2005年3月29日〜4月9日


 今年、最初の海外旅行に出かけた。今回はスペイン南部を中心に実質8日間の旅行である。参加メンバーはいつもの連中(8名)で、このツアーの全参加者は33名であった。北海道からの参加者は我々のグループのみである。

 当初、スペインの治安が相当悪いということをインターネットで知り、ちょっと不安が頭をよぎったが、追い打ちをかけるように成田で添乗員から首を絞められたとか、囲まれたという事例を記載した注意書きをもらった時は、すっかり楽しい気持ちが萎えてしまったというのが本音である。しかし、夜間外出は控え、さらに全ての移動は団体で動いていたので、そのような場面に出会うこともなく無事帰還することができた。

 今回の旅行記もいつものように日記風にまとめてみた。スペインは昨年旅行した、同じイベリア半島にあるポルトガルとは一味違うなというのが結論である。

2005年3月29日(成田前泊)

 朝8時30分過ぎに我が家を出発。途中、旭川で二人を拾い高速道で千歳へ向かう。いつもの駐車場へ12時前には到着し、駐車場の自動車でターミナルへ送ってもらう。

 約束の時間に札幌組が電車で到着し、これで全員、合流することができた。昼食はターミナル南側一番奥のレストランである。ここの利用客は空港関係者の社内食堂といった感じで、種類が多くて安いのが取り柄であるが、全てセルフであるのが難点である。
      
    集合場所は千歳JAL団体カウンター   13:50発成田行JL3042便。   前泊したレストハウス
                            機長の挨拶でこれから安全運行
                            について決意を述べていたかの
                            だが・・・・・。
3月30日

◆成田からアムステルダムを経由してバルセロナへ

    
     ホテルの真下に牽引車のプールがあった。       第一ターミナル目と鼻の先にある。
                                       このターミナルは現在増築中。

    
      ホテルの目の前にタワーがニョッキリ。       朝6時を待って金魚のウンチのように続々と
   公道の脇に立っており、保安上問題はないのかな。  着陸してきます。

      
            総勢8名のご一行様。            喫煙所まで遠かった。この先67番迄歩く。
                                    早い話、国内線ゲートまで行くということです。

                    
                  表示はイベリア航空と共同便あることがわかります。

      
    これから11時間以上の長旅になります。        一足先に12:00発ロンドン行きが出発。
    200席以上空いていて楽チンでした。          この便には2度乗っています。

  
 洗面所に貼ってあったエンルートの地図をCAに頼んで、行き(左)帰り(中)分をもらいました。決して黙って剥がししてきたわけでありません。以前、yasueさんのページで話題になったミルニー炭坑跡?(インターネットで調べるとダイヤモンド鉱と書いてある。どちらが正しいのかな)(右)もしっかりと載っていました。残念ながら行きは曇り、帰りは寝ていて見ることはできませんでした。

  
    いつもの単調なシベリアの風景。左・中の雲のようなものはジェットエンジンのブラストです

  
乗り継ぎ地のアムステルダム(スキポール)空港。ロンドンのヒースロー空港よりとてもきれいな感じがした。しかし、乗り継ぎのためにあの広いターミナルを思いっきり歩かされました。この空港で入国審査を終了したので、これでEU圏は国内便と同じ扱いになるらしい。

 ここからはイベリア航空の機材(A320)を使用したJAL共同便となる。この空港で気が付いたことは桟橋に機を付ける時、例のオシャモジを持ったマーシャラーがいない正面の表示板を見ながら横付けをしているように見えた。

 また一部であるが桟橋が2段重ねになっているのを初めて見た。下の方はごく普通の桟橋が2本延びており、その上にクレーン状の桟橋がある。恐らくジャンボの2階に着けるのではないかと思われる。残念ながら747がそのようなゲートに着いてるのを見ることはできなかったが。

 21:20にようやく長〜い1日が終了して、無事バルセロナに到着した。ローカルタイムでは9時間かからないで成田からスペインまで飛んで来たことになる。

3月31日

◆バルセロナ市内観光・モンセラット観光

 いよいよ今日からスペイン観光のが始まる。朝食はいつものようにパン、ソーセージ、ハム、果物の軽い食事である。本日のコースは午前中、モンジェイックの丘・聖家族教会グエル公園・カテドラル・カタルーニャ広場・オリンピック公園・ミラ邸・パトリョ邸・コロンブスの記念碑などを見物した。

