3月24日(火) 小笠原・二見港到着

  
  二見港入港30分前。父島が目の前に見えていた       この正面左側奥に二見港があります

二見港全景 おがさわら丸とははじま丸が接岸しています

 夜が明けて外を見ると平らな島影が見え始め、間もなく本船は父島の二見港の港外に投錨。投錨と言っても実際には
錨を降ろすのではなく、港外に設置してあるブイに繋ぐだけである。そのため本船は停泊していても前後にわずかながら
潮と風に流されて移動しているのを舫綱の張り方でよくわかります。

 二見港の船着き場には本船より先に到着していた「おがさわら丸」が接岸しており、その後ろに「ははじま丸」も接岸
していた。本船と比較すると大分小さな船である。

 小笠原についてのパンフレットには次のようなとが書かれています。これを見ていると今日と明日の小笠原観光が楽し
みになってきました。

  東洋のガラパゴス「小笠原」
  固有の植物や希少な動物など独特の生態系を持つことから世界自然遺産の登録候補地にもなって   
  いる小笠原を訪れます。船内では「小笠原の自然について」の講演も予定しています。 

  ホエールウオッチング
  小笠原近海にはこの時期、出産と子育てのために、ザトウクジラ達がやってきます。運よければ活動的
  な姿を見ることができるのでお見逃しなく。

  小笠原寄港地イベント
  ●海ガメ放流イベント 父島の砂浜から子ガメの放流を予定しています。
  ●東京都指定無形文化財南洋踊りの披露
  ●出港時に小型船の伴走のお見送り

 本船は二見港の岸壁には水深が浅くて沖止めになっているので、通船で上陸することになっている。通船は朝と夕方
のみ随時運行であるが、その他の時間は1時間おきの運行となっている。やはり600人程度では随時運行というのは
無駄が多いのかも知れない。

 朝食を早めに終わらせ、早速、上陸の準備に取りかかり(何もないのだが)、3階のギャングウエイで下船の順番を待
つ。しばし待つこと5分余りで、2回目の通船で上陸することができた。通船は本船のテンダーホート1杯と地元の漁船
2.3杯が使用されていた。

 通船は本船と通船の間に漁船を一隻、間に挟んでタラップから乗船する仕組みになっている。恐らく波で上下するのを
調節するために浮き桟橋代わりに係留したものと思われるが、今日の波は穏やかで、その必要もないように思われた。

 その係留されている漁船の船尾から釣り糸が垂れていたので、何が釣れるのか聞くと、タイがすでに一尾釣れたとの
こと。タイはもともとこの海域にはいないのだが、試験的に生け簀でタイの養殖事業を行っており、以前、台風で生け簀
が壊れ、大量のタイが湾内に逃げ出してしまったという。その末裔が湾内でたくさん獲れるらしい。

  
船長指揮の下、漁船がとも綱を引っ張りブイに固定します
  
   とも綱を固定するとウィンチで本船を引っ張る        午後には出帆するおがさわら丸
  
   ブイに固定されるといよいよ下船が始まります            我々は漁船で上陸しました

「ぱしふぃっくびいなす」も見慣れてくるとなかなかスマートです

船尾にはテンダーボートとそれを降ろしたロープが見えます
  
             本船正面                         おがさわら丸正面

★昭和19年(1944年)当時の父島

 私の父親は職業軍人で支那事変の際、負傷して軍を退役し、その後、会社勤めをしていましたが、戦局が悪化するに
従い、再応召され、小笠原に派遣されました。古いアルバムを開くと小笠原時代の写真が出てきました。よく物資のない
時代にこれほど多くの写真を撮れたものと感心しています。しかし、間もなく病気になり歴戦の勇士も敢えなく戦病死とな
りました。

 このようなことから父親の最後の地である今回の小笠原クルーズはとても意義のある旅行でした。ちなみにブッシュ大
統領(父親)が大戦中、撃墜されたということは知っていましたが、まさか父島の対空砲火により撃墜されたことを父島に
来て初めて知りました。
  
