ふれあい広場2011 in 士別 Part28
2日〜3日にかけて年中行事となっている『ふれあい広場』が体育館駐車場および同アリーナで行われました。今年で28回目ということで、この行事も随分と長く続く行事となりました。
この行事の目的はパンフレットによると『障がいの有無や年齢にとらわれず、市民の交流の場とし、広場での「ふれあい」を通し「ノーマライゼーション」の考え方を普及定着していくことを目的としています。この広場での経験を生かし、日常的に様々な「ふれあい」の形へと育てていくことが将来にむけての願いです。』と書いてあった。ということは多くの市民が広場に集まって「ふれあおう」という趣旨になっているようです。したがって、ここに集まった人の大部分は健常者で障がい者はほとんど見ることはできなかった。
できればもう少し市民同士がふれあうような内容が欲しいところです。舞台では一方的な演し物を行なったり、ふれあいの店と称した売店や食べ物屋がずらりと並んでいて、ほかのイベントと何ら変わるところはなかった。それでも一応、アリーナではボランティアの活動報告などがあり、それなりの形はとっているようにも見えた。そろそろ内容を考えないと盛り上がっているのはスタッフだけということにならないよう願うばかりである。 舞台では小学生から一般まで盛りだくさんな演し物が一杯。 観客と共に風船で「刀」を作成中。 外では餅つき、中ではそば打ちの実演が行われています。 売店は閑散としてます。 車いすの体験コーナー |
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あいにくの天気、士別神社祭り
14日から15日にかけて、いつものと変わらない士別神社祭が行われた。本州では梅雨が明けたというのに、梅雨前線は相変わらず東北と北海道を行き来している状態である。その影響でお祭りも雨にたたられて散々な日となった。一番影響を受けたのはおそらく出店だったに違いない。何しろ気温は20度以下で雨降りときたら売り上げも相当落ちたことと思われる。もしかしたら来年は出店の数も相当減るような予感がする。
お祭りの内容はいつものと変わりなく時折小雨がぱらつく中、盛大?に行われた。御輿もどこのまねをしているのか、最近はかけ声もほとんど無く葬列を見るような感じであった。それでもこれだけの人数が集まるのは過疎地としては珍しい光景である。
そのお祭りを盛り上げるため出店の近くにお祭り広場が設けられて、いろいろな演し物が繰り広げられていた。来年は是非とも好天気の中でお祭りが実施されることを願いたいものです。
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ピースボート漂流中?
足の遅い大型台風6号の影響で西日本から関東沿岸に大変な打撃を与えたようです。各交通機関は陸、海、空ともに運行停止が続出した。台風は今日になってようやく東方沖に去っていきましたが、この台風は再び勢いを取り戻して北海道の東方沖に移動する気配です。
この台風の特徴は最低気圧920hPaまで下がった超1級品の大型台風で四国の徳島に一寸おじゃましてUターンする変わったコースをとって、現在南東に南下中である。恐らくここで再びエネルギーを補充してから北上する予定であろう。
このため本州各地では1000ミリを越える豪雨を記録した所もあり、死者もすでに出ているという。
しかし、これほどの暴風雨に晒されていてもそれほど大きな被害が報道されていないのは、いままでの治水対策が功を奏しているに違いない。昔と比較すると随分と河川の防水が丈夫になったものだと感心するばかりである。
この影響で大阪、名古屋、東京の各港は待避船で一杯の状況である。おまけに3日間以上も足止めを食らって、最悪のパターンである。その台風が近づく中、横浜の大桟橋にしばらく停泊していたピースボートのオセアニックが19日14時過ぎに101日間の世界一周の航海に出帆した。
ピースボートのウエブサイトを見ると、出航について、そのレポートには『気になる雨は出航の時間にはピタリと止みました。地球一周ならではのマジックでしょうか。「雨を吹き飛ばすくらい、いい旅になる」そう感じた方も多かったようです。』と書かれていました。ところが、これが間もなく地獄の出航になるとは誰も予想だにしていなかったに違いない。 オセアニックは総トン数38,772トン、全長238,4メートル、全幅29.4メートル、最高27ノットの性能を持つ、いわくつき(ウエブサイトを検索)の中型クルーズ船である。果たしてこの荒天の中を出港して大丈夫なのかと心配していた。
