10月〜12月
2005年10月07日


 
しめじ                          すなもぐり
 毎日散歩している近くの公園に得体の知れないキノコがあちこちにニョキニョキと生えているのを発見。毒キノコかも知れないので少し採って近くのキノコ博士に鑑定してもらったら食用になると言う。それではと次の日すなもぐりを一箱分採ってきて近所におすそ分け。

 シメジはさすがに少なくて我が家でキノコご飯にして食する。とても美味しかったが、すなもぐりはダシ程度にしか使用でないと言うことであった。とにかく歩いて5分位のところにこのようなキノコが育つのは気候がおかしくなっているのかも知れない。

2005年10月14日


 つい最近まで緑一色だった野山が瞬く間に晩秋の佇まいになってしまっている。今年は意外と暖かい日が続いていたのでもうこんな季節になったのかと紅葉の景色を見て驚いている。

 それほど寒暖の差がないのに最近にない見事な色合いを見せている。とくに桜の木の真っ赤な葉は見事でしばらく散歩の足を止めて見とれてしまった。

   
近くのつくも公園内の紅葉風景

2005年10月19日


 今日はついに最低気温がマイナスになって、いよいよ冬将軍到来という感じである。先週から雪虫が盛んに飛んでいるので今週末か来週には初雪があるのかも知れない。

 今年の冬はストーブもまともに焚けない位、灯油が高騰していて現在は70円を超えているが最盛期には100円近くまで上がるかも知れない。こうなればオール電化の家がうらやましくなる今日この頃である。

2005年10月21日


  
   アルバム用の表紙                  旭川空港に駐機していた名古屋便
 念願のクルーズに参加してきた。今回の旅行は5月に申し込んでいたのだが、そのときはすでに満席でキャンセル待ちの状態であった。我々は4人一緒なので順番は8人のキャンセルがあって参加できるとのことであった。

 半分諦めていたところ旅行社から連絡が入り、参加することができた。成田集合は明日なのだが万が一を考えて前泊することにして旭川発13:00のJL1104便に乗り、羽田に向かう。羽田から成田までリムジンバスで向かうが、料金はなんと3千円もする。ボッタクリである。ホテルはいつもの管制塔前のホテルに落ち着く。

2005年10月22日


  一夜明けて初めて第1ターミナルの集合場所へ昼食を兼ねて早めにホテルを出る。今回の参加者は55名プラス添乗員3人の大所帯のグループである。

 今回の航空会社は全てアメリカン航空で日航とのコードシェア便である。この便は我々の団体と米国のエル・パソへ行く空自の団体で満席状態であったが、乗客の皆さんの集まりがよく、定刻前にテイクオフした。

 機材は777で燃料を一杯積んでいるためか、長い滑走の上離陸。一路ロスへ向かう。東回りなので瞬く間に夜がきて、夜が明けるという感じである。途中日付変更線を通過する関係で時刻上は成田発より早くロスに到着する。

 この機材を見て驚いたことは日本語表示があちこちにあり、まるで日本の航空会社の機材のようであった。PAも英語と日本語の二本立て、目の前のディスプレイも日本語表示が可能であり、映画も吹き替えか字幕付きという、日本人向けにいたれりつくしの機材であった。これもコードシェア便のためかは定かではない。

 したがって22日という日は2日分が1日という感じで非常に長〜い1日となった。ロス到着後さっそく市内観光をして、本日の宿泊場所のアナハイムへ向かう。

 アナハイムはディズニーランドがあるところで、その近くにあるホテルに泊まる。このホテルでは喫煙できる部屋が別にあるため皆さんとは別の階に案内された。喫煙者は次第に肩身の狭い状況つつあるようだ。


左写真 朝配達された新聞。1sはありそうな量である。もしこの新聞を隅から隅まで読もうすれば1日はかかりそうである。

2005年10月23日


  
ズラリと並んだクルーズ船。4隻停泊中    我々の横に停泊していた空母ミッドウエイ

 アナハイムを朝出発してサンディエゴへ向かう。市内の公園や海岸を観光後、いよいよクルーズ船に乗り込む。港はクルーズ船で一杯の状態あった。この光景は珍しいとのこと。理由はカリブ海に次々とハリケーンが発生している関係で太平洋側に集中しているためという。

