まだ春も日の浅い4月、三度目の海外旅行に出かけた。メンバーはいつものリタイヤ組8人のご一行様である。今回 は前泊、後泊を含めて12日間の長丁場の旅行である。初めてのヨーロッパ観光をいつものように日記風にまとめてみ た。年寄り特有のくどい記述もありますが、そこはご容赦していただき最後まで閲覧して下さい。
◆4月1日
我が家を8:00過ぎに自動車2台で千歳に向かう。我が夫婦はベンツの後部座席へ。千歳では空港の反対側にあるいつも利用する長期用の駐車場へ入れ、駐車場の車でターミナルまで送ってもらう。ターミナルに着くと直ぐにJALの団体カウンターに行き搭乗券のクーポンを受領し、いつも利用しているオアシスへ行き昼食。出発まで少し時間があったので、以前から集めていたターミナルのスタンプラリーが4階の部分が残っていたので記念品交換をかねて初めて4階に行った。
この階は時間待ちにはぴったりの場所である。店舗もあり、なおかつ軽食もでき、見晴らしもよい。乗客もわざわざ4階まで来る人もなく意外と空いている。また子供が遊ぶコーナーもあり、子供連れには最高の場所である。
スタンプラリーが完成すると写真のようなプレゼントを貰うことができたが、どう見ても子供用である。ここの本屋で航空関係の本を2冊購入する。
成田行きはJL562便で定時14:25に出発予定であったが、乗客の一人が乗り遅れて搭乗しないため、手荷物を降ろすのに手間取って、20分ほど遅れてテイクオフ。機種はB777−200で比較的新しい機体である。内装も薄汚れてはいなかった。昔だったらタバコのヤニですぐに汚れてしまったが、現在は比較的、新鮮さを長く持続すると思われる。ところで乗り遅れた人はその後どうしたのか他人事ながら一寸心配。成田便に乗るくらいだから、恐らく海外へ行くと思われるのだが、これで旅行がパーになる?。
成田に到着して迎えのバスで本日の宿泊ホテルである日航ウインズ成田へ向かう。このホテルは第2滑走路のすぐ近くにあり、乗り物オタクとしては最高のロケーションである。
ホテルのラウンジから貨物ターミナルが目と鼻の先に見える。ここで貨物を搭載して旅客ターミナルへ向かうようだ。ビールを飲みながら外の風景を見ていると、すっかり外国へ行った気分になってしまった。国際空港はいつ見ても旅情を誘う不思議な雰囲気がある。明日は10時集合なのでゆっくりと仲間と談笑し、部屋に戻りベットへ滑り込んだ。
◆4月2日 いざ中欧4カ国旅行へ出発
いつものように朝早く目覚める。窓を開けると時間が早いので到着便はまだ着陸して来ない。しかし、6時になると待っ ていましたとばかり次から次と着陸してくる。ホテルから見える滑走路は暫定の2000メートルなので大型機は第1滑走 路に降りているらしく、こちらの第2滑走路は双発機ばかり着陸していた。デジカメとビデオカメラを交互に使用して撮り まくる。
ホテルは素泊まりなので、朝食をとるべく早目に空港行きのバスに乗り、ターミナルに向かう。到着後、直ぐ朝食をとり 10時までの集合時間までターミナル内をフラブラするが、イラク戦争の影響でターミナルは閑散としていた。このまま 現地へ行ってテロにでもあったら一巻の終わりかと思ったが、乗りかかった船であるから何も降りることはない。ケセラ セラである。
10時にAVAの女性の添乗員と落ち合い、旅行の概略について説明を受け、12:00発ロンドン行JL401便に乗り 込む。

成田出発ロビーで シベリア上空。見渡す限り
雪原が広がっていました。
機体はいわずと知れたB747−400で例のウイングレットを付けた長距離機である。しかし、747−400は777よ りピッチが狭いのには参った。それでも空いている席に移り、一人二座席を占領して楽ちんスタイルとなった。
