2003年
1月〜3月
2003年01月01日


 2002年も大過なく終わり、今日2003年の新年を迎えた。この年になると、ただ暦が2003年のはじめであるということで、とくに改まってどうするということもないが、一休さんの「正月や 冥土の旅の 一里塚 目出度くもあり 目出度くもなし」という一句がいつも思い出される。

 ということで他の話題を書くことにする。毎回の話題で面白くもないが、とにかく雪が・・・・・。よくこれだけ降るものだとつくづく感心する。積雪量も70センチ位はあるのではないか。従って除雪車が毎朝4時過ぎにはガーガーと道路を走り回るので最近は目覚めが夏と同じように早くなってしまった。1回の除雪でグレーダー、ラッセル車、ロータリー車が時間差をつけて走ってくる。最後は歩道を除雪するミニのロータリー車で除雪が終了するが、その間20分位はえらい騒音でとてもじゃないが寝ている状態ではない。

 運動不足を補うため夏は自転車を乗り回していたが、冬用の運動不足解消に「足若丸」というペダル式の足踏み器を通販で買い求め、暇があれば自転車代わりに踏み続けている。カロリーの消費量も表示され、結構な運動量と思われるがどうも消費カロリーの表示は眉唾の感じがする。とにかく自転車が乗り回れる時期まで頑張るつもりである。

2003年01月08日


 5日に急用があって、札幌へ日帰りすることになった。当日、石狩地方は大荒れとの予報なので何年間振りにJRで行くことにした。この日は帰省のUターンで満員が予想されていたので電話で座席指定を頼んだがすでに満席。当日に申し込んでも取れるわけがないと納得。そのとき駅員から旭川からL特急に乗ると楽だよといわれたので「宗谷」より1時間前の普通列車で向かうことにした。

 乗り物オタクとして、久し振りに乗る列車は子供のように楽しいものである。考えてみると夫婦で14000円余(割引)で往復できるということは高速道とガソリン代がかかる自動車と同じ程度かなと思う。

 途中の景色を見ながら永山の新車両基地の進捗状況を見るとすでに車両基地まで複線電化が終わっているようだ。複線電化の遅れているJR北海道としては唯一延長された路線である。しかし通過するのは回送電車のみというのは乗客にとっては今までと同じである。これで数年後の旭川駅構内は札幌駅のようになる予定かも知れない。

 JR貨物はせめて室蘭〜旭川間電気機関車で貨車を牽引すれば力も強いのにと思ったが、札幌から一気に五稜郭まで牽引する関係からディーゼル機関車でなければ効率がよくないのであろう。蘭〜五稜郭が電化すれば在来線と新幹線の乗り換え一回で東京に行けるのにと常々思っているが、実現は費用の関係でほぼ絶望であろう。そのかわり「北斗」が八戸まで延長するという手もあるが、青函トンネルは換気の関係かどうかは不明だが、ディーゼルは通さないらしい。それにしても停電時の救援機関車はディーゼルと聞くが、緊急時以外は海底トンネルには入れないらしい。

 帰りは新札幌の近くにいたので、千歳発の快速に乗る。この快速は札幌からL特急になるのでどんなに混んでいても絶対に座れるというメリットがある。立っても10分の我慢である。昔はよくこの手を使用して座席を確保したものである。電車はやはり速い。力行してもすぐに楕行運転になる。これで130キロを維持しているのだから余裕なのだろう。それに反してディーゼルの「宗谷」は値一杯の130キロという感じである。しかし、宗谷線の線路強化と新型車両の導入によって士別〜札幌間、200キロを2時間で結ばれるようになり、昔、3時間以上かかったことを思えば隔世の感がある。

 旭川駅で30分の待ち合わせで名寄行きの普通に乗り換える。この列車(一両でも列車?)の走り方はちょっと異常だったが、定時に士別駅に到着したのでその考えは杞憂であったようだ。それでも途中の永山駅では「宗谷」を待たせていたので(宗谷線は単線)、遅れ気味であったことは事実である。
 というのは、とにかく遅いのである。停車もホームの手前で止まる感じで、やおら、力行してから停止するという、まるで素人の「電車でGO」のゲームを見ている感じであった。おまけに「直」に入れたのは和寒からで、それまではずーっと「変」で走り続けたのには驚いた。とすると塩狩まで最高速度50キロ程度で走り続けたことになる。「宗谷」は130キロで走行しているのにさすがローカルの各停である。

 ということで乗り物オタクのJR乗車リポートでした。

2003年01月15日


 今冬、初めて−30度を超えたようだ。7時現在−31.4度とアメダスで観測された。一山超えた朱鞠内では−33.4度であったそうな。やはり士別に住んでいる者としては−30度の世界を一冬に何回か経験しないと住んでいる気がしない。従って今日は一日中ピーカンであった。日中もあまり温度が上がらず、最高気温は−13度であった。