 当時は捕鯨も盛んだっらしい。歯クジラから想像するとゴンドウクジラ?  大部分は硫黄島へ行ったのかな
  
カメを捕ってると説明書きがありました  今回もタコの木をあちこちで    バナナの木。今回は見ることが
                          見ることができました           できませんでした
★ホエール・ウォッチング

パンフレットには次のような説明がありました。
 体長13m、重さ40tもの巨体が懸命にジャンプを繰り返す。2月から4月いっぱいはザトウクジラウォッチングのベストシーズン。 夏はアラスカの など北の海でエサを食べ、冬になると繁殖のため小笠原近海の暖かい海へはるばるやってきます。
 船の上からそのダイナミックな姿をみることはもちろん、水中マイクで「ソング」と呼ばれる声も聞くことができます。夏から秋にかけては潜水が得意なマッコウクジラが見られます。深海1,000m以上潜り、エサをとっては水面近くで休憩します。その姿はまるで潜水艦のよう。小笠原は一年中イルカやクジラが見られる鯨類の楽園です。 

 二見港へ上陸して案内のテントで水を貰い、ホエール・ウオッチングの乗船時間まで地元のボランティアのおばさん達
と談笑する。話によると今月上旬から気温が上がり始めたので冬物から夏物に取り替えた途端、下旬になると急激に気
温が下がり始めたという。今日もとても寒いと言ってカイロを背負っていました。それでも今日の気温は21度もあるので
道産子から見るととても温かい日と思うのに、住むところによって随分と気温の感じ方が違うものだと感じた。

 時間になると5.6杯の漁船やモーターボーに観光客を乗せ、一斉に沖合に向って出港。二見港の入り江を出た途端、
船は前後左右に揺れ始め、よくこれでひっくり返らないものだと一寸心配になる。

 それでも船頭さんの指示した方向を見ると潮を噴き上げているクジラを何回となく見ることができた。しかし、クジラの
姿はなかなか見ることができない。「見えたぞ!」と言われてそちらを向くとすでに潜ってしまっている。テレビで見たよう
な豪快なジャンプを期待していたのだが・・・・・・・・。

 我々が追いかけているクジラの集団は子供連れの親子を2頭の雄クジラが追いかけているとのことであった。それでも
船に揺られながら見当を付けて見張っているとクジラの体を何回となく見ることができるようになる。感激したのは20メ
ートル近くでクジラが浮上したのには驚いた。最初、波が盛り上がったのかな思ったら、それはクジラの背中で、海水とク
ジラの色がとけ込んでいて発見しずらいことがわかった。

 1時間以上クジラを追いかけて、12時前には無事港へ戻り、昼食をとることにした。昼食場所は島料理を出す店を見
つけ、カメの唐揚げと島寿司を食べる。結構美味しかったと言うのが感想。
  
     テンダーボートの上をクジラがジャンプ?       この漁船に乗り、クジラ観察に出かけました。
  
  これらの漁船は全てホエール・ウォッチング船です     彼方に2頭のクジラが見えるのですが・・・・・
  
クジラは神出鬼没で、どこから出てくるか皆目見当も付きません
  
一番近くから見たのは漁船から20m位のとこから出てきました。この時はさすがに大きかったです。
  
港外へ出ると波とうねりで最初から最後まで帆柱にしがみついていた
  
帰港途中、本船に立ち寄り2.3人の乗客を降ろした後、港へ戻りました。

★村内あちこち

小笠原村の歴史   −−−小笠原村HPからの抜粋−−−

 小笠原諸島は1593(文禄2)年、信州深志城主の曾孫、小笠原貞頼により発見されたと伝えられています。人が最初に
定住したのは江戸時代後期の1830(文政13)年、欧米人とハワイの先住民でした。その後、江戸幕府や明治政府の調
査、開拓により1876(明治9)年には国際的に日本領土として認められます。 