機は燃料を満載しているためか、RWYの一番端からスタンディングテイクオフ。滑走し始めるとやはり重たい感じがそ のスピードからよくわかる。離陸後、最初に新潟を目指し、日本海へ出て北海道沖へ向かうが、残念ながらモヤッていて 陸地は見えなかったが、しかし、晴天時でも距離的に北海道を見ることは無理かも知れない。いよいよ飛行時間12時 間以上の飛行が始まったのである。
その後、機は進路をハバロスクへ向け、あとはひたすら大圏コースをたどってロンドンへまっしぐらに飛行する。果たし て禁煙を我慢できるかちょっと心配であったが、到着してしまうとそれは杞憂であった。我慢すれば何とかなるものであ る。しかし、到着すると、どこの空港でも、まずは喫煙場所を探して歩く自分の姿を見ておかしくもあった。
機は西行きなので太陽を追いかけながらの飛行で、いつまで経っても。なかなか太陽が沈まない。時刻表ではたった4時間あまりで、ロンドンヒースロー空港に到着した。JSTではすでに夜中である。これが時差ぼけの原因であることを実感した。ヒースロー空港はハブ空港らしく非常に大きな空港である。多種多様な航空機が離発着している。
 しかし、空港内はつぎ足し建築みたいで迷路のような通路を通り、ようやくトランジットのロビーにたどり着く。
ところが、今度はベルリン行きのゲートがなかなか表示されないようで添乗員も少し心配げな様子。それでも出発30分前になってようやく搭乗ゲートがわかり一安心。このようなことは日常茶飯事であるらしい。 トランジット用のロビーで 空港は所狭しと航空機が
コーヒーを一杯 駐機している
ロンドンといえば現在、木製の帆船模型(HPで連載中)を作っているが、その帆船(カティサーク)がロンドン近郊のグ リニッジに係留されているのを思い出した。この空港から目と鼻先くらいの距離である。時間があれば是非見学したいと ころであるが、何しろこちらはトランジットの身である。あきらめるより仕方がなかった。来年はカティサークを見るため英 国旅行を計画しようかなと思ったりする。
黄昏の中、一路ベルリンへ 全席革張りのシートの豪華版 最終便のため閑散としている
ベルリン・テーゲル空港
ヒースローから定刻20:00発BA988便でベルリン・テーゲル空港へ向かう。機体はA319で大きさは737と同じ クラスである。革製の座席に始めて乗った。ピッチも広い。
機内食はサンドウィッチ。中身は「チキン・オア・何とか、かんとか」とまくしたれ、結局、単語がわかったチキンを食 するとになった。日本語を話すCAもいなく、飛び交う言葉は英語とドイツ語。いよいよ日本語とはお別れかと思うと一 瞬、不安が頭をよぎる。
定刻より少し遅れてベルリン・テーゲル空港に到着。着陸時の急降下は初めての経験。皆さん耳が聞こえなくなりま した。この空港は何故か釜山空港を思い出した。いわゆるローカル空港なのである。しかし、この空港は確かベルリン 封鎖の時、米軍の輸送機が西ベルリンへ大量の貨物を輸送し、当時の西ベルリン市民にとっては生命線の空港である ことを思い出した。ここで初めて入国審査となったが、単に旅券を見てそれで終わり。簡単だったなー、こちらとしてはス タンプが欲しいのに・・・・・。
この空港では成田からの手荷物を受け取る段になって、とんでもないことが起きた。我々の仲間の手荷物が乗ってい ないことが判明。このため手続きに結構時間をとり、荷物がないということで洗面道具、バカでかいパンツ、シャツをも らいバスに乗り込みホテルへ出発。このとき未到着の荷物が5,6個あったらしい。後でわかったのだが、ヒースロー空 港から間違って国内便に乗せ換えたらしい。
