2004年
1月〜3月
2004年01月01日





 2004年(平成16年)もなんの変化もなく始まった。今年は申年ということで嫌なことはみんな去ってもらいたい年でありたい。とくに今の平成不況が早く去ってもらいたい。

 すでに年金問題ついてはいろいろと議論がなされて久しいが、あまりにもこねくりまわしすぎてはいないだろうか。もう少しすっきりとした年金体系ができないものかと思う。どこかの党で消費税を基礎年金に充て、残りは自己責任で年金を積み立てるというのはどうだろうか。このようにすれば働けば働くほど年金をたくさんもらえる一方、弱者救済を別に考えなければならないという問題があるが。

 今年も暇とお金を見つけて旅行に行きたいが、海外は何処へ行ってもテロとサーズが心配である。とくにテロは何とかならないものだろうか。国連で真剣に具体策を討議すべきと思うのだが・・・・・。ということで今年も自分の趣味を生かして悠々自適の生活をおくりたいものである。

2004年01月11日


 昨日、道央地区は散々だったらしい。千歳空港は115便が欠航したと報じられていた。2万人近くの乗客が羽田とか千歳のターミナルで右往左往しているのを見ると、人ごとながら大変だろうなと思う。とくに海外旅行に行こうと予定していた乗客はすべてがキャンセルなって悔しい思いをしているに違いない。

 札幌は今まで少雪でだったらしいが、これで2月分までの降雪量は確保したらしい。当地方も例年と比較すると少ない感じがするが、それでも60センチ位の積雪はある。現在、まだ田んぼの畦道がわかるが、いずれ、これも見えなくなる位降るのだろう。

 そういえば数年前、この時期に沖縄旅行へ行った時も千歳が猛吹雪で大変な目に合ったことを思い出す。ヘビースノーが1時間間隔位でやってきて、除雪が終了して2,3機が離着陸するとすぐ閉鎖、そして除雪の繰り返しである。当然エプロンの除雪は追いつかない中、到着したMD81がラッセルしながらタクシーしている目撃。車輪の半分は雪に埋まりながらのタクシー。よくこの深雪の中を移動できるものだと感心した。 

 結局4時間遅れで何とか出発できたが那覇から石垣の乗り継ぎ便を待たせて予定よりも2時間位遅れて石垣に到着した。この時、直接飛行機から飛行機へ乗り継いだのも初めての経験であった。当然手荷物はご一緒できずに後の便で送られてきた。あの時すでに着席していた乗客の視線が痛かった。我々を待つために相当待たされたのに違いない。

 とにかく航空会社にとっては積雪地への運行は大変である。これでも冬季料金という設定がないのが不思議な位である。おまけに払い戻しとかダイバートした時の交通費とかの負担がある。完全な赤字であろう。お察し申し上げますというより言葉がない。


2004年01月15日


 またまた冬の低気圧の大暴れである。今回の大暴風雪は今まで降雪が少ないといわれた地域を直撃したようで当地では風が少し吹いたかなという感じで大雪にはならなかった。ニュースによると北見で胸位の雪をラッセルして歩いている人を放送していたが、あんな経験は何十年前の出来事である。

 札幌、千歳の交通機関はズタズタでJRがCMで雪に強い鉄道を盛んに宣伝していた時期があったが、飛行機が止まれば列車も止まるとは情けない鉄道である。

 レーダー・アメダスを見るとどういうわけか当地を避けて雪雲が移動するのを見ていて内心ホクホク(「他人の不幸は蜜の味」だったりして)である。除雪作業がないことは大助かりで、何しろこの全道的に大雪の中で一昨日の夜半に10センチ程度の降雪があったくらいで、昨日は一時的に太陽を拝むこともできた。

 とにかく今年の天候は例年と比較するとおかしい。積雪は例年以下で温度も高い。異常気象と気象予報士は春になって言い出すかも知れない。今回のような低気圧はカムチャッカ沖とかベーリング海で発達するのが普通で北海道近海で発達するのはするのは珍しい。 

2004年01月28日



 今日、何気なく外を見ると電話工事会社の自動車が我が家の横に止まりケーブルを張り始めた。スワッ!文化の真空地帯にもいよいよ光が来たのかと内心ワクワクの気持ちで工事の人に聞いたら単なるケーブルの取り替えとのこと。 ガクッ!