 昼食は「カタルーニャ風サラダ」「イカ墨のパエリヤ」「カタルーニャ風プリン」「クレマカタルーニャ」を食したが、イカ墨のバエリアの味はイマイチという感じであった。

    
    ホテルから見えたサグラド・コラソン教会        カタルーニャ美術館(バスの車窓から)

    
                  モンジュイックの丘 市内や港が一望できる

  
 面白い形をした水道会社ビル    大阪のおばさん顔負けの交差点内の二重駐車。ただし交差点の角は
 聖家族教会よりも高いようだ       斜めに切ってあり、駐車がOKの所と禁止の所があるらしい

 午後からはバルセロナの北西にあるモンセラット観光である。バルセロナを出発してしばらく平地を走っていたが、遠くに奇怪な山が次第に迫ってきた。巨大な石の固まりが積み重なったような山で今まで見たことのない山容であった。

 ここでは12世紀にこの山中でマリア像が発見されて以来、古くから巡礼の聖地となり、山にへばりつくように修道院などが建てられた。この黒いマリア像と共に、ヨーロッパ最古という少年聖歌隊の歌声が奏でるミサも有名。

 しかし、よくあのような場所に建てたものだと感心する。修道院へは山道とケーブルカー、ロープウエイ、アプト式の登山電車が通じており、交通の便は至極、便利なところと思われた。

 モンセラットの観光も終了してホテルに到着したのは午後8時を回っていた。遅い夕食を摂り、明日は7時の飛行機に乗るため、早々に床につく。

4月1日

◆バルセロナからマドリードを経由してコルドバへ

 本日は半日かけてコルドバに向かう。7時発のIB2617便に乗るため、早朝5時半起床し、紙袋に入った朝食を持たされ空港に向かう。外はまだ真っ暗である。当地は既に夏時間に入っているため、いつまで経っても明るくならないのには参った。スペインの標準時は元々GMTに対して1時間進んでいる。しかし、経度を見るとほとんど英国と同じ位置にあるため、夜明けが遅い。さらに夏時間が加わるとさらに夜明けが遅くなる計算になる。8時頃にならないとすっかり明るくならない。しかし夜は9時になっても空は明るいといった日本ではちょっと理解しにくい時間である。

 このようなことから昼休みは午後2時から4時まで店も閉じて市内は閑散となるらしい。とにかく、このスペインという国は「宵っ張りの朝寝坊の国」らしいということが時間を見てもわかるような気がした。

    
機上で日の出を迎えました。マドリードでは初めて後部タラップから降りました。このような風景はベトナム戦争終結時に727がタラップを下げたまま難民を拾い上げながら離陸するニュースを思い出しました

  
       マドリード空港       ここから見るとエンジンの取り付け  バスは翼端すれすれに止まりま
 手前は空港内を走るミニバス   角が水平でないことがよくわかります した(1m位)
                                            日本ではまずお目にかかれない
                                            風景です
◆新幹線AVEに乗る

 バルセロナからマドリードへ1時間10分の飛行機の旅を終え、バスでアトーチャ駅へ向かう。ここからはスペイン唯一の新幹線がセビリアまで開通しており、乗り物オタクとしてはAVEに乗るのが今回の旅行の楽しみの一つでもあった。

 AVEの乗り場は爆破事件の影響?なのか、セキュリティーが厳しく、入り口で係員が乗車券をチェックし、手荷物は空港にあるようなX線検査機を通します。

 ツーリストは左右2人がけずつのシートが並び、日本の新幹線の普通車に比べ前後間隔は狭いが横幅には余裕があり、リクライニングはしないものの居住性は良好です。シートは回転しないので後ろ向きに座るシートもあり、また、4人がけのボックス席となったところには固定のテーブルが取り付けてられています。

フランスTGVの技術を採用したAVEは、列車の両端に電気機関車を連結しその間に連節構造の客車をはさむ方式です。従って乗客の乗る車両にはモーターはなく、台車が2両分の接合部の下に1台付いているという構造。日本の新幹線に比べて車内は静かで滑るような乗り心地ですが、スピードを上げると風切り音が大きい感じでした。

    
      まるで植物園のようなアトーチャ駅        これ以上は改札が開始されないと進めません

    
     エスカレーターでホームへ降ります          相変わらず在来車両の連結器はネジ式

    
     AVEの台車は2両に跨る連節方式            次第に速度を上げていきますが、
                                      揺れも少なく、非常に静かです
    