おまけに迎えのバスがカーブで荷物室のドアが開き、バッグが4個ほど道路に散乱し行方不明。暗い中、バックを 探すのに、これにまた結構時間がかかり、ようやく全部のバックを探し終えたバックを見たら、1個は空中分解の状態で 使用不能となっていた。
このようなハプニング続きでようやくホテルの部屋に入ったのは午前0時をとうに回っていた。散々な目にあった旅行 一日目である。部屋に入って、すぐに風呂に入り、寝ついたのはすでに2時を回っていた。これでも明日(時間的には今 日)の出発は9時ということで、ほとんど寝る暇がない状態であった。
◆4月3日 ベルリン市内観光 ポツダム観光
5時30分に起床。朝早くからの路面電車の音がうるさくて目が覚める。正味4時間くらいしか寝ていなく、完全な寝不 足な状態で観光が始まった。7時に仲間と一緒にバイキング形式の朝食。さすが本場ドイツだけあって、ハム・ソーセー ジが盛りだくさん出て、朝からたらふく食べてご満悦であった。

一晩明けたホテル前の風景。初めてのヨーロッパの街並みである。テレビや写真とはまた違うようだ。
9時過ぎに早速バスに乗り、ベルリン市内観光へ出発。主に昔の東ベルリン側を観光する。ベルリンは戦前の首都であり、東西両ドイツが統一されて、また首都として現在も開発発展途上の都市である。市内は緑が非常に多いのには驚いた。中にはいまだに第二次大戦の銃撃の痕が生々しく残っている建物や、空襲で爆撃された教会など、日本ではちょっと考えられない光景を見ると戦争の残酷さを思い知ることができた。ガイドの説明では8割以上が破壊されたということ。市内の建物は超高層ビルから4、5階建ての旧来の飾り窓が付いた建物が多い。
昼はレストランでパン・スープ肉のコース。食事後ベルリンの隣町のポツダムへ向かう。この時、アウトバーンを初めて走行する。日本の道路公団の高速道と比較すると意外と金をかけていないことがわかった。このタイプだと半値くらいでできそうな感じがする。日本はコンクリートの使いすぎで、高いのも当然。最初の頃はここで自動車レースを行っていたそうで、現在もスタンドが道路脇に残っていた。
ここポツダムではポツダム宣言で有名なツェツィリエンホーフ宮殿を見学。写真では見ていたが、実物は今回が初めてある。外観は何か田舎のたたずまいのような感じであるが、中はさすが元王様の建物。あちこちに贅を尽くした建物になっている。
アウトバーン
市街地の風景は帯広あるグリュック王国の建物に似たものがたくさんあり、何かおとぎの国を見ている感じである。個 人の家は意外と北海道の家に似たものが多いが、みな軒先が少し上向いているのが面白い。
ポツダム市は町全体が世界遺産ということで、あまり高い建物とか、現代風の建物を建てられないそうな。中でもオラ ンダ人街の建物のいたみが激しい。
とにかくベルリン周辺は平野で山というものを見ることができなかった。何処までも平原という感じである。近郊電車は 第三軌道から集電する方式で日本の地下鉄と同じ。架線がないとすっきりしていい。ICEや真っ赤な列車を見ることがで きた。暇があれば是非乗ってみたいものである。
夕食はホテルでバイキング。今日の天気は激しく変わり、時にはアラレが降る有様だった。寝不足の影響か9時過ぎ にはもう眠りについた。
◆4月4日 マイセン、ドレスデン市内観光 国境を越えてチェコ・プラハへ
  5時起床。今日はぐっすりと寝てすっきりとした。朝食を早々にとり、7時半にはマイセンの陶器工場へ向かう。
マイセンの街はそれほど大きな街でなく、陶器工場でもっているような街である。しかし、ヨーロッパの街の中心は教会だということが、尖塔の高さと広場ですぐにわかる。 エルベ川沿いにマイセンへ向かう。マイセンの市街