 夕方になると次々とクルーズ船が出航して行き、本船のみ取り残される。出航は23時で22時30分頃からバンド演奏と共に賑やかに岸壁を離れた。

2005年10月24日


  
          今回の旅行の全行程      テレビに本船の情報がリアルタイムに放送されていた

 本日はカボサンルーカスへ向けて終日航海である。午前中に救命具を付けてデッキ5の指定された救命艇の下で点呼をとる。部屋番号を呼ばれたら「here!」と叫んでチェックを受け、その後、救命具の付け方と使用方法の説明を受けるが、そのほとんどは英語力が乏しい私にとっては単に「お経」ぐらいにしか聞き取れなかった。この時ばかりは映画「タイタニック」を思い出した。

 本船は「レディアンス・オブ・ザ・シーズ」というパナマックス船。パナマ運河を通過できる最大のクルーズ船である。
  
 諸元 船籍 ナッソー、バハマ 
     トン数  9万トン  
     全長×幅×喫水 293.2×32.2×8.5b
     速力24ノット
     エンジン ガスタービン2基 蒸気タービン1基 3基のポッド式電気推進
     
 夕方5時から船長主催の「ウエルカム・カクテル・パーティー」がフォーマルの服装で始まり、引き続きフォーマルディナーとなりました。

2005年10月25日


 今日は今回の最初の上陸地カボサンルカス港に入港し、ロスカボス観光に出かける。港付近は典型的なリゾート地でホテル、土産物屋が軒を並べていた。

 この辺一帯は荒れ地で目に付くのはサボテンばかりという景色である。とにかく暑かった。

    
テンダーボート(渡し船)で上陸                港の風景        

2005年10月26日


 今日はプエルトバジャルタへ上陸。港町はリゾート地になっており、我々はバスで近郊のリゾート地などを巡り、港へ戻る。

    
         電車もどきのバス       海岸のあちこちにこのような彫刻がありました

2005年10月27日


   
数十年振りかで泳いでみた              バッコという玉入れです
 今日はメキシコ最後の寄港地ウアトルコへ向け終日航海であった。この頃になると船内生活にもすっかりと慣れて船内のあちこちでいろいろな催し物に参加したりしてゆったりとした気持ちで一日を過ごす。船旅はいいなーと感じる至福のひとときであった。

2005年10月28日


   
人と比べてみるとその巨大さがわかる       船首にはヘリポートがありました

 今日はメキシコ最後の寄港地ウアトルコに入港。ここで初めて岸壁に着きました。ここは港のみで近くの街まではタクシー(4ドル)を使っていかなければならなかった。ラ・クロシスタという街で土産物屋を覗いたりして、街の中をしばらく散歩する。

 しかし、どこの港へ入っても必ずクルーズ船に出くわす。このコースはクルーズ船の銀座通りと言ったところか。

2005年10月29日


 本日は終日航海となった。クルーズも今日で半ばを過ぎ、皆さん船内で行われるイベントに積極的に参加していた。

 ミニゴルフのイベントにも日本人グループたくさん参加して団体で2,3位をゲット。さすがいつもパークゴルフに精を出していたかいがあったようだ。

 ちなみに私も飛び込み大会に出場して参加賞の本船専用の帽子をゲットした。購入するとたしか10ドルしていたのでないかと思う。

 とにかくいろいろなイベントに参加すると金券カードが貰えるので皆さんせっせと貯め込んでいたようです。

2000人もの乗客はそれぞれ自分のペースで船旅を楽しんでいたようです。しかし、欧米人は何故あんなに日光浴が好きなのだろうと不思議に思う。

2005年10月30日


  
国立劇場           劇場横の公園             国立博物館
 今日はコスタリカのプエルト・カルデラに入港。バスに揺られて首都のサン・ホセの観光をしてきた。途中1500bの高地を越えて行くのだが、道路はお世辞にもよいとは言えない。

 主な産業はコーヒーでとくに高地で採れるものが高級品という。観光の帰りにスーパーに立ち寄り、皆さんおみやげ用に大量に買い込んでいました。

 この国は軍隊を持たない世界でも珍しい国です。その予算を教育費に回していて識字率は中南米で一番という説明がありました。

 首都の往復に見たジャングルはさすがここは熱帯地帯ということを身をもって経験しましたが、とにかく気温・湿度が高いのには参りました。

2005年10月31日


 本日は今回のクルーズのハイライトであるパナマ運河へ向けて終日航海であった。

 おまけに今日はハロウィーンで船内でもハロウィーンのパーティが開催されていた。

 我々にとってはあまりなじみのないものであるが、彼らはこの日のために衣装を持ち込んでいて一斉に仮装して船内を歩き回る姿を見ると大笑いの連続であった。

これだけの衣装を揃えるだけでも結構な荷物になったと思うのだが、彼らはこの行事をいかに大切であるかがわかった。

2005年11月01日


   
アメリカ橋                       太平洋側の閘門
 朝6時過ぎに運河に到着。最初に見えるのがアメリカ橋である。この道路は南北アメリカをつなぐ重要な橋という。間もなくこの運河の特徴である閘門に近づく。運河と本船の間は1bもないのでスリル満点である。よく見ると船がこすった後があちこちに見ることができた。

