7月〜9月
2003年07月05日


 昨日何年か振りに歯科医院に行ってきた。今年の冬あたりから奥歯で堅いものを噛むと痛くなるを我慢していた。しかし、いつも片方の歯で噛んでいると顔が変形するような気がしたので受診することを決心した。せっかくのいい男が台無しである。

 受診中、どの歯が痛いのかわからなくなって、それらしき歯を叩いても異常なし。しかし、奥歯で堅いものを噛むと痛む。一体どうなっているのか。とにかく、レントゲンを撮って見るが、虫歯はないようだ。それではということで噛み合わせのチェックをすると大分狂っているのが判明。結局、合わない歯で噛んでいたため奥歯に無理がかかっていたらしい。それで痛みが出ていたようだ。道理で虫歯の痛さとは少し違っていたのがこれで納得。

 噛み合わせを修正すると見事に全体の歯が平均に当たるようになった。知らず知らずに噛み合わせが狂っていたことを気が付かない鈍い自分に笑ってしまった。

 おまけに歯の磨き方が悪いということで、歯ブラシと手鏡を持たされて磨き方の練習をさせられた。まさかこの年で歯ブラシの使い方を習うとは思いも寄らなかった。確かに歯が汚れているのだから文句も言えない。このあと口の中を血だらけにして歯のお掃除。歯の隙間がスースーするようになり、かなり気持ちがいい。

 若いときから歯の治療はこまめにしているせいか、親知らず以外の歯をまだ一本も抜いていないのが自慢である。しかし、加齢とともに歯茎が少しずつ傷んでくるような気がする。とくに歯茎がやせてきて、いくら丈夫な歯でも歯根が見えるようになるとポロッと歯が抜け落ちることも考えられる。これからはもっと丁寧に歯を磨くように心がけることを考えつつ、帰途についた。
 

2003年07月17日


 15日,16日にかけて、久しぶりに片道400キロのドライブをしてきた。今年の秋からは士別から伊達まですべて高速道で行けることになる。伊達から見える有珠山、昭和新山は今のところおとなしそうだ。しかし、丘が急に盛り上がって昭和新山ができたということはこれからもまた新しい山ができるのかも知れない。

 
有珠山サービスエリアから見えた有珠山(左)と昭和新山(右)

 そういえば内浦湾を噴火湾というが、子供頃、あの湾の真ん中で火山が噴火して、陥没して湾が出来たというカルデラを信じていた。それであればあの湾の大きさからすると富士山より遙かに高い山だということなる。真相は18世紀後期に内浦湾に訪れたイギリスの探索船「プロビデンス号」のブロートン船長が、有珠山や駒ケ岳などの火山群を見て、この湾を「ボルケイノ・ベイ」(噴火湾)と名付けたのが最初らしい。

 湾の最短開口部は30キロ足らずなので海底トンネルを掘ると鉄道、道路とも相当な短縮効果ができるのだが、技術があっても先立つものがないので実現は夢のまた夢である。

 帰りの高速道で覆面パトカーに止められていた車がした。高速料金を払って、罰金も払うとは踏んだり蹴ったりとはこういうことを言うのかも知れない。遵法精神で運転しなければと思いつつ、無事我が家に到着。

2003年07月21日


 さわやかな毎日が続いている。夏だからもう少し気温が上がっても良さそうだが、それでも夏日(25度以上)は確保しているようだ。梅雨末期の豪雨が九州地方を襲っているようで、土砂崩れの犠牲者も大分出ているようだ。警報が少し遅かったらしい。このような事態になると大げさに警報、警報と矢継ぎ早に出すのはいかにもお役所らしい。犠牲者が出てからでは遅いのであって、警報とは犠牲者を出さないためにあるのだから、もう少し早めに出すべきであったと思う。

 夏台風も2個ほど発生しているので梅雨もまもなく明けると思われる。本州では昨年と同じような猛暑の季節に入るわけで、このときばかりは北海道に住んでいてよかったと感じる季節でもある。

 今年になってキツネが家の前の道路を何回も渡るのを見かける。痩せこけていているのをみると、餌がないので人里まで下りてくるようになったのかも知れない。キツネが我が家の周りを徘徊するとエキノコックスが一寸心配である。野良猫も結構いるようだし、好きな猫にさわれないのは残念である。

 道内のほとんどの学校は今週中には夏休みに入るようだ。この時期、高校では学校祭が実施されているようで、明日と明後日が代休で、一日登校して夏休みである。従って今週から夏休みに入ったも同然なのかも知れない。高校生はアルバイトに精を出すのだろう。稼いだ金はほとんどが遊興費に使ってしまい、昔のように貯金するというのはまずいないと思われる。