博物館ではマイセン陶磁器の歴史や制作の実際を日本語で説明を受ける。即売も行っているが、とても買えるような 値段ではなかった。
工場では陶磁器制作の流れを各部屋で実際に見せてくれる。日本のようにすべてをロクロで制作するのではなく、 最初、型に入れて大まかな形を作るようだ。もちろんロクロも使用している。

マイセンのコーヒー マイセン陶磁器の博物館 天井もきれいな陶磁器製
マイセンを見学した後、「エルベ川のフィレンツェ」と呼ばれるドレスデンへ向かう。高速道に入ったり、出たりの連続 である。すべてが無料のため、ゲートがないので、いつの間にか高速道に入ったり、市街地に入ったりする。日本では永 久にこのようなスタイルにはならないかも知れない。
到着したら直ぐに、いかにもドイツらしい昼食(ジャガイモとソーセージ)をとるが、そのとき旅行社の好意で飲み物のサービスがあった。これは行方不明の荷物が無事見つかったという連絡が入ったということでのサービスであった。荷物はプラハで受け取ることになった。 ドレスデンといえば我が愛機のPCに使用しているAMD−Athlon3000+の生まれ故郷のFab30がある街である。市内を移動している間に工場が見えるかと思ったが、工場は郊外にあるらしく残念ながら写真に撮ることができなかった。ここに泊まれば見に行けたのだが。
その後、歩いて旧市街地の街並みとツビンガー城を見学。現地のガイドが案内したが、彼女は以前、東海大学に在籍したことがあり、流ちょうな日本語を話した。冗談がうまく、たとえばアウグス12世の愛人が300人以上いたとか、愛人のための館を隣接して建て、廊下で結ばれていたとか。おまけに、教会も廊下で結ばれており、雨の日も風の日も愛人のところへ行った後、教会(ドイツでは珍しいカトリック教会)へ行き、懺悔室で懺悔する。という笑い話をしていた。
アウグス12世の壁画があるレジデンツ城
 この街は戦時中に徹底的に破壊され、戦後瓦礫を集めて元の建物に修復した。今なお修復中の教会がある。従って現在の建物はモザイク模様を呈している。元の古い材は黒く、後から足したものは白くなっている。路面電車と古い建物が妙にマッチしているのが面白い。
市内を走っていた人力三輪車
近くにはエルベ川が流れており、第2次世界大戦時に米軍とソ連軍会合した川で「エルベの誓い」で有名。
ツビンガー城内の絵画館、武器博物館を見学。ラファエルなどの絵画が残っている。昨年の大洪水の時は地下にある 絵画を必死で守ったそうな。絵画館のあちこちにまだ未整理の絵画がたくさん見ることができた。中でも教科書でよく見 るマルチンルターの絵画を見ることがでたのも収穫。武器博物館では中世の甲冑や鉄砲が所狭しと陳列されていた。 しかし、全滅した街の建物をよくここまで修復したものと感心した。ドイツ人魂を垣間見た感じである。
 16時過ぎにはいよいよチェコ・プラハに向かう。途中から山並みが迫り、峠越えとなる。山頂を少し降りたところに国境検問所がある。我々のバスは4台目で最初のバスがなかなか通過できないでいるので、先に手続きを終了する。日本の観光団ということで一切のチェックなし。このようなことは他の国ではあまりないらしい。しかし前が詰まっては動きがとれない。とうとう1時間くらい待たされ、しびれを切らしていたら、ようやく前のバスを追い抜いて出発した。
国境へ通じる峠道  チェコに入ると妙に北海道の風景にそっくりなのでビックリ。家も形もドイツとは微妙に変わっている。何となく田舎という雰囲気である。我々のバスもちょうど滝川〜岩見沢付近の高速を走っているという感じで北海道へ帰ったような錯覚に陥った。