  
最低気温を記録した午前7時頃−31.4度   雲一つない見事な青空。11時頃−20度
 
 昔はこのような日が2,3日続いたものだが、予報では明日には暖かくなり、雪が降るらしい。折角、トヨタが寒冷地試験場を作ったのだから、もう少し続いてくれればいいのにと思う。外は寒いが室内は南向きだとストーブの火を消す位、暖かくなる。おまけに除雪の手間も省けるという一石二鳥なのだが・・・・・。

2003年02月01日


 カティサークの制作も現在は開店休業で暇をもて遊んでいたが、ふとこれからの制作のために是非見ておかなければならない展示会が開催されているのを思い出した。早速1月30日から31日にかけて東京の銀座「伊東屋」へ出かける決心をする。当初、日帰りする予定であったが若干時間が不足すると思い、神田のビジネスホテルに予約を入れておいた。

 東京は昨年の10月以来で真冬の東京は久し振りである。旭川を10時25分に離陸したA300は一路羽田に向かい、定刻12時15分に着陸。なにしろ荷物はデジカメ一つなので身軽である。そのまま浜松町へモノレールで向かい、そこで回転寿司で腹ごしらえをしてから銀座に向かう。銀座は5年ぶりで田舎丸出しでキョロキョロしながら伊東屋に向かう。

















 銀座「伊東屋」ではTHE ROPE主催の「第28回帆船模型展」が1月18日〜2月2日まで開催されているをWEBで見つけた。

 会場の9Fへエレベーターで会場に向かうが、今どきエレベーターガールが案内しているのにはピックリした。さすが銀座である。

 会場は平日にもかかわらず結構な人だかりである。よく見るとあまり若い人はいない。4,50代が半数以上を占めていたようだ。もちろんリタイヤ組も結構いたように思えた。

 作品はいずれもみとれるくらい立派な作品が展示されており、時間が立つものも忘れて写真撮影や観察に夢中であった。この帆船模型展の内容については雑感の中で公開する予定である。(公開については主催者の許可済み)

 次の日はいつもの早起きの癖が出て4時過ぎに起床。しかし、どこへ行く当てもないのでしばらく考えて、戦時中(古いナー)疎開していた吉浜(湯河原)に行こうと決心し、洗顔もそこそこに6時過ぎの熱海行き普通電車に飛び乗る。

 こう見えても東京生まれの北海道育ちなのである。東京空襲がなければ北海道は無縁だったかも知れない。車窓から見る風景はいかにも湘南という感じで、夏みかんが今真っ盛りで、もうすぐ食べれられるようだ。

 乗り物オタクとして東海道線を走るいろいろなタイプの電車を見るのも面白い。小田原まで複々線を電車が走っているのを今回初めて知った。昔は貨物専用線だったような気がするが・・・・・。

 
            湯河原駅                 吉浜の国道から真鶴方面を見る。
                                   昔は国道の向こうは砂浜だった?
                                   三本の岩は今も昔も変わらない。
                                   (右側かすかに見える)

 湯河原の街の様子はガラリと変わっていたが、景色は変わっていない。初島、大島、真鶴岬を懐かしく思い出された。疎開先の知人宅を突然訪問したらビックリしていたようだ。1時間あまり話をして10時37分の「踊り子」で東京へ戻り、羽田の航空関係の本を置いている「ブックスフジ」で買い物をする。自宅で19時30分からのテレビを見たくて1便早めて19時には無事帰宅。ブラリ旅の充実した2日間であった。

 このようなとができるのは毎日が日曜のリタイヤ組であればこそ可能になったが、もう少し足腰を強くしなければ話にもならないことを痛感した。

2003年02月02日


 スペースシャトル「コロンビア」が帰還中に墜落した。昨日の23時頃の出来事でいつもスペースシャトルのミッションは欠かさず見ているが、まさか墜落するとは・・・・。

 今回のミッションは実験が主で宇宙ステーションとはドッキングせずに軌道も大分ずれたところを飛行していた。もし荷物運びで宇宙ステーションとドッキングしていれば損傷の程度も目視でチェックできたのにと思う素人考えもある。

 飛行機でも何かがぶつかったら必ずチェックするのだから、同じようにできなかったものかと思うが、今回は船外活動がなかったので船外活動用の宇宙服は用意していなかったかも知れない。

 今回の帰還でいつもの北上するコースと違い南下するコースを取ったため、シャトルの残骸がテキサス州に落ちたようだ。もし北上するコースを取るとすべてがメキシコ湾の海上に落下してしまい、原因追及が難しいものになったに違いない。これからはビス1本まで探して原因を追及すべきであろう。何しろ犠牲者が多すぎる。

 これでしばらくはスペースシャトルの飛行はないと思うが、問題は宇宙ステーションで生活している3人をどのようにして帰還させるのか心配である。いよいよの場合はロシアの緊急用カプセルで降りてくるのかも知れない。

 またスペースシャトルを1機失ったので6号機を新造するのか、このまま3機体制で打ち上げを続けるのか不明だが、開発費がかかると思うがもっとコストのかからないスペースシャトルを考える時期になっているのかも知れない。