 よく考えてみると光がこんな田舎に来るわけないか。この町内も少しずつ増えて、その都度、細いケーブルを増設していたのでそのケーブルをまとめるらしい。

 大寒に入ったというのに厳冬いうにはほど遠い日が続いている。積雪も農家の人に聞くと例年の半分程度らしい。喜んでいると今にツケを払わさせられるに違いない。

 雪が解ける頃にはまた海外へ行ってみたいが、テロとか鳥とか牛とかでなかなか出るような雰囲気にはなれない。東京では帆船模型の展示会が開催されているので行ってみたいが、結構寒そうなので止めにした。

2004年02月03日


 昨夜から久し振りの降雪である。明日の立春を祝うような降り方である。北海道はこれから冬の本番を迎えるが、2月はよく「逃げる」と言うようにあっという間に過ぎ去るようなので、早く去ってもらいたいものだ。3月に入るとさすがの北海道も一時的に大雪見舞われる時もあるが、いよいよ雪解けの季節を迎える。春が待ち遠しい。

 今日、自衛隊第二師団を中心とする部隊がイラクへ向かう。昨年、名寄駐屯地の50周年記念行事の中で模擬戦を見たが、あの中の何人かはイラクー行くのだろう。しかし、出発に際して日の丸の小旗を振ったり、幟を立てたりしているのを見ると、まるで太平洋戦争の出征風景を見るようだ。とにかく、一人の犠牲者を出さずに帰ってきて欲しいと心から願わずにはいられない。

 千歳基地にはロシアの飛行機がイラクへ自衛隊の機材を運ぶようだが、そのソ連と対峙していた最前線が名寄の部隊であることを考えると隔世の感じがする。もうすでに名寄の駐屯は用なしの感じもするが、なくなれば名寄市が一番困るかも知れない。

2004年02月08日


 全道各地では今週の土日は雪祭りの花盛りである。士別もご多分に漏れず「’04しべつスノーフェスティバルinサフォークランド」と銘打って昨日と今日雪祭りが開催された。とにかく駐車場が狭いのには閉口した。

 このような小さい町はもっと市民が参加できるような雪祭りを考えたらもっと盛り上がる思うのだが・・・・。たとえば物まねであるが各家で雪像を1基ずつ作り、夜はアイスキャンドルで光らせる。もちろんコンクール形式で賞金が出るとなれば力も入ろうというものである。しかし、あちらに一つこちらに一つではサマにならない。土地柄、全戸の参加は無理?

  
今年から始まったスノーボードのジャンプ大会


会場で見つけた生ビール嬢?

   
外国の参加はなくても国際雪はね大会。参加者全員、賞金20万円を目指す

  
公園の一角に若干の雪像がありました
  


2004年02月16日


 土日にかけて久しぶりに札幌へ出かけた。北海道は今が厳冬期というのに夕方から雨になった。おまけに風も強いのでひたすら地下道を歩き回り、外には出ないようにした。やはり今冬は暖冬なのかも知れない。夜は以前、勤務していた連中が岩内会を作ったのでそれに参加。夜は大いに盛り上がる。

 札幌駅の本屋で専門誌を3冊ほど買い求めたら万札が一枚無くなった。いつの間にか、本も次第に高くなっているようだ。調べものをインターネットで検索する方法もあるが、やはり専門的で詳細なものになると本にはかなわないとう昔人間である。

 ほぼ1年ぶりの列車の旅なので乗り物オタクの鉄っちゃんとしては沿線がどのように変化しているか興味津々である。旭川駅も駅周辺の再開発のため、盛んに構内の整備をしていた。現在の運転所はすでに永山へ移転が終了しており、後は取り壊しを待つのみになっていた。懐かしい転車台と扇形機関庫も無くなるかと思うとひとしお寂しい感じがする。

 新しい運転所は永山のJR貨物駅に隣接して設置したので、近くの住民から騒音問題で一時問題になった場所である。ここにはディーゼルカーと電車が一緒に入るので、当然電化工事は終了している。これで北海道の電化区間は函館線、千歳線、室蘭線、津軽海峡線に加えて宗谷線の一部も入ることになる。ただし乗客は乗せないという特殊な電化区間であるが・・・・・。

 特急スーパー宗谷特集

 宗谷に乗るのはこれで2回目。札幌8時30分発のスーパー宗谷1号に乗るが、4両編成で自由席は4号車1両のみ。他は指定席で一部グリーン席が付いている。せめてあと1,2両は自由席にして貰いたいものだ。JRも商魂たくましい。そのためか自由席は満員、指定席はガラガラである。結局デッキに何人か立っていたようである。

 先発列車がもたついていたのか定刻より2分あまり遅れて発車。しかし、920+460+960+960=3220馬力にものをいわせて次の停車駅、岩見沢では定時発車。この261系の加速感は何とも言えないもので電車に負けるとも劣らない強馬力である。

