上海・韓国クルーズ
昨年5月に「上海・韓国周遊クルーズ」に出かけて約1年経つので、今年も恒例の年1回のクルーズに出かけてき
ました。 当初、このクルーズは「中国・韓国・ロシア・日本寄港クルーズ13日間」ということで、昨年の7
月に申し込んでいたクルーズです。ところが昨年11月に北朝鮮が韓国の延坪島を砲撃し、これに韓国軍も応戦し、
死者や負傷者も出したことから仁川寄港が抜港になってしまった。その代わり上海停泊が一日多くなるという連絡が
入ったのは年を明けてからのことだった。
それでもロシア・福岡・広島寄港があるのでそのままキャンセルしないでいたら、今度は3・11東日本大震災で
ある。1週間も経てば少しは落ち着くかと思ってたが、被害の状況は日が経つにつれて甚大な被害であることが判明
した。死者・行方不明は3万人近くになるという、阪神淡路大震災を上回る大震災となった。M9というとてつもない大
地震とそれに伴う大津波が東北・北海道地方を襲った。
なによりもこの震災で福島原発の爆発事故が今回のクルージングが日本寄港を中止する引き金になったという話
を後で聞いた。日を増すごとに原発事故の影響は大きくなるばかりで、一向に収まる様子が見えないままの出発であ
った、もしかしたら今回のクルージングは変更どころか中止になるのではないかと思い、旅行会社へ電話すると予定
通り催行するという。
それでも被災者のことを考えると、とてもじゃないが今回の旅行はいまいち気乗りがしない。一度は旅行をキャンセ
ルしようと思い、17日に航空券の払い戻しをするため、旭川空港に向かったのだが、車中で我が家にいてもどうする
こともできないので、義援金のみを送り、予定通り旅行に参加しようと衆議一決し、途中で我が家に引き返した。さら
に今キャンセルすると旅行代金の半額は戻ってこないのは痛い。自然災害なのでクルーズ保険の対象にならないと
いう。
◆今回のクルーズの変遷
クルーズ申込時ののコース 北朝鮮の砲撃により仁川が抜港
そして今回の最終コース
仁川が復活し、ロシアと日本寄港が抜港になり
新しく台湾・香港が加わり、とんでもないコースとなりました。
最終日程表
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3月19日(土) 成田前泊 曇り 5度
なんやかんやで前泊の19日を迎え、いつもはスーツケースを成田空港まで託送するのだが、各社の宅急便は震
災のため受付は中止となった。そのため20sもあるスーツケースをズルズル引っ張りながら旭川空港へ向う羽目と
なった。
今日中に成田のホテルに到着できるかは旭川空港のお天気次第である。もし、16:40発の1126便が欠航(この
時期はよく吹雪きなる)になると今日中の成田到着は難しい。しかし、天候は曇り空で羽田まで定刻通りに運行され、
無事、羽田に到着できた。ホテル手配のバスを待っている間に添乗員に羽田到着を電話連絡していたら、彼女が突
然、悲鳴をあげた。このとき成田では震度5の地震に見舞われ一時滑走路が閉鎖されたという。
そのとき羽田のターミナルでも結構揺れたらしいが、こちらはバス停近くの植え込みの石に座っていたので全く気が
付かなかったが、お母ちゃんは立っていて気が付いていたらしい。バスは21時過ぎに成田のホテルに到着したが途
中の高速道は地震のため全線速度規制(80q)がかかっていて、おまけに節電のため街灯や案内板の照明が消さ
れ、真っ暗な高速道を走るという不気味な光景であった。
ここまで来れば明日の集合時間には確実に間に合うので、安心してベットに入って、ぐっすりと寝ることができた。し
かし、就寝後、コース変更の連絡が旅行会社から何回も携帯に入ったらしいが、バスに乗るとき電源を切ったまま
で、最終コースを知るのは明日の集合時まで知るよしもなかった。
残雪の旭川空港は15:20で5℃で少し寒い テレビはほとんど原発の中継ばかりです
我々が搭乗する16:40発JL1126便はMD-90でした。
待合室を見ても乗客は数えるほどの人数で座席は半分埋まったかどうか・・・・。寂しい限りです。
離陸してまもなくきれいな夕日を見ることができました。
羽田には初めてD滑走路へ着陸しました。桟橋の継目がよくわかりました。ただしターミナルまでの
距離の長いのにはちょっとビックリ。おまけに沖留めとはトホホです。北海道方面の桟橋はみんな
スカイマークにとられてJALはバス輸送になりました。ガンバレ!足なし鶴マーク。
羽田でホテルまでのバスをここで待っていたら、地震に見舞われました。(本人全く気づかず)
成田は相当揺れたらしい。添乗員の話ではターミナルの壁が崩れたという。
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