国境で先発した2台のバスに追いつき追い越す。乗っていたのは10代の若者で国境検問所ではおおっぴらにたばこを吸っていた。このあたりの国は10代でも喫煙はいいらしい。19時半を回った頃、ホテル前に到着したが、道路が一方通行になっているため、ホテルを目の前にして大きく迂回して20時過ぎに到着。遅い夕食をとり、本日の観光はこれで終了。
初めての国境越え。ドイツからチェコへ
◆4月5日 「百塔の街」プラハ市内観光
5時少し前に起床。旅行5日目ともなると足腰がもうガタガタである。今日の予定は半日のプラハ市内観光。その後は自由行動である。今日も思いっきり歩くのかと思うと、少し気が滅入る。
最初に案内されたのはプラハ城。かなり大きなお城で教会も何軒もある。歩いているうちに、とうとう膝が痛くなってきて、歩くにもお母ちゃんの肩を借りて歩く始末になった。ヨーロッパ特有の石畳がきいたようだ。
有名なカレル橋を渡り、次いで旧市庁舎前広場を散策し、土産物店のガラス装飾店に入り、日本人の店員から説明を受ける。まさかチェコにまで日本人の店員がいるとは日本も国際的になったものだ。 ホテル前で記念写真
その後、近くのレストランで昼食したあと自由解散。当方は早々にバスに乗り込みホテルへ帰り、明日のために英気を養う。明日はプラハを離れ、オーストリアに向かう。ホテルではイタリア人のご一行様が同宿していたが、陽気な民族だということは知っていたが、大声で話をしたり、時には大合唱。なんとノー天気な人たちだろうと内心びっくりしたものだった。
市内を歩くとチェコの女性は概して美人が多いのにはビックリ。さすがチャフラスカを生んだ国(古いなー)である。スタ イルも足が長くドイツ人とは大分差があるようだ。
◆4月6日 プラハからウィーンへ
朝、起きるとうっすらと雪化粧。今日は相当寒くなりそうなので股引を着用する。ほとんど穿いたことがないのにまさか ヨーロッパのこの季節に穿くとは・・・・・。しかし、我々が到着する1週間前は相当に暖かったらしい。確かに桜が咲いて いたのでそうだったに違いない。桜に雪が降るという風情もなかなかオツなものである。
バスでの移動中も雪が降ったりやんだり、そして太陽が出たりで、めまぐるしく天気が変わった。この時期の天気はこのようなものですとの添乗員の説明。オーストリアへ入る前に世界遺産のチェスキー・クルムロフを観光。街の周りをぐるりとモルダウ川が囲んだ中世の面影を残した街で、お城を中心に昔の建物が建っている。まるでおとぎ話の世界に入り込んだ感じであった。
15時過ぎに国境を通過する。今回は出国側のチェコでパスポートの提示を求められ、添乗員がまとめて管理事務 所へ持参した。これでスタンプが押されて返ってくるのを密かに期待したが、チェックのみでスタンプ無し。残念。オースト リア側はチェコの入国時と同じくフリーパス。雪道の中ひたすらウィーンへ向かう。
 |  |  |  | | 国境のゲート付近 | 国境の管理事務所 | 途中で休んだドライブイン | 牧草地は一面冬景色 |
18時過ぎに街の中心地に近いホテルに到着。チェコからのバスはここでお別れ。今日中にプラハに帰る由。バスの運転手は自国だけでなく周辺国の道も覚えなくてはならないので大変だなと思う。日本では隣の県へ行くような感じなのだろう。ただし、パスポートは必携である。
バスのバックミラーはウサギの耳を垂らしたようで面白い。この形は今回訪れた国すべてのバスが同じスタイルであった。
音楽の都ウィーンはベルリンより少し東寄りであることが日暮れを見ていてわかる。30分程度の時差がある感じ
である。19:30に今夜の食事をグリンツィングのホイリゲに向かう。「ウィンナー・シュニッツェル」と銘打って、