     これが300qの世界、風切り音が大きい               コルドバ駅

  
 AVEの前で記念写真をパチリ   ビュッフェに入り浸りのお二人さん    リラックススタイルの車内

 このAVEはマドリードを出るとコルドバにのみ停車してセビリアに向かう。あっという間の列車の旅であった。我々はコルドバで下車し、早速、昼食を摂りにレストランに向かう。

◆コルドバ市内観光

 コルドバで下車して直ちに昼食に向かう。今日の昼食はタバスというスペインの小皿料理である。昼食後ユダヤ人街(花の小径)を見物してメスキータを見学する。

 コルドバは、昔、東アフリカを含むアラブ世界の中心都市で、現在の街よりも大きかったという。その中心に建つメスキータというのはイスラムのモスクのことで、当時は25000人も収容できる広さだったとのことです。

 その後、現在のメスキータは、キリスト教徒が無理矢理モスクをキリスト教会にしてしまい現在のような姿になったという。メスキータの内部は暗く、目が慣れてくると、礼拝の間は赤と白の石材を組み合わせた二重アーチを支えて林立する大理石の柱が浮かび上がり、幻想的な世界でした。
        
     花と実が同時に見られるオレンジの木           壁だけが残っている建物

    
        迷路のようなユダヤ人街        路地には土産物屋が一杯      花の小径


ここは花の小径の有名な写真スポット

    
   アルミナールの塔        メスキータへの入口           壁の白い斑点は鳩です

◆コルトバからセビリアへ

 この後、本日の宿泊地のセビリアへ向かい、無事ホテルに到着。今夜の夕食はフラメンコショーを見るため大分遅くなってからの食事である。

 フラメンコショーは日本人ツアーで一杯。やはり本場のフラメンコは迫力が違う。しかし、歌は昨年、行ったポルトガルファドの方が良かった。

  
       あちこちにこのような看板がありました       単調な風景が続いてセビリアへ

  
     いざホテルを出発してフラメンコショー見物へ    踊りを見ながら食事をたいらげました

   舞台狭しと次から次へと踊りを見せてくれた楽しい2時間でした

4月2日

◆セビリア市内観光

 グアダルキビル川に面したセビリアの街は、人口70万人のスペイン第4の都市。この街もイスラム文化をもろに影響を受けた都市のようです。たとえばヒラルダの塔や、黄金の塔(工事中)は、現在も残るイスラム時代の建造物だそうです。

 本日の日程はカテドラル、ヒラルダの塔、スペイン広場、マリア・ルイサ公園を巡り、旧ユダヤ人街のレストランで昼食。その後バスで130q離れたロンダを経由してコスタ・デル・ソルへ向かいます。

   
     スペイン広場はスペイン・アメリカ博覧会の        コロンブスの新大陸発見の記念碑
     会場として整備された

         
    元はユダヤ人街であったサンタ・クルス地区           どっちが大きいかな?

    
           小径が縦横に走っています         これから結婚式に出かけるそうです

◆太陽の海岸、コスタ・デル・ソルへ

 スペイン屈指のリゾート地が「コスタ・デル・ソル」は、マラガからカディスのいくつかの街を含む地中海沿岸地域をいうらしい。その気候は一年のうちのほとんどが晴天という、日本では考えられない恵まれた気候と充実したビーチ施設を持つという。

 ここでバカンスを過ごすのは、ヨーロッパのリッチな階級が多く、我々もその生活の一端を覗くべく、プール付きのホテルに宿泊したのであった。

  
  リゾート地向きのホテル           バナナの花と実          豪奢な建物が続いています

 テレビを見ているとヨハネパウロ二世が死去したことを臨時ニュースで伝えていた。危篤状態が続いていたので一寸心配であったが、巨星堕つという感じである。これから葬儀の行事が続くことと思われ、我々の旅行日程にも影響が出るかも知れない。

 2年前に出かけた中欧旅行の時は米軍がバグダットを陥落させたニュースが流れ、今回は法王の死去という、歴史の変わり目に旅行している感じである。これも何かの因縁かも知れないが、次回の海外旅行はテロに遭遇して「一巻の終わり」とならないように願わざるを得ない。

4月3日

◆ミハスを経由してグラナダへ

 今日はコスタ・デル・ソルのホテルを出発して、30qほど進んだところにあるミハスの街を観光する。ミハスは裏通りに向かうと一軒一軒の家に、鉢植えの花が飾られている。 白い漆喰壁と赤い花のコントラストが素晴らしい。

この街にも闘牛場がありました
細い路地が縦横に走っています
ここでコーヒーを飲みながら一服

    
     この街にも日本人経営の土産物屋がある     店の片隅にオリーブ油を搾る機械がありました

  
     散策には最適の街です       サンセバスチャン教会       お金持ちの別荘?

