んでいて当時のひなびた漁村という面影は無くなっていた。

 ついで、海水浴場の方へ回り、懐かしく海水浴場を見物したが、当時と同じ景観に感激した。左側の岩場や右側の岩礁も当時の面影を残しているが、両方とも当時よりは波に洗われたせいか若干低くなったような気がする。岩礁まで泳いで行き、ウニをたらふく食べた記憶が蘇ってきた。

 日の出岬温泉で二日間の旅の疲れを取り、帰路についたが、このような旅行ができるのもリタイアして時間に余裕ができたから可能になったからであり、これからも元気な間は歩き回ろうと思う。


2002年09月22日


 今日は十六夜。昨日の十五夜は晴天に恵まれ、きれいなお月様を見ることができました。月見をしながら一杯というのも風情のあるものですが、北海道ではすでに10度を下回っており、とても外で一杯引っかけながら月見酒は行かないようです。写真は昨日の23時頃に撮りました。
 月だけでは寂しいので、ススキを今日、近くから採って合成しました。これに団子があればいうことなしの写真になりますが、あいにく団子は近くになく、カットになりました。

 23日は秋分の日でこれからは昼の時間がどんどんと短くなります。12月には15時過ぎには日没を迎え、いよいよ憂鬱な冬の季節を迎えることになる。

 できれば熊と一緒に冬眠ができればいいなと思うときもあります。「目が醒めると季節は春であった」という反面、短い人生を寝てばかりしていられないと思うレジンマに陥ることになる。

 まさか人間が冬眠できるはずもないが、現在日本の最年長者のお婆さんは2日起きて、2日寝るという生活らしい。完全に時間が延びているに違いない。48時間が一日であれば長寿であるというのもうなずける話である。

 ここで一句 「名月に 見とれて今年も 風邪を引く」 おそまつでした

           中秋の名月
 。


2002年09月30日


 9月27日から今日までの日程で3泊4日の韓国旅行に行ってきました。今年の旅行予定は台湾旅行があるが、10月3日からのTDLへの旅行があるので、今年の海外旅行はこれで終わりになりそうです。
 今回は旭川発着のKEのチャーター便で参加しました。新聞によると韓国側から90名余、日本側から156名の参加ということで旅費もそれなりに安かったが、何よりも旭川発着というのが目玉商品であったように思う。ソウルを今朝、発って13時には帰宅し、徒然日記を書く余裕があるのもその結果であろう。旅行記はいずれ雑感に掲載予定であるのでご期待下さい。

   
さしずめ日本の仁王様というところか            景福宮の衛兵交代式   

 とにかく今回の旅行も歩き詰めで参りました。それでもガンバッテほとんどの見学場所を回ることができたが、今足と腰が痛くて参っています。荷物はたった8ミリとデジカメのみというのに、何とも情けない有様でした。




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