食事を摂りながらバイオリンとアコーディオンの楽士による生演奏を聴きながらの食事である。おもにウィナーワルツを見事に弾いていたが、こちらが日本人とわかると「上を向いて歩こう」や「赤とんぼ」など日本の曲を数曲を演奏。ヤンヤの喝采を受ける。一緒に写真を撮り、思わず10ユーロも出してしまった私。
曲弾きをしたときの「どんなもんだ!」という得意気な笑顔が忘れられない。21時過ぎにはホテルに帰着。風呂に入り、今日の疲れをいやそうとするが、とうてい一晩では疲れがとれるような状態ではない。しかし、酒も入っているためか、ぐっすりと寝ることができた。
このホテルはいつ建ったのかは不明だがどう見ても戦前の建物のような雰囲気である。部屋はコンクリート壁に色を塗っただけ、、調度品も年代物、照明も白熱灯を使用した昔風。何となく昔の映画の世界に入ったような感じである。
このホテルには高校生位の修学旅行団が泊まっており、いたずら電話がかかってくる。何処の国の生徒も悪戯は同じようなことをするようた。
◆4月7日 ウィーン市内観光
9時にバスで市内の環状道路(リンクというらしい)を回りながらガイドの説明を受けつつ、シェーンブルン宮殿へ向かう。この宮殿は今までの宮殿の中で敷地、建物共に一番広い宮殿である。最初、ハプスブルグ家の家系の説明を聞いてから宮殿内を一巡する。
宮殿の中はさすがに豪華で目を見張るものがあった。最後の王様のオットーさんは昨年90歳の誕生日祝いをここの宮殿で開いたそうな。
朝ホテル前を馬車が通った 今日も雪がひどく一時はみぞれ混じりの吹雪模様となる。旧市内のワルツという土産物店で解散し、午後からは自由 行動となる。我々リタイヤ組8人は早速、日本食の店を探すがなかなか見つからない。道を1本間違えたらしい。ヨーロ ッパの街は中央広場から放射線状に道路が広がっているので1本間違うと大変である。ようやく天満屋という日本食堂 で「天ぷらうどん」を食す。久しぶりの日本食がおいしかった。

おきまりのコースのシュトラウス像の前 街の中心。広場から放射線状に道路が延びている

川沿いに走る地下鉄 トイレのような地下鉄駅 市街電車が発達している

街の建物 オペラ座 オペラ座から通りを見る
ここでみんなと別れて一足先にホテルへ。何しろ一歩も歩きたくない心境である。タクシーはホテルが見つからず行き 過ぎてしまい、高いタクシー代を支払わせられた。夕食はみんなが持ってきた非常食を持ち寄り懇親会。明日はいよい よ最後の訪問国ハンガリーへ向けて出発予定。
◆4月8日 ウィーンから「ドナウの真珠」ブタペストへ
ブタペストの出発は午後2時の予定なので、それまで自由時間。足腰が痛いので、皆と別れて近くの南駅に向かう。ヨーロッパの駅は映画とかテレビしか見たことがないので楽しみにしていた。
この駅はホームが1番〜15番まであり、国際列車は1番ホームを使っているようだ。列車は時間になると案内放送とかベルとかの鳴り物は一切なく、静かに出ていく。何となく気が抜けるような出発風景ある。到着も放送は一切なし。ただ国際列車の発車は小さく放送がかかった後、静かに出発して行った。 我々の宿泊したホテル
ホームで列車の写真を撮りまくっていたが、何しろ先頭まで行くのには長くて歩くのが大変である。そのとき国内の長距離列車の機関士がわざわざ汽笛を鳴らして、笑顔で手を振ってくれた。ホームの端には自分一人しかいなったので東洋人の鉄道オタクに対して大サービスをしてくれたようで、大感激!。
ヨーロッパの列車の連結器は相変わらずネジ式で、連結するのは大変だなーと思う。それでも電車は密着式の最新式の連結器を使用していた。電気周りはシーメンス製が多い。さすがドイツの隣国である。