スーパー宗谷の不思議な現象

 今回乗って不思議なことがあった。さすがに岩見沢では降りる乗客がいないが、深川、滝川、旭川で降りる乗客が結構いるのである。札幌から旭川以遠に行く乗客は自由席の1/2位である。ナンデカナー、ナンデダローという感じである。

 札幌発のL特急は30分毎に出ているのに何故、L特急に乗らないのか不思議である。電車の方が静かだし自由席の車両もたくさん付いているのにわざわざ立つことを覚悟して、1両しか無いスーパー宗谷の自由席車に乗るのか、一度聞いてみたいものだ。この現象はサロベツにもいえるようで10分後にL特急が出るのに旭川までの乗客が結構乗り込んでいる。あちらはガラガラ、こちらの自由席は満員という珍現象が見られる。これでは旭川以北へ行く乗客が、もし立席ならばたまったものではないだろう。

  
  札幌駅も国際的になった?  満席の車内。青天井が特徴  案内やニュースを流していた

  
  高速分岐のため100キロ以上  後部ののぞき窓から    オタク用?に手動のワイパー
  で構内を通過する          雪煙がスゴイ         が付いている

 
士別駅で上り下りのスーパー宗谷がすれ違います

2004年03月03日


 今日は五節句の一つである。ひな祭りである。江戸時代は休みだったそうな。1月7日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日と現在も引き継がれているようだ。日にちを見ると気候の変わり目にもなっているようで、二十四節気と関係があるのかよくわからないが、恐らくは関連があるのだろう。

 桃の節句は春になる節目と思うが、当地方ではさっぱり春の気配は感じられない。しかし、このまま暖かくなると今冬は−30度の日が一日もなかったことになる。このような冬も珍しい。温暖化が進んでいるのかも知れない。

 我が家のおひな様も夫婦だけになったので内裏様のみが床の間に飾っているだけで寂しそうである。子供も独立してしまったのでおひな様も無用の長物になって少し可哀相な気がする。

 そういえば子供頃、女の子の家に招待されて白酒をしこたま飲んで酔っぱらってしまった経験がある。酒を飲んだのはあの時が最初ではなかったかと思う。 

2004年03月10日


 ようやく春らしい日が訪れたようだ。昨日も融雪が進んで雪もザラメ状になり、道路も幹線は乾き、裏道はザクザクの走りにくい季節になった。このチャンスに排雪作業をしてくれると一気に雪解けが進むのだが、そこはお役所仕事である。全くその気配もない。

 我が家の前も歩道まで雪割りをして黒々としている。ここだけはすでに春が来た感じである。おまけに除雪のしすぎで福寿草を植えてある土管も顔を見せつつあるが、今はまだ早いので除雪を止めて、雪をかけている始末である。

 今日は日中8度程度まで上がり、4月上旬の気温になりそうである。夜は雨になる予報である。夜中の雨は今冬初めての出来事である。春はすぐそこまで来ている感じで、恐らくネコヤナギのつぼみを一気に膨らんでいるのではないか。

2004年03月22日




 11日に士別を発ち、成田で1泊して12日ポルトガルへ8日間の観光旅行に行ってきました。

 ポルトガルは日本とは縁が深く、鉄砲伝来やキリスト教の伝来など昔から縁の深い国ということでパック旅行を申し込んだ。



   ポルトガル名物アズレージョ(陶板・タイル)と幸福を呼ぶにわとり

 今回はたった10人という参加者でそのうち我々のグループは6人という構成である。このような少人数でも最初から最後まで添乗員付きという、至れり尽くせりの旅行である。

 集合場所はいつもの成田、ここから旅行が始まるのだが、いつも心配なのは禁煙がいつまで持つかということ。昨年もヒースローまで我慢できたので大丈夫かなと思ったが、今回も慣れているせいか全く心配はなかった。

 それでもトイレで喫煙者がいたらしくCAが放送で注意をしていた。やはり我慢ができない輩がいるらしい。それに反してポルトガルは喫煙天国である。分煙どころか何処でも喫煙していて路上には吸い殻が一杯落ちていた。飛行場でも灰皿があちこちに置いてある。今時、珍しい国である。

 前回、試してわかったのだが時差ボケ防止はできるだけ飛行機内ではぐっすりと寝ることをしないで、眠くても仮眠程度にする。寝不足のまま現地に入るといつでも寝られる状態なのですぐに現地時間の睡眠時間に合わせることができる。これで翌日からすっきりして観光地巡りがきるという仕掛けである。

 この旅行記についてはいずれ旅日記の形で公開する予定である。



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