 閘門に入ると相当な勢いで水が満たされ船が持ち上がる。意外と早く水を出し入れするようだ。途中でオプションに出かける人達を降ろしてクリストバルに入港し、シッピング・センターを散策する。もし運河を境に南北アメリカに分かれるとすれば南アメリカにタッチしたことになる。
   
    後から来たクルーズ船           クリストバルのシッピング・エリアでの歓迎

2005年11月02日


    
    コウモリ?             この雲がハリケーンになるかも
 今日は最後の寄港地アルバ島へ向けての終日航海である。カリブ海は太平洋の色とは少し変わっていて緑かかった海の色である。熱帯特有の雲がわき上がってスコールが必ず通過する。

 毎日のベットメーキング時にいろいろな動物をタオルで折ってくれる。これを見るのも楽しみの一つで、この折り方の講習会も開催されていた。

2005年11月03日


 クルーズ最後の寄港地であるアルバ島のオランヘスタードに入港。

 この島はベネズエラまで20数qという近いところに位置しているにもかかわらず、オランダの自治領となっている。

 とにかく産業というものはほとんどなく観光地として頑張っているところらしい。島はほとんどが荒れ地でいたる所にサボテンが立っている。

 その他にも植物があるが、貿易風のため、上に伸びずに横に伸びているのが面白い。

 バスで島を一回りして港付近のおみやげを見て回るが、とにかく暑いのには参った。

2005年11月04日


 
巻きずしとにぎり寿司で作ってあります         これも見事な芸術品?     
 オランヘスタードを出航して2昼夜カリブ海を航行してマイアミに向かっています。2回目のバッコ大会やダンス教室、ダーツ競技などのイベントや岩上りの大会も行われておりました。

 夜はシェフが腕によりをかけた「ガラ・ハッフェ」が催された。これは色とりどりの食材を使用した、それは素晴らしいできばえでした。一通り見物した後は各自自由に食べることができたのですが、なにしろその時間が夜中の0時からとてうことで食するのはパスしました。さぞかし味もよかったのではないかと思います。

2005年11月05日


      
お茶目な掃除機                2回目の大合唱
 いよいよ明日はマイアミに到着予定。今日から下船の準備に入る。荷物の整理、チップの用意など細々したものが結構あるようだが、全てお母ちゃん任せである。

 本船はキューバとドミニカの間を航行し、ポートサイドにキューバの島影を見ることができました。船足は時間調整のためか20ノット以下でゆったりとした速度で北上を続けている。

2005年11月06日


  
ターミナルの屋根もハリケーンの被害を受けている     本船から見えた船会社ビル

 朝5時頃目が覚めて外を見るとすでに本船は港に向けて細い水路を通過中であった。平行している道路を見るとたくさんの自動車が行き来しているのを見ると米国に帰ってきたんだということを感じた。

 6時には一回転して接岸して今回のクルーズはこれで終了した。下船は番号順で行われ、10時頃ようやく下船してターミナルの入管でいつもの写真と指紋をとられて米国に再入国となった。

 ここで不思議だなと思ったのはクルーズで下船した国はメキシコ、コスタリカ、パナマ、アルバと4カ国になるが、下船に際してパスポートコントロールが一切なかった。それに対して米国の入国は厳重である。やはりテロで相当神経質になっているのかなと思ったりしている。

 下船後はバスでマイアミの市内観光をした後、ホテルに入り、夕方、日本食と夜の観光ツアーに出かけた。ビルはたくさんあるのだが全体に暗い感じがする。まだハリケーンの影響が残っていたのかも知れない。
  
あちこちにこのような姿が見られた              マイアミ空港       

2005年11月07日


 朝4時に起床。ホテルの目の前にあるマイアミ空港へ。これから成田まで辛い飛行機の旅が始まる。

 空港ターミナルの玄関で思いっきりタバコを2本を吸って長〜い禁煙時間に入る。本当に喫煙者には辛い旅である。

 6:51発のAA1511便でダラスへ向かう。3時間後ダラスに到着。この空港のなんと広いことか、たしか8つあるターミナルをタイヤ付きの無人電車が連絡していた。

 いよいよ成田に向けてAA175便に乗り込み、1万qの飛行がこれから始まるのかと思いつつ、座席を捜したところ、なんと自分の座席がない。この777は1列少ない仕様のものだったらしい。ようやく空き座席を指定され一安心。もしかしたら降ろされるのではないかと内心ヒヤヒヤものであった。