この列車の機関士が大サービス
昼飯は駅構内で軽食をとるが、今までは団体か我々8人のグループでワイワイ言いながら食事を注文したが、今回は 我々夫婦二人きりの食事の注文である。果たして昼食にありつけられるか少し不安になるが、何とか駅のビュッフェで 手招きと英単語の羅列で食事を摂ることができた。

バスに荷物を積み込む 送れて到着したバス 快適な高速道。全線無料 国境ゲート
14時にブタペストへ向かう予定が迎えのバスがなかなか来ない。結局1時間半遅れで出発。ブタペストまですべて高 速道。延々と続く畑の中を走り続け、18時過ぎにホテルに到着する。途中の景色を見ると植生ががらりと変わり、針葉 樹がなくなった。また、石灰岩の山が多いが、低い山ばかりである。平野が続くが。広大な畑に農家がないのは不思議 である。農家はすべて集落になっていて通い畑になっているようだ。

車窓から見えた田園風景 ハンガリーの温泉
◆4月9日 ブタペスト市内観光
ハンガリーの政府観光局によるとブダペストは「ドナウの真珠」とも呼ばれ、その素晴らしいパノラマはユネスコの 世界遺産に指定されています。百ヶ所以上の温泉から湧き出している温泉は健康回復に大変効果があります。 世界でもっとも美しい首都の一つと言われている。と説明している。現在のハンガリー人(マジャール人)は白人と同 化しているが元々ハンガリーという国はアジア系の血が混じっているらしい。その証拠に時々、赤ん坊のお尻に蒙古斑 が出るらしいが、顔つきはアジア人のアの字もない感じである。
朝9時には早速市内観光に出発する。最初に王宮を外部から見学し、次いで王城のドナウ河方面を漁夫たちが守っ たことに由来する漁夫の砦を見学した。しかし、ガイドの説明によるとこの砦は単純に景観上作られたということが真相 らしい。この砦の眼下には、かの有名な「くさり橋」を見ることができる。この後、聖イシュトバーン大聖堂を見学する。 この教会はイスラム寺院の後を改修したとのことで天井がイスラム様式になっている。

王宮は外から眺めるのみ 漁夫の砦から見たくさり橋 漁夫の砦
次にマーチャーシー教会を見学。内部はすべて大理石で作られた豪華な教会である。現在修理中であったが、その作業を見ていると普段お目にかかれなれない教会の内部構造を見ることができた。最後に英雄広場を見学し、ここで午前の見学は終了。午後は自由行動となる。 仲間と昼食をとった後、足腰が痛いので一足早く市電49番に乗ってホテルで静養する。今回の旅行で初めて市電(トラム)というものに乗った。ブタペストの市電は他の都市と同じで切符を備え付けの改札機に入れて穴をあける方式をとっている。タダ乗りをしようと思えは簡単にできるが、検札が時々あり、見つかると罰金を取られる。乗り方を知らない観光客が餌食になると聞いた。それでも、あまり機械に切符を通す人はいない。皆さんタダ乗りかな?。古い電車であるが力はありそうで、結構な加速力であった。総じてヨーロッパの市電は一両で運行されるのは少なく2、3両で運行されている。
マーチャーシー教会
18:30からオプショナルツアーに参加。「ロマンチック・ドナウ・クルーズ」という名で食事と夜のドナウ川の観光である。食事はNautilus(潜水艦に似せていて潜望鏡まである)というレストランでハンガリー料理を食べ、20時過ぎにレストランを出て船着き場へ。船は100人位乗れそうな船に我々20人余の貸し切りである。約50分程度の船旅を楽しむ。ドナウ川から見た夜景はそれは素晴らしく、有名な建物には電飾を施してあり、旅の疲れもすっかり忘れるような夜景であった。22時頃にホテルに帰着する。このオプションしめて100ドル也。明日はいよいよ帰国の日程となる。