  大正から昭和初期には、亜熱帯気候を活かした果樹や冬野菜の栽培が盛んになり、漁業ではカツオ、マグロ漁に加
え、捕鯨やサンゴ漁などを中心に栄え、人口も七千人余を数えるなど小笠原の最盛期を迎えました。豊かで平和な島
「小笠原」は、太平洋戦争により大きな転機を迎えることになります。昭和19年、戦局の悪化により、軍属等として残され
た825人を除く全島民6,886人が内地へ強制疎開させられました。

  敗戦により、小笠原は米軍の占領下に置かれることになります。昭和21年、欧米系の島民に限り帰島を許されました
が、他の大多数の島民は故郷への帰島は許されず、慣れない土地での苦しい生活を強いられることになります。昭和43
年6月、小笠原諸島は日本に返還され、島民の帰島がようやくかなうことになりました。戦後23年間にも及んだ空白を埋
めるために、国の特別措置法のもと様々な公共事業が推進され、新しい村づくりが進められています。 

  太平洋戦争の激戦地となった硫黄島では壮絶な戦いの末、日本軍が玉砕し、日米両軍合わせて二万余名もの尊い
命が失われました。返還後も火山活動などによる自然条件が厳しいことから硫黄島への帰島は実現せず、現在は自衛
隊基地及びその関係者だけが在島しています。

 父島は村民のほとんどが二見港のある大村地区に住んでおり、北部に宮之原・清瀬・奥村地区、南部に境浦・扇浦・
小曲・小港があります。大村地区以外に行くためには村営バス・タクシーの利用となる。島内の道路は道幅が狭いが舗
装されており、レンタルバイクや貸自転車を利用する手もありそうですが、今回は村営バスで小港地区まで一回りしてき
ました。

大神山神社。ここへは200段以上の階段を上ります

           大神山神社地区の案内図          浜辺にはいかにも南洋風の小屋があります

  
       浜辺にあったモニュメント             掲示板を見るととても面白い掲示物があります
  
小笠原村の銀座通りです。約5.6百メートルぐらいの商店街です。
  
   JA農協の建物。島の特産物が売られています       土産物屋さん。何でも売っていました
  
    ここの店でWBCの優勝を知りました              郵便局にあったひょうたん椰子
  
              村役場                            郵便局
  
        NTT屋舎。通信は衛星経由らしい。            東京都で一番遠い警察署
  
東京から1000q離れた父島にも警視庁のパトカーがあります
  
        国の立派な合同庁舎                      小笠原村小中学校

★父島の植物

 小笠原は、東京から約千キロ南方の海上につらなる小さな列島で、コバルトブルーの海と青い空、まさに南国のイメー
ジとおりの美しい島々です。また小笠原は、その誕生以来一度も大陸とつながったことのない、絶海の孤島「海洋島」な
ので、ガラパゴス諸島のように独特の生物が進化したという。したがって、小笠原にしか見られない「固有植物」が数多く
生育している。

 専門家ではないのでどれが固有種かわかりませんが、手当たり次第に見たことのない植物を撮ってみました。とにかく
本土では見ることのでない植物が島全体を覆っており、珍しさ一杯でした。それぞれの植物の名前は門外漢なので不明
です。

  
烏骨鶏が放し飼いになっていました

★昼食は小笠原の郷土料理

  
島の珍しい料理を出すということで、この店に入りました
  
       カメの唐揚げ、油濃かった            名物の島寿司、サワラをづけにしてカラシを使用
                                   した独特の寿司でした

小笠原の珍しい貝殻
  
父親が戦時中送ってくれた貝も多数ありました。
  
送られてきた中にはカメの甲羅やサンゴもあり、サンゴは戦後、我々兄弟の嫁の指輪に化けました。

★おがさわら丸出航風景

 「おがさわら丸」には若い人が多いのかとても賑やかな出航風景でした。見送りの船とお互いに大声で別れの挨拶を交
わしながら島影に消えていきました。岸壁には小さな「ははじま丸」だけが残り、一寸寂しそう。
  