そこで、翌日の20日になってどのあたりまで行ったのか、船舶マップを見るとなんと本船は相模湾で行ったり来たりしているのを発見した。この状態は21日の朝まで続いた。クルーズ船が二晩も嵐の中を漂うとはいままで聞いたことがない。なぜ嵐の中を出港したのか不明であるが、まさか大桟橋の係船料が掛かるので外海でやり過ごそうとでも思ったのかも知れない。それならば一度岸壁を離れて東京湾内で荒天避泊をした方が揺れが少なかったように思えるが、まさか相模湾へ向かうとは思いもよらなかった。
それにしても、この航海を楽しみにして乗船した船客はたまったものではない。皆さんに見送られて東京湾を出て、そのまま台風を突っ切るかと思いきや、引き返すことなく、大荒れの相模湾で待避するとは普通では考えられない航行である。船客の人達は大波に揺られながら40時間以上も相模湾にいたのだから、ディナーどころの話ではなく、歩くにもままならない状況ではなかったのではないか。皆さんゲロしながらベットにしがみついていたに違いない。気の毒を絵に描いたような感じである。
今朝の5時過ぎになって、ようやく最初の寄港地であるベトナムのダナンに向け進路をとったようだ。無事な航海が続くように願いたいものだ。果たして2日間の遅れは取り戻せるか注目していきたい。
20日昼頃のオセアニックの航跡。ここには自衛艦も3隻行ったり来たりしています。
21日5時過ぎ5ノットの低速から16ノットに増速して、一路ダナンへ向け航行し始め たようだ。待避していた40時間は果たして取り戻せるのかな? |
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第25回サフォークランド・ハーフマラソン大会(24日)
今年もハーフマラソンの季節がやってきました。今大会は好天気にも恵まれ、選手にとっては一寸暑苦しいレースだったかも知れない。午後の最高気温は29.4℃を記録したが、レースの行われた午前は25,6℃はあったと思われる。しかし、直射日光を受けながらのランは大変だったに違いない。
今回の参加者は過去最高の2032人のランナーが沿道からの声援を受けながら記録に挑戦していた。コースは例年と同じくハーフと10キロ、5キロ、2キロの各種目に挑戦し、1776人が完走した。
レースが終わった午後には中央公園でジンギスカンパーティが開かれ、市民や選手などがビールとジンギスカンで大いに盛り上がったと思われる。
ちびっ子達の5qコースのスタート 親やコーチなどの声援を受け、元気よく走り出しました 身障者も元気よく走っています 今年も5qを走る増田明美さん 白バイに先導され走行するハーフの選手達。コースを2周します。
57年の幕を閉じたアナログテレビ
1953年(昭和28年)2月1日に日本ではじめてNHKのテレビ放送が始まって57年経った昨日、いままでのアナログからデジタルに完全移行した記念すべき日でした。
この切り替わりはちょうど正午だったのでカメラを持ってその歴史的瞬間を待っていました。時間が来て各局ともうまく切換えられたようです。しっかりと写真に撮ることができました。 正午少前の画面で最後にドーモくんの挨拶がありました 正午を過ぎると左画面になり、その画面も夜中の0時には砂嵐になり、放送は終了しました。 |
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7月というのにもうトンボ
6月に何を間違ったのか、弱々しいトンボを一匹見つけたが、その後はついぞ見かけていなかった。
ところが昨日我が家の畑にトンボが2匹訪ねてきた。8月に見られる赤とんぼとは種類が違うようだ。それにしてもやたらと早く山を下りてきたものだ。果たしてこれが、これからの天気にどのように影響するのか、興味津々といったところである。
今年の67月の気温は昨年とは全く逆の傾向を示している。昨年の6月は30℃を越える真夏日が4日間もあって非常に暑かったのだか、9月に入ってからはガクンと下がってしまい畑作は不作という結果を招いた。ことしは6月よりも7月の方が気温が高く推移しているので今のところ順調な傾向を示している。
今週も本州の大雨に対して、道北地方は毎日真夏日が続いており気温は十分なのだが、そろそろ雨が欲しいといったところである。
