3月24日(木) 天津 晴れ 7度

 本船は予定通り7:30に接岸したが、なかなか降りることが出来なく、1時間余りたって、ようやく下船することがで
きた。入国の手続きに時間をとられたのかも知れない。

 本日はあらかじめ旅行会社のオプショナル「北京市内終日観光」に申し込みしてあったので、参加者4名(2夫婦)
と添乗員、現地ガイドの総勢6名がミニバンに乗り、北京市内へ出発した。高速道を利用しても片道2時間余り掛か
った。隣の街へ行くのにえらい時間がかかる。さすがに中国は広い国だなということを実感した。

本船は6:40現在天津まで13マイルと表示されている

◆天津新港
 天津新港は天津市の中心地から約55kmの塘沽区にある中国最大の人工港で、総面積は200平方qある、中国
北方最大の国際貿易港。旅客定期船は、国際航路として神戸、仁川行きが就航している他、国内線は大連、煙台へ
の航路がある。そのほかにも豪華クルーズ船が不定期に立ち寄るほか、チャーター船が入港することも多い。国際
航路数は国内第2位を誇り、160余りの国・地域を行き来するコンテナバースとして、アジアとヨーロッパのランドブリ
ッジという重要な役割を果たしている。

 
  朝食を摂っていたらタグが盛んに押していました   天津新港は広大な干潟地?に建設されています
 
天津の国際ターミナルは最近完成したらしく近々竣工式を行うらしい。
乗り降りは空港と同じ長いボーディングブリッジを使用しています。

天津旅客ターミナル全景
ここはケバケバしい上海国際客運センターとは違い、白一色の落ち着いた感じのターミナルです

◆北京市へ向け出発
 天津市は説明によれば北京への海の玄関口として。軽工業、機械電機、化学工業などが盛んな中国北方の総合
産業都市である。市内には海河とその支流になっている子牙河、大清河、南運河、北運河、永定河などの河があ
る。天津は隋代に大運河が開通し、南運河と北運河の交差地点の三会海口(現在の金鋼橋三岔河口)がその発祥
であるという。北京まで若干距離があるが、北京市の「海の玄関口」として繁栄している。

 北京へ向かう途中で現地ガイドから面白い話を聞いた。今回の震災で中国では「塩騒動」あったという。塩を海水
から製塩していると思っている中国人がほとんどらしく、今回の原発事故で海が汚染され、塩が無くなるという噂が広
まり、商店から塩がほとんど無くなってしまったという。政府は塩の原料は岩塩から製造されているので塩の供給に
心配はないと噂を打ち消すのに必死だったという。噂というのは恐ろしいという一例である。

 
新港を出ると広大な干拓地が広がり、そこに突如として「天津エコシティ」が現れる。
何もない土地の開発なので建設計画が容易であることは推察できるが、交通関係が心配である。
 
天津〜北京を結ぶ高速鉄道。この鉄道の車輌導入には日本も参加しているという。
 
この高速道路は車線によって最高速度が違うようで、日本では考えられない。(左)
北京には環状線が幾重にも設置されている。5環路(右)
 
    桃の花が満開。桜の花と見間違いました         市内に入るとご覧の通りの大渋滞

中国の交通標識は漢字なのでわかりやすい。というのもその多くは日本語の逆輸入の漢字
のせい。台基広街駐停車禁止、大型車通行禁止、注意・交通安全、警笛禁止など一目瞭然。
 
市内中心にある天安門広場へ近づくとたくさんの門が見え始めます。

◆天安門広場
 天安門広場は南北860m・東西500mにわたる世界最大の広場で敷石は花崗岩である。北は北京随一の大通り
である長安街が位置し、その反対側に紫禁城(故宮)の入口である天安門が位置する。広場の中は、北から人民英
雄紀念碑、毛主席紀念堂、正陽門(前門)が設けられ、広場の西側には人民大会堂(全国人民代表大会議事堂)、
東には中国国家博物館(旧・中国歴史博物館および中国革命博物館)がある。


よくテレビに出てくる天安門広場。とてつもなく広大な広場です。
 
 やはりこの国は毛沢東なんだということがわかります          人民英雄記念碑

   中国の国会議事堂にあたる人民大会堂。人民大会堂の内部には、1万人も収容できる万人礼堂も
   あり全国人民代表大会などの重要な会議が開催されている。会議のない日には、人民大会堂の一
   部を見学することもできるという。

   毛主席紀念堂は、天安門広場にある大きくて立派な建物です。紀念堂(記念堂)と言う名の巨大な
   毛沢東の墓です。中に永久保存という形で毛沢東の遺体が安置され ています。

左から毛主席紀念堂、正阻門、正阻門箭楼

中国国家大劇院。巨大なドーム型のシアターです。

◆紫禁城(故宮)
 紫禁城または故宮は、中華人民共和国北京市に所在する明清朝の旧王宮である歴史的建造物。「北京と瀋陽の
明・清王朝皇宮」の一つとしてユネスコの世界遺産(文化遺産)となっている。面積は 725,000u あり、世界最大の
宮殿の遺構である。現在は、博物館(故宮博物院)になっている。

