9月30日(水) カタコロン 24度 晴れ

 本船は7時頃にカタコロン港の港外で投錨。岸壁にはすでにホーランド社のノールダムとコスタ社のメディタラニア
が接岸しており、岸壁には本船の入り込む余地はなさそうに見えた。従って今回はテンダーボートを使用して上陸す
ることになった。

 古代オリンピック発祥の地として有名なオリンピア。そのオリンピアに一番近い港がこのカタコロンです。この街は
とくに見るべきものはありませんが、のんびりしたかわいらしい港町です。船から下りてすぐにショップ街やカフェ通り
があるので、散歩するにはとっても便利な街だそうです。

 我々は久し振りに旅行会社主催のオブショナル・ツアーに出かけることにした。今日の観光は「オリンピア遺跡」
の見学である。そのツアーも13時前には終了し、午後からはドル稼ぎで船内を歩き回る。今日のゲームは「ホッケ
ースラップショット」と「ボールゲーム」に参加し9ドル稼いだ。

 CNNのニュースではインドネシアで大地震があり、津波も発生したという。本船の乗組員にはインドネシア人が多
数乗り組んでおり、さぞかし心配のことだろう。我々の部屋係に聞いたら、彼の家族は島の反対側に住んでいるので
心配ないと言っていた。そのほかにフィリッピン人も乗り組んでいるが、彼の地でも水害がひどいらしい。

テレビでは盛んにオリンピアのプロモーション画像をを流していた。

  
この壁飾りは恐らく粘土板か石膏で作り上げたものと思うが、気に入りました
  
  ホーランド社の船の変遷が一目でわかります         この生け方は池坊?草月流?違うな

今回は岸壁の場所取りができなくて、テンダーの出番となりました
  
     コスタ メディタラニア 86、000トン          ホーランド ノールダム 82,500トン
  
テンダーボートを下りて、早速オリンピア遺跡巡りの観光バスに乗り込みます
  
     4車線の広い道を走ったり、住宅地を走ったりしましたが、これが近道なんだろうか
 
途中で見かけた石屋さん。アポロンの像があったり、日本的な石灯籠あったりして「なにっ!これ」。
  
 遮断機の太さはただものでない。これにぶつかると      トラムみたいな列車が走っています。
 自動車の方が大破しそうです。                  線路の手入れは最悪の状態です。
  
     いかにもギリシャ正教らしい教会です       遺跡近くのオリンピアの街は繁華街が1本のみ

●オリンピアの遺跡群
 オリンピアは、ギリシアのペロポネソス半島西部に位置していて、乾燥した気候で知られるペロポネソス半島の中
で、もとりわけ湿度が高く、深い緑が広がる土地です。その緑豊かなクロノスの丘の麓に古代オリンピアの遺跡
広がり、1989年、世界遺産に登録された。

 オリンピア周辺の遺跡の発掘は1829年にフランス人考古学者により始められた。19世紀にはドイツの発掘隊も
加わり、プラクシテレスによるヘルメス像などが発見された。20世紀半ばには競技場跡が発掘されている。

 また、フィロンによる世界の七不思議の一つであるゼウス像が存在したことでも知られる。1950年代に作者のペ
イディアスの工房とされる遺跡がゼウス神殿付近で発見され、ゼウス像が実際に存在した可能性が強まっている。

 古代オリンピックの始まりは紀元前8世紀にまでさかのぼる。伝染病の蔓延に困ったエリス王イフィトスが「争いを
やめ競技会を復活せよ」というアポロンの啓示を受けたことに由来すると伝えられている。しかし、394年にローマ
帝国皇帝により廃止させられた。また「競技会を復活」と言う啓示のくだりは過去にも競技が存在したと見られるた
め、実際の競技の開始はもっと早かったのではと思われている。