しかし、今年は5月の低温が響いて、すべての農作物が平年より遅れているようだ。この早いトンボの飛来がこれから好天気をもたらすのか、どうなのか、誰か教えて貰いたいものです。
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水郷公園わくわくフェスタ
昨年は「羊まつり」の一環として始まった「チャリ1グランプリ」が、今年は「わくわくフェスタ」と名前を変えて、7月31日、水郷公園の特設会場で開催されました。広大な敷地面積を誇るつくも水郷公園を舞台に既存施設を有効に活用し、賑わいと可能性を見出すと共に過疎化が進む我が郷土を少しでも元気になるようにと催されているようです。
ところで「羊まつり」は今年は10月2日に開催予定らしいが、会場は元の「羊が丘」に戻るのかは現在のところ不明である。できれば「ウォーター・ストライダー」を復活させて貰いたいものです。
わくわくフェスタのメインである「チャリ1グランプリ」は水郷公園にあるゴーカートのコースを使用し、そのコースを子ども用自転車で走り回るというものである。この競技は4人1組がチームを組み予選でタイムを競い、決勝では1時間での周回数に5千円をかけた額の賞金が優勝チームに与えられる。賞金総額30万円の大レースである。
そのほかに「わくわくスタンプラリー」(1等はテレビ)、クラシックカー展示コーナー 、わくわくマーケット、出店屋台コーナー、野外バンドステージ、ミニミニチャリ1グランプリ(小・中・高校生の部(優勝賞品はニンテンドー3DS)、バーベーキューコーナーと盛りだくさんの催しものとなっている。
観客の方はNHKで宣伝していたにも関わらず、いまいちの人数であった。好天気にも恵まれていたのだから、もう少し賑やかになっても良かったような気がする。
バンド演奏の観客はたった一人のおばさんが盛り上がっていました 観客が少ないので、演奏している方もあまり気合いが入らなかったかも知れない
クラシックカーは全道から集まり、50台あまり展示されていました。 この会場も関係者だけの寂しいものでした。 クラシックカーを見ようと、バイク野郎がいいバイクに乗って集まりました。
スタート位置は昨年と違う位置になった。 予選前のコースの下見。ミニスカは借り物か?特注品か?着ているのは男です。
予選は30秒間隔のスタートであまりチェイスする場面はありません。
コーナーでは補助輪が邪魔です。接地させないリーンインで回ると有利です。 足の回転が速い選手が有利ですが、果たして耐久性はどうかはわかりません。 日中は暑いと思うが決勝はもう少し早い時間にして貰いたいものです。 |
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雨の中の花火大会
お盆に入って我が家にも子供達や孫達が集まってきて、一気に6人の大家族となりました。最初の夜は焼き肉パーティ、2日目は刺身パーティで盛り上がりました。
昨晩は恒例の「第36回士別天塩川まつり納涼花火大会」が開催されました。しかし、先月の24日から雨が2,3日降っただけで、昨日まで連日の真夏日が続き、干ばつ気味の傾向を示していましたが、よりによって花火大会の夕方から雨が降り始めました。小雨の中18時に花火大会を知らせる花火が上がり、本当に実施するのかと半信半疑でいたら、その後、雨足が強くなり、これは延期だなと思っていたら、予定の19時30分頃には小雨となって、ドッカーンと予定通り花火大会が始まりました。
まさかこの雨の中、皆さんは花火大会をやるとは思ってもいなかったに違いない。しばらくすると自動車が我が家の前を何台も通り過ぎたり、駐車したりの大あわての様子だった。その後、駐車していた車はパトカーが来て追い散らされ、人の畑に入り込んでいた車は恐らくこの雨で泥だらけになっていたに違いない。
それでも皆さん傘を差して約2000発の花火に見入っていました。当方は最初の10発位を見物して早々に退散した。とにかく雨のためか間隔が長すぎるのでイライラ状態でした。恐らく今年の花火大会の観客は相当少なかったと思われます。
雨は今日の10時過ぎから本格的になり、16時現在までなんと50ミリも降りました。農家にとっては遅きに失したという感じです。この大雨をもたらした秋雨前線が南下すると、道内は一気に秋風が吹くようになります。よく「暑さ寒さも彼岸まで」といいますが、道内では彼岸ではなく、1ヶ月早い「お盆まで」というのが定説になっています。
息子が刺身を並べてくれました。玄人はだしです。お見事!
