《3日目》
今日は佐渡滞在の最終日であったが、天気はあいにくの小雨模様の日となった。おまけに日中の気温は相変わらず2 5℃以上の夏日となっており、やたらと蒸し暑い日となった。
今日の観光は八幡温泉から両津港へ行く途中の観光地をあちこち見学しなからの行程であった。両津港からは行きと 同じジェットフォイルに乗船し、新潟駅で解散となった。
帰りも飛行機を利用して新潟を15:45発ANA4783便に搭乗して17:00に千歳に到着。21時前には無事我が家に 到着した。

国府川浄化センター 真野方面の眺望
 ホテル八幡館のロビーとホテル前の松並木が見事です
 八幡温泉からあちこち寄り道をしながら両津港へ向かいます
佐渡国分寺跡
奈良時代の天平13年(741)に、聖武天皇の命で、国ごとに国分寺が建てられました。佐渡国分寺は、743年〜775
年までの間に建てられたと考えられます。国分寺跡は、国仲平野を見おろす真野町国分寺にあり、当時の建物の礎石 現在も残っています。現在は史跡として整備されていて、建物の配置のようすがよく分かるようになっている。
 よく注意しないと見過ごしてしまいそうな場所にあります
妙宣寺
阿仏房妙宣寺にある日光東照宮の五重塔を模した木造・純和風の高さ24.11メートルの五重塔で、県内唯一の五重 塔。相輪は江戸風ですが、組物などは地方色豊かな建造物です。棟梁は相川の茂三右衛門とその婿養子金蔵と伝えら れ、親子二代30年がかりで完成させたといわれていますが、各層とも勾欄がないため未完であるとも言われている。国 の重要文化財に指定されています。

苔むした山門が素晴らしい 雨に濡れた五重塔は風情があります
大膳神社能舞台
佐渡には、現在も30余りの能舞台が残っています。かつては200以上もあったといわれますから、能が庶民の手によ って村々の鎮守の祭りの場として広がっていたことがわかります。現存する佐渡の能舞台の中でも、県有形民俗文化財 に指定されたものが8つ、市指定有形文化財に指定された者が5つあり、毎年6月の薪能月間には大勢のファンが訪れ ます。これらは世阿弥が佐渡に流されて能が広まったのではないかと勝手に想像しています。
この神社の能舞台は、弘化3年(1846)に再建されたもので、本舞台(寄棟造、茅葺き)、後座(あとざ)、地謡(じうたい) 座、橋掛り、裏通路などがあります。残された記録から、能が演じられたのは文政6年(1823)以降であることが分かりま す。 現在は、真野能楽倶楽部が主体になって、毎年4月に定例能が行われています。また、真野地区には佐渡鷺流狂 言(さぎりゅうきょうげん)も伝えられていて、能とセットで上演できます。

この道の奥まったところに能舞台があります 能舞台は年中解放されているという
トキの森公園
トキはかつては日本の北海道南部から九州・沖縄まで、ロシア極東(アムール川・ウスリー川流域)、朝鮮半島、台湾、 中国(北は吉林省、南は福建省、西は甘粛省まで)と東アジアの広い範囲にわたって生息しており、18世紀・19世紀前 半まではごくありふれた鳥であった。日本では東北地方や日本海側に多く、太平洋側や九州ではあまり見られなかった ようである。
しかし、いずれの国でも乱獲や開発によって19世紀から20世紀にかけて激減し、朝鮮半島では1978年の板門店、 ロシアでは1981年のウスリー川を最後に観察されておらず、日本でも2003年に最後の日本産トキ「キン」が死亡した ことにより、生き残っているのは中国産の子孫のみとなった。
日本の最後のトキは1968年3月に新潟県佐渡郡の真野町で宇治金太郎により捕獲され同県の新穂村にある佐渡ト キ保護センターで飼育された。1981年に当時佐渡島に生存していた全てのトキが捕獲され、キンとのペアリングも試み られたが、既に老齢のキンが卵を産むことはなかった。1995年4月にミドリが死亡するとただ一羽残された日本産最後 のトキとなった。2003年10月10日の朝、ゲージ内で死亡しているのが見つかった。死因は、突然飛翔してゲージの扉 に衝突したことによる頭部挫傷と見られる。推定36歳、飼育慣れしたキンが最後まで生存する結果となった。その臓器 は全て冷凍保存されている。いずれ遺伝操作によって日本生まれのトキが復活するかも知れません。
 資料館の横に繁殖用のゲージがあります
 トキの繁殖は鳥インフルエンザによる全滅を避けるため佐渡のほか多摩動物公園、いしかわ動物園、 出雲市に分散して繁殖しています
 日本産トキの人工繁殖は結果的に失敗し、国内では絶滅したが、中国産トキを輸入した人工繁殖では100羽近く まで増やすことに成功した。中国でも人工繁殖および生息地の保護により現在では900羽まで回復している。
 トキの顔をよく見ると面白い顔つきをしています
 |  | | トキの学名はニッポニア ニッポン | キンとミドリの骨格見本 |  |  | | ニホントキ最後の「キン」 | ミドリ |  |  | キン(1967年頃 - 2003年10月10日)は、最後の日本産のトキ。メスであることから当初はトキ子と 呼ばれていたが、後に地元の愛鳥家、宇治金太郎の一部を取ってキンと名付けられた。
 野生復帰ステーションではより自然に近い環境下で採餌や繁殖といった基本的な生存能力等を養い、 周辺環境にも慣れるといった、放鳥のための訓練を行っています。 「佐渡トキ保護センター」は、トキの保護と増殖を目的に環境省が設置し新潟県が管理・運営している 施設で、 センター内は一般公開されていません。
本間家能舞台