2003年08月05日


 昨日、今日は久ぶりの夏日になった。アメダスの観測結果は最高気温28度。近くの富良野では30度を超えたようだ。蒸しているせいか体感気温は30度を超えたような感じである。日差しは夏らしく太陽が顔を見せると猛烈な暑さである。天気図を見ると明日もこのような日になるかも知れない。

 7月は全国的に寒かったらしいが、名寄地方は比較的、暖かい日が多かったような気がする。しかし、ストーブが恋しくなる日もあり、寒暖の差が激しい7月であった。最高気温を東京と比較しても東京より高い日が相当あったということは当地方以外は寒かったに違いない。

 7月のアメダス観測結果 最高気温 29度 最低 9度 平均気温17度 夏日11日間 24度以上17日間

 北海道北部はお盆を過ぎると秋風が吹くようになり、今年の短い夏も終わりを告げる。あと3ヶ月もするともう初雪である。また長い冬眠生活に入ることを考えると、だんだんと気持ちも憂鬱になってしまう。ともあれ折角の夏日である。大いに暑さを満喫しようと思っている。しかし、夜になるとすでに虫の鳴き声が聞こえる季節になったようだ。

2003年08月15日


 14日に士別市の花火大会が開催されるので、一足早く13日夜に我が家の花火大会を開催した。昨年購入していた花火なので果たして火がつくか心配であったが孫達は大満足の様子だった。

  

 14日の花火大会の様子。我が家の花火見物は家の前の歩道に椅子を出して見物できる一等席である。今年は結構、綺麗な花火が上がった。最近は音楽入りの花火が流行っているようだ。

  

2003年08月22日


 18日、伊達へ行ったついでにブラリと道南旅行に出かけた。以前からカントリーサインの写真を撮っていたので残りの市町村を撮るべく颯爽と出発。ついでに道の駅のスタンプラリーも集めた。

 伊達からひたすら海岸線を走る。出発が14時を回っていたので19時過ぎにようやく椴法華村に到着し、さらに急坂を上って水無海浜温泉のホテルにたどり着いた。ホテルに空き部屋があるかを聞いたところ満室という返事。アチャー!。仕方がないのでホテルで食事と風呂に入って、駐車場で野宿という有様になった。自動車で一晩過ごすのは初めてであったが、結構、寝られるものであることを知った。お母ちゃんはこのようなこともあると思って布団を持ち込んでいた。感謝!。

 次の日、恵山から始まって函館、松前、北檜山とひたすら海岸線を走り続ける。道の駅では道南10カ所を回るクイズがあったので早速参加し、答えの用紙を投函する。夕方、雷電のホテルでようやく空き部屋を探して、ゆっくりと温泉に入る。

 3日目は仁木、余市、赤井川、朝里、石狩、厚田、雄冬を回り、留萌から深川に出て帰途に着いた。この3日間で1500キロ位は走行したと思われるが、運転が好きなので疲れた感じはなかった。まだまだ行けそうである。

  
曇り空の中、一時的に見えた駒ヶ岳   新装の函館駅         駅の横にある朝市
                      バリヤーフリーが自慢らしい   観光用の市場になって
                                          昔の面影はない

  
 化粧直しが終了した摩周丸     タグボードか台船を曳航          函館港で

  
 救援用ジーゼル機関車?   海底トンネルに向かうEH500    強風で折れたのかな?
 知内駅に留置されていた   五稜郭から墨田まで一気に走る
 そういえばこの日トンネル   「金太郎」というロゴマークが面白い
 内で電車が立ち往生した

 
 今までカントリーサインの写真を撮った市町村   今回分、あとは道央を残すのみとなった
                                 212市町村中177市町村制覇

2003年09月06日


 本州では残暑の季節であるが、道北はすっかりと秋の気配である。濃い緑も次第に色が薄くなってきているようで、今月の終わり頃にはすっかり紅葉の季節に入っているだろう。

 来月の下旬には初雪が降lり、いよいよ冬将軍がくるのかと思うと気が滅入る。それにしても今年の夏は30度を超える日が一度もないという珍しい年になりそうである。農作物も天候不順で収穫は期待薄らしい。それでも当地方では25度を超えた夏日は相当な日数があったので道南より稲作については順調らしい。

 ガキの頃からの阪神ファンであるが、今年は久しぶりで美酒を飲めるような気がする。しかし、全国のトラキチは一体どの位いるのか知らないが、甲子園の入場者が300万人を越えるのもまもなくらしい。相当儲かったに違いない。

 各チームからいい選手をかき集めれば優勝できるのは巨人を見ていてわかっていたが、阪神がその真似をしてうまい具合に今年は優勝街道まっしぐらなのを見るとやはり勝つのも金なのかなと思ってしまう。

                 優勝までマジック6 フレーフレー タイガース!!

