3月23日(水) 大連 晴れ 7度

 本船は前日の終日航海を終え、定刻の朝8:30に大連港に接岸した。我々の停泊した岸壁はフェリー埠頭の隣
で、恐らく戦前の日本時代のやたら古い埠頭であった。クルーズ船が接岸するには一寸不釣り合いの感じがした。

 今日は船主催のオプショナルツアー「大連の景観」に出かけた。ツアーは市内各所をバスで巡り、途中、何カ所か
に下車し、トドメはいつものように高級デパートで買い物時間を設定して終了。10;30〜14:30の約4時間、半日コ
ースの観光であった。トドメのデパートで、いつものように大連のマグネットを販売しているところを探したが、残念な
がらブランド品ばかりで、そのような雑貨品を販売しているところではではない店でゲットできなかった。

 今回のツアーの説明には「バスに乗り、車窓から巨大な歴史的建造物や印象的な記念碑を臨みながら、大連
の中心部へ向けドライブ。大連の市内をドライブし、街の景観を一望できる青山中腹の展望台へ。さらに黄海
側の皇海公園や老虎湾などを巡ります。大連と姉妹都市の北九州市が共同で造った吊り橋の袂にある記念
碑なども訪れます。その後、友誼商店(ブランド品のデパート)での買い物時間もあります。」というもので、これ
で一人たったの$39で済むとはえらく安いツアーでした。

 ガイドは大連外国語学院の学生アルバイトらしく、見た感じは高校生のように見えました。当然、ガイドの説明は中
国式英語なので、チンプンカンプンであったが、所々の単語を拾い集めて何とか理解するという、えらく苦労する場面
もありました。当初は旅行会社主催の日露戦争の戦跡を巡る「旅順・大連終日観光」へ参加したかったのだが、坂
道を相当歩くということで断念しました。

 帰船してから港をじっくりと眺めてみると遠くに造船所のヤードが見えた。大連の造船所では現在空母を建造中とい
うことで、その姿を見られるかも知れないと目をこらしてあちこちを見渡して見るが、残念ながら見ることは出来なかっ
た。

本船は予定時刻に大連港に到着しました

本船と同行するタグボート「連港47」
 
  大連は大きなビルが建ち並ぶ211万人の都市      市街地に火力発電所の冷却塔を発見

現在の中国はどこへ行ってもビルの建設ラッシュです。
 
大連の港は公安(警察)ではなく武装警察(準軍事組織)が警備に当たっていました。
一寸怖い感じがしましたが、会ってみると人懐こい連中でした。

◆大連市内観光
《ウィキペディアより抜粋》
 大連市はアジア大陸の東海岸に位置し、中国東北遼東半島の最南端にあり、東は黄海、西は渤海、南は山東半
島と海を隔てて向かい合い、北は広大な東北平野に隣り合っている。この緯度付近には、日本の仙台市、アメリカ合
衆国のサンフランシスコ市、ワシントンD.C.、ギリシャのアテネ市がある。大連は東北、華北、華東地域が世界各地と
繋がる海上の門口であり、最も重要な港、貿易、工業、観光都市として栄えている。

 大連は魏晋の時代には三山と呼ばれ、唐代には三山浦、明清時代には三山海口、青泥?口と称した。1880年代に
清朝が大連湾北岸に砲台を築き、ようやく都市が形成され始めた。日清戦争後の1898年、三国干渉の代償とし
て、清から関東州(大連、旅順など)を租借したロシアが、東清鉄道の終着駅を設け「ダーリニー」(Дальний; 
「遠い」)と名づけた。また、旅順にある艦隊と要塞の物資をまとめるため、また貿易の拠点として、港の整備とパリを
モデルにした都市づくりが始まった。
 
 しかし、1904年に勃発した日露戦争により、同年5月末には日本軍が無血入城を果たし、戦後の1905年ポーツ
マス条約により日本に租借権が譲渡された。日本は古地図に見られる中国語の地名「大連湾」からとった「大連」を
都市名として採用した。これはロシア名のダーリニーと発音が似ていることにもよる。
 
 ロシアの租借地時代は、現在の大連駅から東側の区割りとごく一部の建築物ができた状態であった。日本は、大
連を貿易都市として発展させるため、関東都督府と南満州鉄道にインフラの整備を続行させた。その結果、道路のア
スファルト舗装や、レンガなど不燃建築物が立ち並ぶ町並みができあがった。昭和初期には現在の大連駅とその駅
前一帯が整備され、旧市街がほぼ現在の形になる。1951年に旅順市を合併し、旅大と改称したが、1981年に元
の大連に名前を戻している。 1990年代の改革開放経済のもと、中国東北部の中でも特に目覚しい経済的発展を
遂げている。

 
        旅客ターミナル正面                   ターミナルに隣接する商店街

◆旧市街
 漢字の表示がなければどこかヨーロッパの街の佇まいと見間違う程の雰囲気のある場所です。これも一時はロシ
アに統治されていた影響かも知れません。

◆人民広場
 人民広場は大連駅の南西に位置し、総面積約12kuを有する大きな広場です。広場北側に「大連市人民政府」、
南側に「大連開放記念塔」、西側に「大連司法局」、その他大連市裁判所、検察所、公安局等のある大連市行政の
中心地です。広場は1914年に旧ソ連赤軍による大連解放を記念して「スターリン広場」として建設が開始され、199
3年に現在の名前になりました。広場完成後も度々改造がなされ1999年の全面工事では国旗掲揚台と大型音楽噴
水泉が建てられました。敷地内には芝生が広がっており、鳩の群れや、馬に乗り巡回するポリスウーマンの姿、また
風の吹く季節には多くの人々が凧上げをする風景が有名です。人民広場は1999年大連観光スポットベスト10に選
ばれました。