 古代オリンピックは「男たちの祭典」と称し、男性のみ参加が許されたたという。当時ギリシャはポリスと呼ばれる
都市国家の集まりで争いが絶えなかったが、オリンピック開催の数ヶ月前になると各地のポリスは休戦を宣言し、
人々は続々とオリンピアへと集いました。オリンピックは神々の父ゼウスに捧げるための競技として始まり、初めて
の正式競技といわれるのが短距離走といわれています。人々は全裸で192.3メートルを走り抜いたといいます。そ
の他、円盤投げや走り幅跳び、ボクシングとレスリングをあわせたようなパンクラティオンと呼ばれる競技など、男た
ちの熱気は4世紀末のローマ帝国皇帝により廃止されるまで続いた。そして現在も遺跡内のヘラ神殿で近代オリン
ピック聖火の採火式が行われています。

  
 誇らしげに世界遺産の看板が立てられていました          当時のオリンピア復元図

ランニング練習場。当時は屋根があったらしい。 
  
迎賓館
とにかく正確な地図を持っていないと何が何だかさっぱりわかりません。
  
ギムナシオン(体育館)

マケドニア王フィリッポス2世が建造した勝利記念の円形の建物。土台は円形の跡が残ってる
ガイドの説明図をカメラに収めました
  
遺跡は大理石や石灰岩が使用されており、貝殻の化石が一杯着いている石を発見
  
柱には必ずこのような穴があり、この中に心棒を入れて上下の石を積み上げたらしい
  
ここは神殿のあった場所
  
ガイドが月桂冠を持ってきたので、皆さんこれを頭に載せて記念写真を撮りました。後ろは神殿の柱。
  
 はじめはプールかと思いましたが建物の跡らしい。             給水施設
 ここからいろいろな遺物が出土している。
  
 近代オリンピックにおける聖火はオリンピアのヘラ神殿において凹面鏡を用いて太陽から採火されている。
また2004年のアテネオリンピックでは男女砲丸投の競技がこの競技場跡で行われた。
  
  何か石臼みたい。いずれ立ち上げる予定かも。             競技場の入口
  
            観客席                       芝生がとても鮮やかな緑色です

古代オリンピック競技場
  
皆さん、自分の歳も考えずに一生懸命に走っていました
  
遺跡はこのように石、石の山です。これに登ると笛が鳴らされ注意されます
    
ゼウスを祭った神殿
  
レオニデオンと呼ばれる宿泊施設跡
  
遺跡はほとんどが石材であるが、レンガ造りの壁もありました
  
フィディアスの仕事場
  
フィディアスの仕事場の外壁
  
この遺跡の発掘前はどのような形であったのか興味津々であるが、未だに不明です。

●現在のオリンピアの街
 現在のオリンピアは、ギリシャ共和国の人口1,500人あまりの小さな町である。町には学校と広場が設けられてい
る。20世紀に入って、観光がこの町の重要な産業となった。鉄道駅は町の西端に設けられ、オリンピア〜ピルゴス線
の終着駅になっている。
観光馬車
メインストリートは1本のみ
建物はとてもきれいです
雑貨屋さん
道路のあちこちに、このような
道祖神みたいものがありました


カタコロンの繁華街はこの道1本のみです。
  
    ノールダムはロッテルダムより一回り大きい         コスタの2隻が出入港しています
  
コスタのメディタラニアが出航し、入れ替わりフォーチュナが入港。
●昼食とゲーム風景
  
朝、昼の食事はバイキングで、昼食には寿司が出ます。美味しくないけど食べたいのはやはり日本人。
「ホッケースラップショット」はテニスボールをゴールに入れる競技です。
        ボールゲーム                     ドル稼ぎの仲間とパチリ

●ディナー・トレジャー
 航海も終わりに近づくとディナーもいろいろと手の込んだ趣向を考えてきます。今日は船客全員にコック用の帽子
が配られ、唄や踊りで大いに盛り上がりました。

  
    船客もコック用の帽子をかぶせられます        サービスの人達も普段の服装とは違います
  
我々のテーブルのボーイもご覧の通り盛り上がっていました
  
相変わらずボリューム一杯の料理です
  
目が欲しいだけで、ほとんどの料理は食べきれません
  
   今日もきれいな夕日を見ることができました            一体これは何でしょうか?

ロッテルダムから3266マイル(約6000q)も航海してきました

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