    
        観光用馬車。開店休業の状態              こちらはロバの馬車?


当地では子供から大人まで参加するマラソン大会が開催されていました

     
         この高台のレストランで昼食          この塔はレストラン専用のエレベーターです
  
ミハスを午前中散策した後、150qほど離れたグラナダへ向かう。本日の観光はこれで終了。

途中のドライブイン
ドライブイン横のオリーブ畑
グラナダのホテルに到着

4月4日

◆グラナダ市内観光

 本日はホテルの目の前にあるアルハンブラ宮殿の見物から始まった。ホテルから徒歩で10分ほどで入口に到着したが、時間制で入れるため少し待たされる。ここの宮殿の入場券はなかなか手に入らないらしい。

 アルハンブラ宮殿は8世紀にイベリア半島に進出したイスラム勢力が建てたもので、後にキリスト教勢力がこれを徐々に押し戻し、15世紀についにイスラム最後の砦であるグラナダが陥落し、イベリア半島は再びキリスト教勢力のものとなります。

 アルハンブラ宮殿はそのグラナダを見下ろす丘の上に築かれた城塞・宮殿・離宮から構成されている。アルハンブラとは「赤い城」という意味であるという。
 ホテルから宮殿の屋根が見えます
グラナダ陥落後、街のモスクは破壊され、その後にカテドラル(大聖堂)が建設されました。しかし、このアルハンブラ宮殿が完全に破壊されることはなく、現在でもその優美な姿を見せています。

 以上のような説明を受けて見学に入ったが、予想通りそれは素晴らしいものでした。とくに砂漠の民であるイスラムにとっては水についてはとても慎重に扱う工夫に驚くばかりであった。

 残念なことに建物は素晴らしいのだが各部屋はがらんどうで、当時の調度品は何一つなかった。キリスト教が入ってきて荒れたままでで放置されてきたので、仕方がないとは思うが、できれば復元してもらいたいものだ。
            写真をクリック
 午後からは自由時間でグラナダの街へ繰り出す人やホテル周辺を散策する人などに分かれたが、我々夫婦はあまり治安がよくないということで、ホテル近くを散歩して時間を費やした。

  
   市街地から宮殿に入る門         グラナダのカテドラル      市街地と宮殿間をミニバスが
                        法王逝去のため入場は不可     走っている

4月5日

◆グラナダからトレドを経由してマドリードへ

 本日はグラナダを出発してドンキホーテで有名なラマンチャ地方を回り、タホ川が周りを囲むように流れる小高い丘にある城壁に囲まれた街、トレドを観光して今回の旅行の最終地マドリードへ向かう。

 移動中の景色もオリーブ畑からブドウ畑が次第に多くなってきた。しかし、相変わらずの平原が限りなく続いている。少し退屈気味になってきた。
   移動中に奇怪な山に出会う         ドンキホーテ像

    
     トイレタイムで立ち寄った村。ドンホーテは          大きな水カメがありました。
     この村から旅立ったという。

    
    ここのドライブインはラマンチャ地方の農家を    こんな田舎にも土産物屋が軒を並べています。
    模しているようだ。


 ドンキホーテが戦いに出発したというコンスエグラ村?で休憩をとった後、カンポ・デ・クリブターナの風車を見学。

 この風車は小高い丘にズラリと並んでおり、現在は観光用として開放している。


 この辺りはブドウ畑ばかりである       丘の上にズラリと風車が並ぶ    

    
お客が来ると風車番の親父がやって来て中を見せてくれる。同じ丘にある古城は現在ホテルに改装中?