3発を合成しました。一寸寂しい花火大会でした。 |
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今年もやってきました「産業フェア」と「得の市」
8月の下旬になると恒例になっている「産業フェア」と「得の市」が市体育館とその裏側にある広場で実施された。今日は好天に恵まれ過ぎて、真夏日のようなお天気になった。
客足は年々減少気味でこの調子では近い将来、中止になるような気配である。とくに「得の市」は出店するのに料金が掛かるらしく、参加店も年々少なくなっているようだ。出店しても経費倒れであれば参加しなくなるのも当然です。とくに安い感じてもないので、市民にも飽きられている感じであった。
産業フェアは昨年から場所が変わったのだが、砂利を敷いた会場はどうもいただけない。この催しのために舗装するわけにはいかないと思うので、元の市役所前庭に戻してもらえれば最高である。ただ芝生の上の焼き肉は芝生を痛めるので、何かいい方法があれば良いのだが・・・・・・。
この催しが行われる頃になると道内はすっかり秋の模様である。夏至の頃は3時過ぎには空が明るくなっていたのに、最近は4時でも真っ暗な状態になっている。秋は「つるべ落とし」とはよく言ったものだ。秋分を過ぎると長い夜が続き、冬至には3時台に日が沈む憂鬱な毎日が続く。雪がもうすぐそこに来ている感じの毎日である。
上士別の「宝来太鼓」(左)と「つくも太鼓」(右) 両方とも同じような演奏で区別がつきません。
観客はご覧の通りで、まばらです 北海道といえばサッポロビールです 技能士会による建具即売 会場で見かけたボッタクリ2題。包丁研ぎ500円、魔法の石(石灰岩)3個100円 材料の持ち帰りは禁止! 美味しそうな焼き肉です
焼き肉会場も空席が多い 体育館内の「得の市」会場。不入りで天を仰いでいる店主 珍しく沖縄の名産を販売していました(左)。帰りに出来立ての蒲鉾を購入しました(右)。 知ってか知らずか隣の会場ではジンギスカンを焼いています。 |
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今日は夫婦で映画鑑賞日
久し振りに旭川のシネコンで映画を観てきました。オトンは「上海」、オカンは「神様のカルテ」を別々に観ることにしました。両作品とも話題作で、2人で2千円とは安い(シニア料金)。
「上海」は戦前の上海租界を舞台にした日米の諜報活動を題材にして制作された映画。内容は「1941年、太平洋戦争開戦前夜の上海を舞台に米国謀報員の死から始まった列強国の陰謀に巻き込まれる男女の姿を描くサスペンス。ジョン・キューザック、チョウ・ユンファ、コン・リーという米中のキャストに加えて、日本からは渡辺謙らが参加。豪華キャストの共演で、陰謀と愛が渦巻くドラマが繰り広げられる」というあらすじです。
上海は二度ほど行っているので、旧租界地区も実際に見てきているので、なるほどここがあの舞台なのかと感慨がひとしおでした。とくにラストシーンの外北灘からの夜景はクルージングで見たものと同じでした。
ところで渡辺謙という俳優はどこであのような流ちょうな英語を習得したのか知りたいところです。それにしても、観客は相変わらず10人という少なさで、いつまであのシネコンが持つか心配である。
オカンが観た「神様のカルテ」はその場で決めた映画なのだが、内容はとても良かったという感想を漏らしていた。映画を見終わった後は、いつものように「回転寿司」に寄って、幸せ一杯で帰路に着いた。 上 海 神様のカルテ |
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今年の夏は昨年と同じだった
今年の夏は6月こそ長雨と低温で、今年は冷夏かと思わせる日が続いたが、7月になると干ばつ気味になるくらい雨が降らず、高温が続いた。