 紫禁城は元が建設したのを明の成祖永楽帝が1406年から改築し、1421年に南京から北京へ都を遷してから、
清朝滅亡まで宮殿として使われた。一度は1644年の李自成の乱で明代の紫禁城は焼失したが、李自成の立てた
順朝を滅ぼし北京に入城した清朝により再建され、清朝の皇宮として皇帝とその一族が居住するとともに政治の舞
台となった。西太后やラストエンペラー(映画)の居城として有名。              《ウィキペディアより》

建物配置図


         A 午 門 B 神武門 C 西華門 D 東華門 E 角  楼 F 太和門 G 太和殿
        H 武英殿 J 文華殿 K 南三所 L 後三宮 M 御花園 N 養心殿 O 皇極殿

北京故宮は南北の長さ961m、東西の幅753m、面積は約725000u。周囲は幅52m の護城河が囲む。
城牆の高さ12m、底厚10m、頂厚は6m から7m。城には6つの門があり、南に天安門、最も外には端門と
午門、東に東華門、西に西華門、北に玄武門(神武門)の6門がある

 
天安門広場周辺には○○門と呼ばれる建物をあちこちに見ることができる。
 
故宮をぐるりと取り巻く城牆(城壁)。高さは12mあり、さらにその周りを堀が囲んでいます。
 
午門と太和門

我々はこの午門から入場しました。

故宮で一番大きな太和殿

 太和殿の高さは35m、面積は2377uで、重檐廡殿式という宮廷建築様式で建てられてた。72本の巨大の柱が
建物を支え、その中の6本は雲龍文様を漆で盛り上げて金箔で覆った金柱である。太和殿は故宮の中で一番大きな
宮殿である。

 この宮殿は皇帝の即位、結婚から皇后の冊立、皇帝の誕生日、科挙の成績発表、大将の出征、毎年の春節や冬
至節などまで、重大な行事が行なわれた場所である。行事の日には太和殿から天安門まで儀仗兵が整列し、太和殿
の外に中和韶楽、太和門内に丹陛大楽の楽器が設置される。一品から九品までの文武百官が官位別に御道の両
側に立ち並ぶ。皇帝が太和殿に到着すると、午門にある鐘と太鼓が一斉に打ち鳴らされ、楽隊が相次いで演奏し、
香の煙が宮殿内外に漂い、厳かな雰囲気の中で封建帝王の高貴さ、威厳が示されたという。


太和殿の大きさに圧倒されるが、高さは奈良東大寺金堂の方が高い。
見学は午門から入場し裏門の神武門から出るという長い(1q以上)道のりになるので
我々男組は電気自動車で裏門へ先回りして、景山公園の高台に登る。そこから故宮全体を見物した。
お母ちゃん組は健脚を生かして表門から裏門まであちこち見学して裏門で合流。

太和殿から左右を見渡す

四方八方建物だらけです。故宮内の建物は700、部屋数9万9千を越えるという。

 
天一門。奇怪な岩があります。
 
男組は電気自動車(ゴルフ場のカート?)に乗り、裏門へ先回りしました。

景山公園の高台から故宮を望む

700以上もある建物の掃除は大変です。

◆全聚徳で北京ダックを食する
 全聚徳北京(和平門店)は清代18644年創業から続く、北京ダックの老舗。北京ダックの調理方法は、特別な飼
育方法でたっぷり太らせたアヒルに水飴を塗って、ゆっくり窯で焼き上げたものです。これを食事の部屋まで持ってき
て、シェフが目の前で薄く削ぎ切りにしてくれる。薄くクレープ状に焼いた餅に、皮付き肉と白ねぎ、甜麺醤(甘みそ)な
どを載せて包んで食べれば、皮はパリパリ、包んだ餅との相性も絶妙だ。肉の部分というよりもっぱら皮の部分の食
感と味覚を味わいます。

 
 北京全聚徳和平門店の正面玄関

 ここ和平門店は実に巨大なレストランで、7階建てのビル、延べ床面積は1万5千u、2千人のお客さんが同時に食
事できるという、本当に大きな店でした。またホテルのロビーのような玄関を入り廊下を進むと、その壁にはこの店で
北京ダックの味に舌鼓を打ったという海外からの賓客の写真がズラリと掲げてあります。

 
入口は二重になっており、食事が終わり、一足先に外で一服して再び入ろうとしたら
警備員に出て行けと追い出されました。言葉が通じなくて、これには参りました。
ナプキンも座席によって折り方がそれぞれ異なっている

席に着くと前菜がすでに配膳されています。
次々と料理が出され息つく暇もありません。5人で食べても完食は到底無理。
これらはすべてアヒル料理です。

★いよいよメインの北京ダックのお出ましです

ドアがおもむろに開いて、そろそろと北京ダック君が入ってきました
シェフが手際よく捌いていきます

テーブルは北京ダック一色です
頭も食べられるか思いましたが、結局食べられるところがなく飾りでした。

★帰りの北京市内の風景
大型トラックが専用のレーンを使用しないで、進入したため料金所に挟まって身動きできなくなっていました。
そのため数キロに渡り大渋滞を引き起こしていました。(右下)

◆天津新港出航
 本船は定刻の19:00に新港を出港し、次の寄港地である韓国、仁川港へ向かいました。このターミナルは天津港
から大分離れているせいか誰一人見送りの人影が見あたらないという寂しい出港となりました。明日は終日航海で、
ゆったりとした時間を過ごせそうです。
 
どこを探しても誰一人おりません。こんなことは珍しい。
 
新港を後に仁川へ航行し始めました。

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