◆4月10日 帰国の途へ
今日は15時30分にホテル集合出発となっており、それまでは自由行動。こちらはすでに足腰がガタガタなのでチェッ クアウトした後はホテルの近くを集合時間までブラブラして時間をつぶした。ほかの連中は美術館、自由市場へ向かう。
ホテルの近くに名前は忘れたが公園があり、市民の憩いの場になっている。我々もベンチに腰掛けて行き交う人を眺 めたり、写真を撮ったりしていたが、突然、老紳士が近づき写真を撮るのならこちらがよいと言っているらしい。後をつい て行くと、なるほど池と教会をバックしたとても良いロケーションである。写真を老紳士に撮ってもらう。内心カメラをその まま持って行かれるのではないかと思ったが、それは杞憂であった。親切な老紳士に感謝!。
ホテル近くの公園の寸描
帰国のコースはブタペスト・フェリヘジ空港17:45発のマレーヴ・ハンガリー航空MA255便。ドイツ・フランクフルト空港へ向け定時出発。1時間50分で人気のないフランクフルトに到着。JALの窓口なのに日本語が通じない現地職員には参った。
トランジット扱いで21:05発の日航JL408便で成田に向かう。東行きは時間の経過が早い。離陸して巡航高度まで上がったらかすかに地平線がぼんやり夕日が赤かったが、3時間も経つともう夜明けである。乗客は太陽が燦々と降り注いでいるのに窓の遮光板を下ろしてぐっすりの様子である。ヨーロッパとアジアの境目のウラル山脈を境に雪のない状態からいきなり真っ白の銀世界が広がったのにはビックリした。 アチャー!MA機の窓枠が外れました。整備不良? マレーヴ航空で遅い夕食を摂り、日航に乗り継いたら、またまた食事を勧められる。、さすがにこの食事は断った。しかし、日航の方が内容は良かったような気がしたので、無理しても食べれば良かったかなと思ったが後の祭りである。
ブタペスト市街 一路成田に向けて 離陸したらかすかに 3時間で夜明けを迎えた
しかしこの地図少し変 夕日がまだ見えた ウラル山脈付近
◆4月11日 成田到着 解散
成田着15:20着。入国審査後、成田18時30分発JL565便で千歳に向かう。どうして国内便はターミナルの端にあ るのだろう。歩け歩けでようやくA66番搭乗ゲートにたどり着く。機材は行きと同じB777であった。
成田は行く時とは違い、異様な風景に出くわした。旅行途中に例のサーズ騒ぎがあり、東南アジア・中国からの帰国 者は軒並みマスクをかけている。入国管理官もマスク姿。これには驚きである。マスク姿の人たちから出来るだけ離れ て歩くようにした。
今夜は千歳でいつものアーバンホテルで一泊し、旅の疲れを取ろうとするが、たった1日で取れるはずもなく食事後す ぐにベットにもぐり込む。意外と時差ボケはないようだ。
◆4月12日 やっと我が家へ
ホテルで朝食を摂り、千歳の駐車場から一路高速道を走る。午後には無事、我が家に到着し、今回の長い旅行が終了した。この旅行で自信がついたのは長時間の飛行機の搭乗、それに伴う禁煙ができたこと。この経験を生かせば、いずれ予定しているスミソニアン博物館も大丈夫かも知れないと思ったりしている。
旅行中にいろいろな出来事があった。イラク戦争の終結、サーズの流行など旅の途中では考えもしなかったことが起きていた。今回のサーズ騒ぎで5月に行く予定であった「シンガポール・マレー鉄道の旅」は直ちに断った。
今回の旅行コース これからどんどん歳を取って体が不自由になるので、できるだけ早いうちにいろいろなところへ旅行しようかなと思っている今日この頃である。
[おわり]
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