8月に入ってからも高温と適度な降雨があり、農作物には最高の天気回りとなった。しかし、6月の天気が祟ったせいか、畑作物は総じて小粒という作況らしい。稲作は昨年と同様に平年作が期待されると報道されていた。すでに早いところでは稲刈りが始まっているという。
当地では今月の中旬あたりから稲刈りが始まるらしい。昨年凶作だったビートは今年も玉が小さいようなので、操業が年内で終了するということの無いように好天気が続くことを願いたい。
前半は昨年より暑く中旬になると低めに経過しているのがわかる。
8月25日に発生した台風12号は間もなく関西地方に上陸する見込みだ。非常にゆっくりした動きで、このままのスピードだと被害が大きくなる可能性が大である。
この台風で少し気に掛かるのは洞爺丸台風と同じようなコースをとるようで、日本海で再びエネルギー注入が行われると、北海道は台風の東半分に入るため、猛烈な風が吹くのかも知れない。できればもっと西へ移動してから北上して貰いたいのが、今日現在の感想である。
予報では暴風域は無くなっているようだが、今後のコースが心配です。 |
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奇しくも11日は受難の日
10年前のNY9・11テロ事件、半年前の3・11大震災と11日という日はとんだ厄日になってしまった。テロ事件は首謀者が殺害されても次から次へと新しいリーダーが現れてテロが収まる様子がない。
宗教が絡んでくると泥沼の戦争が続くことになる。昔はキリスト教もイスラム教もお互いに認め合った時代もあったことを考えると、これからは話し合いによって宗教的な対立が解消されるべき問題であると思う。テロは一部の過激派の仕業なのだから、徹底的に壊滅に持っていくか、話し合いを続けて平和的に解決していくしかないだろう。生半可な攻撃は「目には目を」「歯には歯を」(本来の意味ではないが)で反撃されるのが目に見えている。
一度争いが起きると一番被害を被るのは一般民衆である。ハイジャックされた4機の乗員・乗客、WTCにいた2千人以上の罪のない人達は死んでも死にきれなかったことを思うと、人間はなんと浅はかな動物だと、この日が来るたびにつくづく思う。
同じ11日でも今年の3月は我が国にとって、未曾有の大地震と津波に襲われたことはまだ記憶に生々しく残っている。国は東南海地震に気を取られている間に東北地方が先に大地震に見舞われた。
地震の後に襲った大津波は大変な被害をもたらし、未だにがれきの後片付けが続いている。2万人の死者・行方不明者は戦後最大の犠牲者である。津波の襲来は地震発生から30分程の余裕があっのだから、その間に避難する余裕は十分にあったと思われる。しかし、今回の津波を甘く見ていた住民が多かったために犠牲者が多くなったのではないだろうか。今後は避難方法の改善が求められることだろう。
加えてこの地震と津波によって原発事故が起きてしまったことは残念でたまらない。原発は航空機がぶつかっても壊れないと聞いてはいたが、震度6と津波で壊れてしまった。いろいろな情報を見てみると今回の事故は人災であることを確信した。
水素爆発さえなければこのような被害は出なかったことを思うと残念でたまらない。これから廃炉に掛かる費用を考えると原発が一番安いという神話は崩れたのも当然である。これから、まき散らした放射性物質の除染には天文学的な費用が掛かるに違いない。原発よる発電は否定しないが、もっと安全なものを作って欲しいものです。とにかく「想定外」と「直ちに健康には影響ない」という言葉を使って貰いたくない。無責任もいいところである。 9・11ニューヨーク貿易センター 5年前のグラウンドゼロ。5年経ってもこの現状を見るといかに被害が大きかったが分かります。
3・11東日本大震災 原発の後始末は世界が注目しています。くれぐれも失敗のないように願いたいものです。 |