  
        風車小屋の中ブドウかオリーブを搾るらしい            これが風車小屋の鍵です

◆トレド市内観光

 マドリードから南へ70キロのところに中世の街、トレドがあります。タホ川に囲まれるように街が広がっています。

 この街はしっとりと落ち着いた雰囲気があり、街の美観を大事にする政策がとられているため、街全体が中世そのままの姿で保存されている。さらに新しい建物でも、周囲の環境に調和するよう工夫がなされているのがうかがえられます。
 この街には画家グレコがここに住んでいたということでも有名で彼が描いた「トレド景観」を見たかったが残念ながら時間が無く、見ることはできなかった。トレド観光を終了して一週間振りのマドリードへ向かう。いよいよこの旅行も大詰めを迎える。

4月6日

◆マドリード市内観光とセゴビア観光
 
 今日は今回の旅行最後の観光であるマドリード市内観光を午前中に済ませ、午後からオプションのセゴビア半日観光である。

 マドリード市内観光はプラド美術館、プエルタ・デル・ソル、王宮、オリエント広場、スペイン広場等を巡り、昼食をスペイン広場近くのレストランでとる。

    
            プラド美術館                    美術館出口に立つゴヤ像

    
                                    オリエンテ広場、、騎乗のフェリペ4世

    
             王宮前の広場                広場で見事な美声を披露していた

    
   スペイン広場のドン・キホーテとサンチョ・パンサ          愛想のよい騎馬警官


                  昼食は広場の奥に見えるビルのレストランでとった

   
昼食はスペイン名物シーフードバエリアでとっても美々であった

◆セゴビア観光

 セゴビアはマドリードから北西へ90km、人口は約5万人。古代ローマ時代、すでに都市として栄えていたところで、その名残りは、ほぼ完全に保存されている水道橋に見ることができる。

 アラブ時代に入ると、織物が盛んな町としてセゴビアの名は全国に知られるようになり、イサベル・ラ・カトリカ女王が、ここで載冠式をあげています。

 セゴビアは海抜1000メートルの高原にあり、緑が多く、起伏のある美しい町です。背後にグアダラマ山脈をひかえ、エレスマ川とクラモレス川にはさまれた部分は、遠くから眺めるとまるで船のようだといわれます。

 夕日が落ちる頃ホテルに到着し、明日の帰国準備に取りかかる。長かったスペイン旅行もあっという間に今日で終了した。

4月7日〜9日

◆帰国の途へ

 今日は出発が夕方になるのでゆっくりと起床し、集合時間まで街をブラブラ散歩して時間を潰す。出発に際して治安がよくないので十分注意するようにと説明があったが、昨年のようにスリに囲まれることもなく楽しく旅行させてもらった。しかし、外出する時はいつも緊張感が走る。

 マドリード空港へは14時頃出発し16:20発のIB3250便に搭乗し、スキポール経由で成田に向かう。全搭乗時間14時間の長時間旅行であるが、一番辛いのは喫煙ができないことである。いつもこの時間になると禁煙をしようと思うのだが怪しげな英語で喫煙所を聞いて回る我が身が情けない。とんだトホホである。
   
           我々が宿泊したホテル           空港へ行く途中に見えた立派な闘牛場

   
見渡す限りイベリア航空の機材ばかりです

   
     ここでゆったりと搭乗を待っていたら突然ゲートが変更になり、添乗員さんが連絡に走り回って
     いました。行方不明になっている人が無事ニューゲートに来てくれるか皆さん心配顔でした。

   
     広くてきれいなターミナル内。しかし、なかなか搭乗ゲートが表示されなくてイライラ。おまけに
     突然ゲートが変更されたのには参った。

   
     バスで搭乗機(A320)横まで行くが、ここでエアコンの効かないバスで20分以上待たされた。
     日本では考えられない客扱いである。原因は係が清掃していた。

   
         一路スキポール空港へ             成田の折り返し便。JL412便

 マドリードの出発も遅れたが、スキポールのJAL便も成田からの機材が遅れて到着したため、我々の出発も1時間以上遅れてしまった。遅れたお詫びに航空会社からミールクーポンのサービスがあり、皆さんそれを握りしめ寿司屋に駆け込んで久し振りの日本食を堪能していたようでした。なお機材はとんぼ返りですが、クルーの皆さんは総入れ替えのようです。1日以上休むらしい。
   
     16時頃国内線のゲートに到着し千歳行きの飛行に乗り継ぐ。機材は以前は777だったのが
     いつのまにか767に変更にになっていた。

 無事20時前に千歳に到着。ターミナル内のホテルに宿泊し、グループ全員6人で、ささやかに打ち上げを行い、翌日正午過ぎには我が家にたどり着いた。

 昨年のポルトガルに引き続いて今回は隣国のスペイン旅行であったが、所変われば品変わるの例えにあるように、隣国といえども国が違うとそれぞれ特有の文化を持っているということが今回の旅行でよくわかった。
《終わり》

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