明治18年に建立された本間家能舞台は、加茂湖のほとり、吾潟という地域にあります。この舞台は音響用の甕(かめ) が床下に埋められてある本格的なもので、個人所有の能舞台としては全国でも珍しいものです。本間家は佐渡宝生流 の本拠として当代で18代目。佐渡能の中心的地位を保ってきた本間家の存在は、佐渡においての能の普及と庶民化に 多大な影響を及ぼしました。毎年7月の最終日曜には定例能が行われます。
両津港から新潟港へ

3日間お世話になったミニバン 両津港の乗船待合室。結構混雑していました。
 土曜日のせいか帰りのジェットフォイルは7割方席が埋まっておりました

「おけさ丸」を瞬く間に追い抜いていきます RORO貨物船 「日海丸」

巡視船 「ひだ」 新潟駅南口 空港行きバス乗り場
新潟空港から千歳空港へ
新潟駅で連中と別れて、リムジンバスで空港へ向かう。時間はたっぷりあるので連中と昼食を摂るつもりでいたが、や はり歳のせいか、気がせいてしまい、結局、昼食は空港内のレストランで摂ることにした。
空港の出発ロビーに隣接してレストランやおみやげ屋が並んでいるのだが、人影はほとんど無く閑散としていた。レスト ラン街の入口にあるレストランから閉店しており、あれではお客も入る気が無くなるのも当然である。
奧にあったレストランに入っても客は2,3人しかいな、これで採算がとれるのか心配である。しかし、飛行機好きにとっ てはエプロンや滑走路が一望できる最高の場所であった。

新潟〜佐渡間に飛行機の定期便が再開されました 新潟空港の国際線到着ロビーは飾り付けが多い
 出発ロビーの出店もあちこち空き家があります。 やはり不況の風がこの空港にも押し寄せているようです。

A319 上海行き Q400 大阪行き
 この便は久し振りの満席状態でビックリしました、
 帰りの便は離陸から着陸まで雨模様でした
 珍しく飛行機から暈雲を見ることができました
 小雨の中、無事千歳空港へ到着。これから我が家までひたすら走り続けます。
17時に千歳空港へ到着して駐車場の出迎えのバスを待つがいくら待ってもバスの影すら見えない。仕方がなく電話す るが、もう少しで到着すると言うばかりで、待つこと15分。ようやくバスが到着して、乗り込むことができた。ところがこの 時間帯は勤務時間が終了した空港関係の職員を拾って、駐車場へ向かうらしい。空港出口まで来たら電話が掛かり、 乗り遅れた職員を拾うためもう一周ターミナルを回ることになった。結局、駐車場へたどり着いたのは30分以上も経っ て、ようやくマイカーに乗り込むことができた。会社の退け時に迎えのバスに乗るものでないことを学習した顛末でした。
安い燃料補給のため、美々にあるスタンドまで走り、その後、下道を岩見沢まで走ったが、その間ずっと雨中で、とても 走りにくかったが、途中のコンビニで腹ごしらえをして一服し、元気を取り戻す。後は高速道を突っ走って、我が家へ一直 線。21時前には家に到着し、楽しい旅行も無事終了しました。 《終わり》
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