2003年09月10日


 8にから9日にかけて所用で岩内町まで出かけた。小樽まで高速道を利用したのでルンルン気分であったが、5号線に入ったとたんに渋滞である。小樽、余市間はいつも混み合っているようだ。このようなところに高速道を作ってもらいたいものだ。10月4日に我が町、士別まで高速道が延長されるが、交通量は断然5号線の方が多い。それなのに作る気配は全くないようだ。

 岩内では久しぶりに高原のホテルに宿泊する。ここからの夜景は100万ドルとは言わないが、10ドル位はありそうで、結構、綺麗な夜景を望むことができる。街は小さいがやたらと街灯が多いのも近くに原発があるせいなのかも知れない。

   
  岩内の夜景。遠方に原発が見える。      昼間の岩内市街。フェリーがストップして何年?


先日、一次冷却水漏れを起こした泊村の原発

 ホテルの軒先にはツバメの巣が残っていたが、巣の中はすでにもぬけの殻であった。今の季節ではすでに南へ旅立った思ったら、次の朝、盛んにツバメの集団が飛び回っていたのにはビックリした。9月でも日中はまだ夏日になることも結構あるが、夜は15度程度まで気温が下がる毎日である。早く旅立ちをしないと風邪を引きそうである。よく見ると大きいのと小さいのが飛んでいるのを見ると今は旅立ち前の体力作りなのかも知れない。

   
   軒先のツバメの巣。時折様子を見に来る。    デジカメでツバメを写すのは大変である。

 森の中では道北には生息していないアブラ蝉がミ〜ンミ〜ンとうるさい位、鳴いているのを見るとさすが北海道は広いなという感じを受けた。昼食は道の駅の横にある夏場限定のプレハブ作りの食堂に入ってイカ刺し、ほたて、その他を食したが、あまりにもおいしくて次の日もまたその食堂に行って昼食をとりに行った。おまけに店で出す焼き魚用の生干しのカレイを購入して帰ってきた。

2003年09月13日


 昨日、士別では珍しく「地域おこし講演会」と称して東京から講師を招聘して講演会が開催された。昔から「合宿の里士別」と称して体育系に力を入れていた感があったが、今回の講演会は文化の真空地帯の士別では出来過ぎの講演会であった。

 講演会会場は小ホールを使用したが満員の盛況であった。恐らくは近隣の市町村からも講演を聴きに来ていたに違いない。今回一寸ビックリしたことは講演会中一度も携帯が鳴らなかった。マナーの良さを改めて感心した日でもあった。

  

 講演内容は「どこでもコンピュータの時代」という演題で約1時間半の講演であった。TRONを中心とするユビキタスについての話であった。内容のレベルは予備知識のない人でも理解できるもので、目新しい情報を改めて知るということはなく、一寸もの足りない感じであった。従って、後半の余談の方が面白かった。

 彼にとってはやはり文部省が採用するといったB−TRONが米国の圧力でオジャンなったことについて今も引きずっているようだ。I−TRONがこれまで普及したのはやはりOSとして非常にコンパクトであり、何よりもLinuxと同じようにこれで商売をしなかったことがここまで普及した原因であろう。しかし、久しぶりに面白い講演を聴いた。これを企画した人たちに感謝!

 台風14号が北海道に近づいているようだ。今晩から大荒れの天気模様で明日には当市の上空を通過する確率が高いが、その時は温帯になっているので、心配は雨だけかも知れない。明日は孫の運動会というのに嫌な台風である。

2003年09月28日


 23日から3泊4日の日程で「お手軽九州縦断ハイライト」旅行に行ってきた。九州は大分前に長崎に2泊したのみで、他の観光地は行ったことながなかったのでチャンスとばかりに参加した。何しろ54800円という格安パックであったのですぐに飛びついた。

 出発は千歳なので朝4時半に士別を発ち、ひたすら高速道を走り、集合1時間前には到着した。今回はたった14名の参加であったが、この位がちょうど良いようだ。初日は鹿児島まで飛んでチェコ村・バレルバレー、霧島神宮を見物して指宿温泉で宿泊。早速、お母ちゃん達は砂風呂へ直行。2日目は蘇内牧温泉、3日目は長崎稲佐山観光ホテルで夜景を満悦。4日目は柳川ドンコ舟下りとウナギのセイロ蒸しを食する。その後、福岡で土産物屋に寄って18時前には千歳に到着。この日は疲れているので、いつものアーバンホテルで1泊して帰った。

 九州を鹿児島から福岡まで縦断したがそれほど広いとは思わなかったのが実感である。横道にも入ったが、高速道で比較すると士別から室蘭までと同じ位なのでさすが北海道は広いと感じた。

 この旅行記はいずれ公開する予定であるが。さすがにビックリしたのは気温差であった。確実に10度以上の差はあるようだ。久しぶりに汗をかいた。



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