2005年11月08日


 今回は西行きなので成田まで夜を迎えることはなく、無事14:40に到着。20時間ぶりに吸う一服はうまかった。しかし、これだけ禁煙できればタバコを止めることができるのではないかと思ったりしたのだが、すぐに売店にタバコを買いに行く自分が情けない。

 定刻に着いたので、このまま旭川へ帰ることも可能なのだか、遅れた場合を考えて前泊したホテルに泊まることにした。この方が安心できるし、何よりもホテル代が安価なのでつい泊まってしまうのが本音というところある。

 夕食は久し振りの日本食とお酒で乾杯。風呂に入ってぐっすりと寝ることができた。

2005年11月09日


 今日は成田から羽田に移動し、13:00発JL1104便で帰るのでホテルを9時過ぎにチェックアウトした。

 ターミナルで遅い朝食をとって羽田へ向かう。今回はバスをやめて電車で移動することにした。時間はかかるがバスの半値で行けるとは乗ってみて初めてわかった。

 羽田でいつものひよっこを購入し、15時前に無事に旭川に到着。さすがこの時期は寒い。無料駐車場に置いてあった自動車も無事だったようで夕方には我が家に到着。

 まだ雪が残る我が家を見て、3,4日前まで出っ腹を出して日光浴をしてたのが夢のようである。

 今回のクルーズに参加してみて少し費用はかさむが、ご老体が旅行するには最適であることがわかった。ハマリそうである。

2005年11月22日


 11月も下旬に入ると毎年、一度は大雪が降るが、今年は今のところ除雪車が出動するまで至っていない。とにかく一日でも積雪が遅いと有り難いのだが、これからは本当にうんざりする毎日が続くことになる。

 先月の今日はクルーズに参加するため、成田に集合した日である。本当に時間の経つのは早いものである。棺桶に入るのもあっという間なのかも知れない。

2005年12月05日


   
キラキラとした霧氷は幻想的です           公園の池も結氷しました

 今年の冬はとても寒くなりそうだ。昨日の最低気温はなんと−21度にも下がった。今時こんなに下がるのは珍しい。積雪はそれほどでもないが、いつドカ雪が来るかわからない。

 天気図を見るとアムール川も結氷して流氷がそろそろ拡大し始めているらしい。今年の流氷は中国の化学工場の爆発で大量の汚染物質がオホーツク海に流れ出すらしい。近海物の魚には十分注意しなければない。

 最近の海の汚れは相当ひどいらしい。おまけに大量のゴミが日本の沿岸に打ち上げられて自治体が始末するらしいが、一自治体のみではその費用も大変だろうと思われる。ぜひ国としてこの対策を打ち出さないと海岸線はゴミの山となるに違いない。早くきれいな海岸を取り戻してもらいたいものだ。

2005年12月24日


 長期予報によると今年の冬は暖冬という。ところが意に反して北海道以外では大変な大雪という。しかし東京だけは晴天が続くという不公平な降雪である。

 雪国の苦労を九州、四国地方の人達も少しはわかってくれたかも知れない。ニュースではどこそこの高速道が閉鎖中と盛んに報道しているが、北海道の高速道の閉鎖はニュースにもならないらしい。最近はすこしの降雪でも直ぐに閉鎖になってしまう。昔は前後左右真っ白の中をヤマ勘で走っていたのが懐かしい。

 今日はクリスマス。この年になるとプレゼントを贈るばかりで、ここ何十年プレゼントをもらったことがない。

 それでは自分自身にプレゼントいうことで「大人の科学」シリーズの中から「蒸気エンジン自動車」「スターリングエンジン」の2冊を購入してきた。

 昔から動くものが好きでいろいろなものを組み立ててきたが、今回購入した2種類のエンジンは手軽にその動作原理がわかる仕組みになっている。

 「蒸気エンジン自動車」のボイラーは上部がプラスチック、下部がスチール製であるがこれで熱に対して大丈夫なのか一寸心配。おまけにピストンは金属製であるがシリンダーはプラスチックである。

 「スターリングエンジン」は以前に違うタイプのものを製作したが、今回のエンジンはより原始的なエンジンである。このエンジンは手の平に乗せても動作するという。組み立てるのが楽しみである。



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