11月23日(日)
バンコク レムチャバン到着〜バンコク市内観光〜帰途へ
最終寄港地のタイのバンコクから100キロ以上離れたレムチャバンへ到着。
今朝は5時頃、目が覚め、さっそくコーヒーを一杯。6時には朝食を済ませ、下船時間が来るまで部屋で待機。8時まで にはパシフィックダイニングに集合し、下船の順番を待つ。
長かったアジア周遊クルーズも今日で無事終了した。今回の船旅は寒い地域から次第に暖かい地域に移動するコー スだったので体調も調子よく快適なクルーズであった。本船は午後には新しい乗客を迎え、天津に向かうという。乗組員 にとっては休む暇もなく、迎い入れの準備に大わらわの感じであった。
今航海最後の朝食。至って簡素な朝食です。
下船したのはレムチャバンのコンテナヤードであったので、ここからバンコク市内まで相当な距離(135q)があった。 バスは休憩を入れて、2時間近く走って、ようやくバンコク市内に到着した。
朝焼けがきれいです レムチャバン港 旅客ターミナル
港には珍しく巡視船「しきしま」が停泊。海外で日本船を見るとホッとするのはなぜかな このタイプの巡視船はプルトニウム輸送船護衛のため建造された世界最大級の巡視船という 35mm連装機関砲2門(前方)、多銃身20mm機関砲2門(左右舷側)がカバーも掛けずに停泊していました さらに後部甲板にはヘリを乗せている。この位の装備になると巡視船というより一寸した軍艦です 我々を楽しませてくれた本船ともこれでお別れです
下船直後、荷物の引き取りで、ごった返しています このバスにたった11人の乗客
バンコク市内までの道中
バンコク市内へ行く途中で見かけたスクラップ置き場のDC−3
ここでトイレ休みをとりました タイの横断歩道橋は立派です
高速道をいつもの定員過剰で走行する小型トラック そのトラックが料金所を出たところで、ついに御用
スワンナプーム国際空港と市内を結ぶ新鉄道 市内のあちこちでは今も盛んにビルを建設中
バンク市内に入りました。まだまだ成長している感じでした。
バンコク市内に入って最初に寄ったところは、観光コースおきまりの免税店。ここでタイの安いお土産品を購入。その 後、11時過ぎに市内のとあるホテルでビュッフェ形式の昼食をとる。ここで食したタイ風ラーメンはあっさりとしていて結 構いける感じであった。
バンコクの市内観光は5年前に一度見物しているのだが、今回、もう一度見物できるとは思いも寄らなかった。前回と 比較すると市内の交通事情は少しよくなった感じだ。時間帯によるのかも知れないが、当時「動く駐車場」と呼ばれた、 渋滞にもぶつかることもなく、ほとんどの道路をスムーズに移動できた。またバイクの台数も以前より少なくなったような 気がした。
今回の市内観光はお定まりのワットアルン(暁の寺)・エメラルド寺院・王宮などを見物して、休憩場所のホテルに戻 り、そこで一旦解散。19時に再集合して空港へ向かい、帰国するという予定。
空港では関西組(5人)と成田組(6人)に別れて、それぞれの目的地に向かう。添乗員は関西組に付いていくため、 我々はここの空港で解散というとになった。
最初に訪れたのいつもの免税店。結構な値段でしたが、安いのか高いのか見当がつきません。
これは珍しい電気自動車 客室シートが2列のツクツク 一番高いバイヨーク・スカイホテル
このホテルで昼食をとる。敷地内の一角には仏堂が置かれています。
寿司は結構なお味でした タイ風ラーメン レストランの一角で何かを調理中
バンコク市内あちこち
いつもの自動車の間を歩き回る物売り。危ないです。 バナナを揚げて売っています
これらのバスの製造元はベンツ、ホンダ。ほんまかいな?