   太鼓に送られながら出航する「おがさわら丸」     爆竹、音楽を流しながら、多数の船が見送ります。

途中、本船とすれ違う。お互いに汽笛を鳴らすのかと思いましたが、期待はずれでした。
  
見送りの船は相当遠くまで行ったようで、ついに島影に隠れても戻ってきませんでした。
  
港の近くにある大村海岸はきれいに整備された素晴らしい海水浴場です
  
15時からウミガメの放流されているのを本船から眺めていました
  
帰りの通船は漁船ではなく本船のテンダーボートでした

★デッキディナーと南洋踊り

  
本日の夕食はデッキディナーでバイキング形式の食事でした。もう少し照明が欲しい感じです。

 食事が終わる頃になると、南洋踊りが始まりました。南洋踊りは日本が戦前、サイパン、トラック、パラオ諸島のミクロ
ネシア地域を統治していた時代に、牧師の息子のジョサイア・ゴンザレスさんらによって小笠原へ伝えられた踊りです。
そして現在も島の人達によって受け継がれております。歌詞の内容は意味不明のものが多いらしい。

 唄は「ウラメ」「夜明け前」「ウワドロ」「ギタイ」「アフタイラン」の5曲から構成されています。歌詞は日本語、英語、南洋
諸島の言葉が混じっており、聞いていてもチンプンカンプンの言葉ばかりでした。

南洋踊り歌集
〈南の島の恋の歌〉
【ウラメ】(二度繰り返し)
 ウラメウ ウルリイイウメ エファンリイイトゴ オシマアアアア ワンガリ イヤウェヤウェヤウィ イリエ
 エファンガアウェニモー

【夜明け前】
 1.夜明け前に あなたの夢見て 起きるとみたら 大変疲れた
 2.もし出来るなら ああ 小鳥になって あなたのもとへ 時々飛んで行く
 3.私の心は あなたのために 大変痩せた 死ぬかもしれません

【ウワドロ】(二度繰り返し)
ウワドロフィ イヒヒ イヒヒー ウワドロフィ イヒヒ イヒヒー ウワドロフィネミネ ウェレルガ アラレンガ リワツグラ
ウェゲルガツグラ ゲッセ メネデキントー サヴエンダ リッヒウェンダ イヒヒ イヒヒ イヒヒー 
ホホサヴエンダ リッヒウェンダ イヒヒ イヒヒ イヒヒー

【ギダイ】
 ギダイノ ウィピネイ ウェナウィアウィヤ ヤワウィヤ ウィヤガ センワラウ
 ヤワウィヤレンゲツゥイ ルギッメッセ ミナティパ テギラニ マナヨウエマシゲレ
 ローレ ローレ ローレ ロレラサンバー ウェーイ ウェーイ ナン
 ローレ ローレ ローレ ロレラサンバー ウェーイ ウェーイ ナン

【締め踊り唄(アフタイラン)】
 (私はよーく寝ました 昨晩ゆーめをみーました その時 私はたいへーんよ 困りましたがわかりません)
 アフタイラン アナダイ スリータイムス ワン・トゥー・スリー ワン・トゥー・スリー アフタイラン オブ ストップ

南洋踊りの動画はYoutubeに多数アップされています。本当に面白い踊りです。(一度ご覧あれ)
    
  保存会の皆さんの踊り。オシリペンペンが面白い。         小笠原独特の打楽器「タカ」

途中から乗客も混じって踊りの講習会となりました
  
踊りを披露した島の人達は帰りの船がないので本船で一泊。子供達が喜んで船内を走り回っていました。

 小笠原の一日目が終わり、今日は揺れのない船室でぐっすりと寝ることができました。明日のオプショナルツアーは島
内めぐりを予定している。

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