 
            公園の入口                  いろいろな凧をを売っていました
 
この公園はやたら広い公園で歩くにも大変です。

正面は公安の建物

 
ここは旧日本人街で、家屋の多くは取り壊されて現在はがれきの山になっています。
 
ここが再開発されればマンションが林立することでしょう。
◆労働公園
 市区内では最大規模を誇る都市公園で総面積は102kuにも及びます。ロシアによる租借時代に「中央公園」とし
て建設され、解放後の1949年に人民政府によって「労働公園」と名付けられました。園内は日本から寄贈された桜
や芝生などで彩られおり、鹿やダチョウが放牧されており餌をあげることもできます。その他に遊園地や観覧車、テレ
ビ塔まで行けるリフト、山頂からの滑り台等の施設があり市民の憩いの場となっています。公園中央にはサッカーの
盛んな街、大連らしいサッカーボールの形をした「建築芸術館」が1995年に創設されました。我々は時間がないの
で市内を一望できる公園の展望台で記念写真を撮るだけで終わりました。

  
         大連市第34中学                   小高い丘にある労働公園

労働公園から市外中心を望む

近代的な建物が立ち並んでいます
◆星海広場
 アジアで最大の都市広場。総面積は110万kuにも及ぶという。オープンは香港が返還されたのを記念して造られ
た。その後も整備が進められている。中央にはシンボル塔「漢白玉華表」がそびえる。中央の散策路沿いには噴水
が続き、水のカーテンを見ながら歩くのも楽しい。遊園地やホテル兼レストランの豪華客船「オリアナ号」もある。広場
内には馬車が走り、レンタル自転車も。東側に建つ高層リゾートマンションとお城の博物館が“夢の国”の雰囲気を演
出している。夜のライトアップも美しい。広場中央から500mのところにイベント会場として有名な会展センターがあ
る。

 
      到底隅までは怖くて上れません           このオブジェは網目で作られ広場の周囲に
                                   五輪種目分展示してあるようです。

大連市制百周年記念彫刻広場
広場の一番奥には本を広げたようなモニュメントがあります。
ここには1000人大連市民の足跡がありました。
 
  まるでヘルメットのような建物(左)星海湾に掛かる吊り橋(右)。1本の橋脚で吊っているのは珍しい。
広場の周囲には高層建築群がずらりと林立しています。
◆北大橋
 北大橋は1987年に竣工した、北九州と大連の友好のシンボルです。姉妹都市の大連と北九州市が友好関係締
結5周年を記念するため造った橋です。老虎灘から西へ海岸道路に入り、一キロのところに北大橋に着く、鉄筋コン
クリートの巨大アーチ橋です。長さは230mで、大連南部の海岸道路を繋げた立派な橋です。ここからの景色は素晴
らしく、海がきれいに見える観光名所です。いつ頃からか分かりませんが、新婚さんがこの橋を歩いて渡ると永遠に
幸せになれる、という「伝説」が生まれ、そのため結婚式が行われる週末になると多くの新郎新婦がこの橋まで来て、
親戚の人達に見守られながら橋を渡る姿が見られるという。そのときに向かい側から来た別のカップルと花、ハンカ
チなどを交換するの習慣もあります。結婚式当日も、新郎新婦は必ず手を取って、橋を渡して、写真を撮ったり、撮
影したりします。それで、この橋は別名「love bridge」とも呼ばれております。という解説でした。

 我々もこれにあやかってかどうかは知らないが、橋の手前でバスから降ろされて、この橋を歩いて渡りました。高所
恐怖症の私にとっては景色を見る余裕もなく、ひたすら足下の歩道だけを見ながら渡り終えました。途中チラリと下を
見ると相当深い谷が見えて、ゾッとしました。

 
   記念写真を撮ってこれから橋を渡り始めます         北九州市と友好を称える記念碑

渡り終えると見物するための広場があります
 
断崖絶壁の縁を歩く人や覗き込む人もいて、羨ましい思いをしました。

◆老虎灘海洋公園
 中国で最初で、最大の海浜観光施設で、園内面積は18万uもあります。海岸線の長さは4qあまりあります。園内
には二つの世界一がある。ひとつは南北極海洋動物館、もうひとつはサンゴ館。また地名の由来になった6頭の虎を
形どった彫像、国内で最初の野鳥飼育舎、スケート演技場、アジアで最大の四次元?映画館などいかにも中国らし
い自慢の施設が数多くありました。
 
この虎の彫像は石を重ねて彫ったということです。

近くによるとその大きさに驚かされます。
 
公園内はとても広く、地元の人達も少人数ながら訪れていました。

公園の岸壁には駆逐艦「104 TaiYuan」が博物館として係留されています。
 
   大連にも低床式のLRTが走っていました               本船の後ろ姿

◆大連の出港風景
 
本船は17:30に大連を出港。このターミナルは日本統治時代の建物かも知れない。

明日は天津へ入港予定
本船からパイロット船へ乗り移る連続写真。よく落ちないものだと感心します。

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