2003年02月19日


 15日久し振りに札幌へ列車で出かけた。札幌駅も以前比べると相当様変わりしたようだ。南口にはJRタワーがそびえ立ち、都会的な雰囲気が出てきたようだ。

DD51重連による寝台特急カシオペア

 降りたホームの向かい側にカシオペアが入線してきた。かっこイー!DD51の重連でこの夜行列車を函館まで牽引する。重連ににする位ならJR貨物のDF200を導入してはどうなのかなと思う。これなら電気機関車と同じ走りぷりができるのだが・・・。しかし、のんびり夜行寝台車だからこれでもいいのか。それにしても一度はこれに乗って旅行をしたいものだ。

2003年03月01日


 3月に入った途端、急に気温が上がり始めた。昨日も日中はプラスになり、久し振りに真冬日を脱出した感じてある。今日は最高気温プラス3.6度まで上がり、4月上旬並の気温らしい。おかげで融雪がかなり進んだようだ。やはり時期が来れば春らしくなってくる。太陽の高度も相当高くなり、日差しは暑い位である。

 1日は普段であれば学校はお休みだが、全道の高校のほとんどで卒業式が実施された。ニュースを見ると最近の卒業式は大分、様変わりしたようだ。まるで仮装行列を見ている感じである。明日から好きな格好ができるのに何も1日早く、あのような格好もすることもないのにと思うのはやはり歳をとったせいかもしれない。なにしろ、現在は教員の化石みたいものだから・・・・・・。

 楽しみにしていたギリシャ行きがイラク情勢の悪化でキャンセルになった。手付け金3万円を返してもらい、次の計画の東欧4カ国巡りを申し込んだ。まさかイラク問題が影響するとは思わなかった。隣のトルコにはすでに米軍がすでに開戦準備を行っているので、「君子危うきに近寄らず」でよかったのかも知れない。

2003年03月12日


 今年の春は早いのかと思いきや毎日マイナス10度以上の日が続いている。今年になって冬日(一日中マイナス)を脱したのはたった一日だけである。

 降雪量も多く未だに1mくらい残っているようだ。例年だと今月の車検時に夏タイヤに履き替えていたが、今年はどうやら無理かも知れない。テレビでも早い春を予想していたようだが、桜の開花も予想より遅くなったようだ。消雪はあと1か月くらいかかるかも知れないが、農家では今、盛んに融雪剤を散布しているようだ。

 イラク紛争未だに解決せず。旅行もあと2週間余で出発予定なので早く解決して貰いたいものだ。一番いいのは米軍が引き上げることが戦争回避の近道と思うが、一度振り上げた拳はなかなか下ろせないらしい。返す踵で北朝鮮へ向かったらそれこそ他人事ではすまされまい。まるで西部劇を見ている感じである。

 おまけに株安、円高で経済は一体どうなるのか。経済評論家が株価が1万切ったら恐慌だと言ったら今度は8千円を切ったら大変だと騒いでいる。よく切りがいいところで騒ぐが、はたして経済は切りで動いていないことを知っているのだろうか。ただ騒ぎ立てるとテレビの出演回数が増えて収入も増えるということか。

 今どき銀行のような粗利益をとる企業も少ないのではないか。いくら不良債権があるからといって、普通預金利子の1〜2千倍で貸し付ける企業は見たことがない。売買に例えると仕入れ1円販売2千円という荒稼ぎ振りである。確かに取り扱い資金量から見ると利息金であるからその額はそれほど大きくはないが・・・・・。バブル前は貸出金利と預金金利の差は2,3倍であったと思うが。いくらなんでも悪代官でもそこまではあこぎではないと思う。
 

2003年03月19日


 「雑感」のサイトが煩雑になったのでサイトの再構成をした。これですっきりとしたので、これからまた新しいコンテンツをてんこ盛りに掲載していく予定である。


 昨日の月齢15で丁度、満月であった。その月を見ると光柱が上下に立っているのを発見した。

 珍しい現象なので早速、最近購入したパナのFZ1を持ち出し撮影した。このカメラは200万画素で12倍のズームが付いてる。軽くてデザインも銀塩の一眼レフのようで使用感もなかなかのものである。

 この現象は恐らく上空の細かい氷の粒に月明かりに反射して光の柱が出現したものと思われる。この現象は太陽光では見たことがあるが、月明かりでは光量不足でなかなか見られないので、このような光景を見ることができたのは幸運であった。



 ついに米国がイラクに最後通告をしてしまった。明日あたりからイラクへの攻撃作戦が実行されることになる。今までの戦争は不意打ちが常套手段であったが、局地戦でもないのに開戦の時間まで公表して実行するのは珍しい。あと24時間。やめて欲しいのが本心である。

2003年03月26日


 ここ1週間、急に暖かくなってきた。最高気温も10度近くになり、雪解けが進んでいるようだ。それにしても今冬は積雪が多く、完全に雪が無くなるまでにはまだ相当な時間がかかるかも知れない。

   
     高校の排雪作業             雪割りをしたらすでにプリメラが咲いていた
                                        
 福寿草も芽を出し始めたようだ。ネコヤナギも蕾をつけていてもうしばらくで満開になりそうである。雪があっても季節はすでに春だということが植物を見るとよくわかる。北海道の春はこれから一気にやってくる。



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