黄色い旗は反政府団体「民主市民連合」? メンテナンスは大丈夫なのだろうか
あいかわずゴチャゴチャしたものを売っております
タイ様式の建物が続々と建築されています
中国風の門 日本の鳥居風の門です
暁の寺院(ワット・アルン)
暁の寺院の正式名称は「ワットアルンラーチャワララームラーチャウォンマハーウィハーン」という非常に長たらし い名前です。タイの正式名称はやたらと長い名前が多い。ちなみに現国王のラーマ9世の正式名称は「プラバート・ソム デット・プラパラミンタラ・マハー・プーミポン・アドゥンラヤデート・マヒタラーティベート・ラーマーティボーディー・チャックリー ナルボーディン・サヤーミンタラーティラート・ボーロマナートボーピット」という。まるで「寿限無、寿限無・・・・・・・」と同じで ある。
寺院はチャオプラヤー川を挟んでワット・ポーの向かい側、アルンアムリン通りにあります。アユタヤ王朝時代に建立さ れ、「ワット・チェーン」と呼ばれ、トンブリー王朝時代には王室の守護寺院となっていました。三島由紀夫の小説「豊饒の 海」第3部の「暁の寺」は、この寺院をモデルにしているという。
久し振りのチャオプラヤ川。以前よりイヤな臭いは少なくなったかな 前回は日射病でこの景色しか見ていませんでしたが、今回は渡し船に乗り身近で見物しました 転げ落ちそうな階段です。降りるのが大変。 近くに寄るととてもきれいな装飾が施されています タイの犬猫は暑さのせいかいつもこのような姿です
手を叩くと沙羅双樹の花が開くと言うのだが・・・・・ 金箔を貼ってお参りしています
ワット・プラケオ(エメラルド寺院)
ワット・プラケオはエメラルド寺院とも呼ばれます。この寺院は王室の守護寺院で、本堂は美しいエメラルド色に輝き、本 尊のエメラルド仏はタイで一番重要な仏陀で王室の守護神になっています。ワット・プラケオは、タイ国最高の格式を持っ た寺院でということです。
これらの中国風の石像は中国貿易船のバラストとして使用されていたという説明 ワット・ラチャナダー 王宮の門番、ヤック君とモック君 仏舎利塔(スリランカ様式)や経蔵などが見えます
いつ見てもきらびやかで派手な寺院です 本堂。とてもきれいに装飾されています。 プラサート・プラテープビドゥーン 本堂の側面と仏塔(チェディ) ラーマキアン(タイの叙事詩)の壁画。現在修復を行っている最中でした。
王 宮
タイ国王の「公的」な居住地であり、国内すべての宮殿の中でもっとも重要であるとされる宮殿。ただし、実際にはラー マ9世以降国王は居住しておらず、日常的な公務も行われていないというが、真偽の程は不明です。
衛兵三態。以前はこのようにあちこちには立っていなかったような気がします ドゥスイット・マハ・プラサート宮殿 欧風建築でありながら、屋根はタイ風のチャクリーマハープラーサート宮殿 チャクリーマハープラーサート宮殿 出入り口の営門には以前、重機関銃がデンと備え付けられていたのですが・・・・・ 王宮の塀の周りにはたくさんの人達がゴロゴロしています。目的は一体何なのかわかりません
帰途へ
空港へ行く間、休憩していたホテル。日本庭園もどきの飾り付けがありました。 ここの利用客は日本人がとても多く、ホテル内の店では日本円で買い物ができ、おつりも日本円でした。
19時過ぎに新バンコク国際空港(スワンナプーム国際空港)へ向かう。以前、使用されていたドンムアン空港はバン コクの北側にあったが、新空港はバンコクの東側に位置している。この空港はいわくつきの空港で当初の開港は05年 の予定が実際には1年遅れ、おまけに開港しても次々といろいろなトラブルが発生してるという。
現在は2本の滑走路を持ち、最大で一時間76便の飛行機を離陸させることが可能で、年間に最大で4,500万人の輸送 が可能である。計画では4本の滑走路を建設することになっており、そうなれば理論上、年間1億人の輸送が可能となる という。
ターミナルはドイツ人の設計で斬新な構造である チェックイン・カウンターとイミグレーション イミグレーションを出たコンコースに巨大な置物がありました 神と阿修羅が蛇を綱にして引き合うヒンズー教の天地創造神話「乳海攪拌」を表現したものという