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実りの秋到来
今年もアッと思う間に秋が小走りでやってきました。来月には初雪を見る時期になり、「光陰矢のごとし」とはうまく言ったものです。
農作物はこれから収穫の最盛期に入りますが、今年は稲を除いて、畑作は総じて出来が悪いらしい。ジャガイモ、ニンジン、ビート、豆類等は小粒という新聞報道がありました。これでは農家の皆さんの苦労も報われない感じです。
来年こそはと思っている農家はたくさんいると思うが、考えようによっては農家は大ばくち打ちなのかも知れない。サラリーマン生活を長くやってきた者には収入が不安定な農業はとても考えられない商売です。 初めて人参の収穫作業を近くで見物しました。トラクターに3人掛かりで作業していました。 稲だけは見事に実りました。早速、稲刈り作業をしている農家を見つけました。 |
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我々が参加したクルーズが放映されました
3月19日〜4月1日にかけて「中国・韓国・台湾・香港クルーズ」に参加してきましたが、その時、日本のカメラクルーが大阪から乗り込んで今回の船旅を盛んに撮影しておりました。
クルーの人達に聞くと、我々は「世界の船旅」の取材のため乗り組んだということでした。いつ頃放映されるか聞いたところ3ヶ月くらいで放映されるだろうとのことでした。
ところが3ヶ月経っても一向に放映されることこともなく時間が過ぎていき、この取材はボツになったのかも知れないと思っていたら、半年後の昨日、BS朝日で「アジアグルメクルーズ」というタイトルで放映された。
あらかじめ録画しておいたので、日中にしっかりと鑑賞しました。ツアーの添乗員もワンカットだけ出ていて、懐かしく観ることができました。このコースを20万以下で参加できたのは格安でした。
駆け足のパックツアーではなく、ゆったりとした船旅は如何でしょうか。費用は考えるほど高くはありません。ただし日本船はどういう訳か異常に価格が設定されてるのが理解に苦しむところです。なお、このクルーズの旅行記は一行目のリンクを辿って下さい。また、この番組を見たい方はこれからも何回か再放送があるので、見ることができるでしょう。是非ご覧あれ!
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久し振りの国内旅行は佐渡へ
毎年恒例になっている大学の仲間達と年一回の旅行に行ってきました。今回は佐渡へ行くことになり、男共ばかり8人で全国各地から新潟駅に集合し、15日から2泊3日の楽しい旅行をしてきました。
佐渡は欧州行きの飛行機から何回も眺めていたが、観光は初めてなので楽しみにしていた。全員揃ったところで、新潟港からジェットフォイルに乗船して両津港へ向かう。ジェットフォイルは生まれて初めて乗船したが、その俊足振りに驚いた。平均72q/hを出して、1時間足らずで両津港に到着した。
船着き場には3日間貸し切りのミニバンのタクシーが迎えにきており、さっそく島内観光へ出かける。島は結構大きく、島は大佐渡と小佐渡に分かれており、そのくびれたところが平野部になっている。家を出る時には16℃位で肌寒かったかったが、新潟に着くと軽く30℃を越えていて、その暑さに参りました。
3日かけて島の主要な観光地を巡り、17日午後9時少し前に我が家へ無事到着。今回も久し振りのドンチャン騒ぎで楽しいひとときを過ごすことができました。いずれ今回の旅行記をHPにアップする予定です。 このジェットフォイルはボーイング製 今年の春に金山の山が崩れたという 有名な佐渡のたらい舟 元気なトキの姿を見てきました |
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