スワンナプーム空港の通路は無機質ななデザインのため歩いても風景が変わらず、やたらと距離を長く感じる。動く歩 道もほとんど無く、おまけにゲート近くにセキュリティがあるため水物は持って入ることができず不便です。売店へ行こう にもゲートで一旦搭乗券を預けるという煩わしさがあります。椅子も鉄板で、すこぶる座り心地が悪い。モダンな外観とは 裏腹に旅行者にとっては非常に使いづらい空港だと感じました。日本の空港がいかに使いやすいかを再認識しました。
搭乗機はB777でバンコク23:55発NH916便であったが、出発は少し遅れて日付が変わり、24日に入ってから 離陸し、成田へ向かう。夜中の12時を過ぎても食事が出るのかと思ったが、さすがに朝食のみという献立であった。ワ インとつまみで小腹を押さえ、その後、ぐっすりと眠りにつく。
11月24日(月)
成田〜羽田〜旭川〜我が家へ
出発が遅れたため、定刻より少し遅れて7時40分頃スポットイン。今日の成田はとても寒く、3度ほどしかない。なに はともあれ、熱帯仕様の服装のままでは風邪を引くことは目に見えているので、宅急便取扱所の横で荷物を解いて、重 ね着をする。本当はモモ引きも穿きたいところであったが、衆人監視の中ではそれも叶わずといったところである。
荷物を預け、羽田行きの電車に乗る前、たまたま通りかかった両替所を覗くと、ユーロが120円で売られているのを見 て思わず10万円ほど両替してしまった。09年にヨーロッパへ行く予定なので、今の内にと思って両替したが、この相場 がが吉と出るか凶と出るかは神のみぞ知るといったところか。
南シナ海で夜明けを迎える。下弦の月がきれいです。 沖縄を過ぎて間もなく朝食なります
成田到着
成田には一足早くA380が到着 荷物を引き取ると帰ったなという感じです お仕置き場でまずは一服
京急のクロスシートに初めて乗りました。このシートの方が楽です。
京急蒲田付近の高架工事
走っている電車の真上に高架工事をよく行えるものだとただ感心するばかりです 漫才の三球・照代ではないが、線路の切り替えはみんなが寝ている夜にこそっと切り替えるのかな
羽田で昼食をとり、14:30発JL1113便で旭川に向かい、定刻より10分遅れで到着。気温を見ると−3度というの が見えた。寒〜い。途中、地元の回転すしで久し振りのうまくない寿司を食べたが、このときばかりは美味しく食べること ができた。
ターミナルの中に自動車が駐車中?お店屋さんでした。
A300−600R旭川行き 二筋の飛行機雲が見えます
雪の中の旭川空港 愛車を雪の山から掘り出しました
18時には冷え切った我が家に無事到着。気温はすでに−10度を下回っていた。今日は33度から−10度の世界を 一日で体験したことになる。風呂に入って早々に寝床に入り、旅の疲れもあってか、ぐっすりと寝ることができた。
《後日談》 26日の新聞報道によると「タイの反政府団体「民主市民連合」は25日夜、バンコク近郊のスワンナプーム国際空港に数千人のデモ隊を動員し、空港の出入り口を封鎖したうえターミナル内にも乱入した。この事態を受け、空港当局は午後9時(日本時間同11時)、空港を閉鎖すると発表した。」という内容が報じられてる記事を見てビックリ。日程が一日ずれていたら空港に缶詰になるところであった。旅行へ行く前からタイの政情が不安定であることは知っていたが、まさか現実になるとは思いもよらなかった。 クワバラ、クワバラ
今回のクルーズは2週間という結構長い期間であったが、終わってみればあっという間のクルーズであった。今回はア ジアクルーズということで、当初の長崎港乗船が思わぬことから抜港になり、上海観光ができなかったのが心残りであ る。それでも東南アジア各国を観光できたのはいい思い出となった。
とくにベトナムは戦争が終結して40年にもなるのに未だに日本の昭和30年代を見るような感じであった。まだまだ各 国の援助が必要と思われる。戦争は幾世代まで影響するのは確実であることを考えると絶対に避けなければならないと 肝に銘じた旅行でもあった。
アジアクルーズ TOPページへ 《終》
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